出会った橋ール・ピュイの道-10

5月27日、前方から胸をはだけ笑顔の男が巡礼路を逆行してくる。なんと、先日昼食で立ち寄ったカフェで出会い、しばし会話したムッシュー アッシーであった。 

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フランス北部から女性三人と共に車で巡礼にやって来たと言っていた。朝食後、女性軍を巡礼路まで送り、自分は荷物を乗せた車で昼食予定地点に向かい、そこに車を置いて巡礼路を徒歩で引き返す。三人と出会うと回れ右をし一緒に歩く。昼食後も同じパターンで行動し、最後は皆で一緒宿にチェックインする。連日この繰り返しを続けている。

 

宿泊地Moissacにはロマネスクの聖ピエール修道院附属教会が待ち受けている。教会自身は戦乱で一部ゴシック様式に置き換わっているが、見応えのあるロマネスク彫刻満載である。

南正面ファサードのタンパンは浮彫の最高傑作と言われている。「最後の審判」のため再臨した威厳に満ちたキリストを中心にした「天上の礼拝」の場面で、「荘厳のキリスト」と言われている。審判者を見上げているユダヤの24長老の様々な仕草が興味深い。

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壁画やモザイクの教会装飾が、建築や彫刻の技術進歩により古代以来失われていた彫刻芸術が浮彫彫刻として復活した。

入り口中央の柱トリュモーの両側面には悲壮な表情の預言者エレミヤと使徒パウロ

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やたらに引き伸ばされた身体はエル・グレコの絵画を思わせる。初期中世の写本挿絵を手本にしたためだそうだ。聖書にはなかなか馴染めないため、この彫像が何を訴えかけているのかは理解し難いが、悲壮感漂う顔の表情と腰の捻りが今でも蘇ってくる。

よく見ると彫像は建築の躯体に嵌め込まれ、その存在は伺われるものの彫刻のもつ自由さが感じられない。後日出会ったアミアン大聖堂ゴシック建築ファサードでは円柱を背に自立した彫像が並び彫刻のもつ自由さが確認できた。

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 でも私個人としては、ゴシックよりロマネスクである。

修道院の回廊は「フランスで最も詩的な」と言われている。回廊の四隅の柱には使徒の浮彫が素朴な姿で刻まれていた。

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交互に本数の変わる円柱、そして柱頭彫刻を眺めていると”詩的”と言われる賛辞に納得がいった。

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ウッカリすると通り過ぎてしまいそうな堂内の一遇にシャガールのステンドグラスがひっそりと佇んでいた。

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 続く

 

トーマス・アクゥイナスは言ったという。「誰でも知識があっても、その用い方を知らなければ、不十分に知識を持っているに過ぎない。」

  『「群れない」生き方』  曽野綾子/河出書房新社