500回目のブログ

前回のブログ作成の際、ある事から次回が500回目のブログである事が判明しました。

前回、数日前に焼け夕焼けを目にした事から、因みの4ヶ国で出会った”夕焼け”を紹介しました。そして、次回以降は”朝焼け”さらには”雲”をと候補写真を選択し下書きを始めました。ところが、突然写真の添付ができなくなりました。悪戦苦闘の結果「作成できるブログの上限に達しています」との注意書きに出会いました。

そうです。私が加入していたのは個人の初心者を対象とした無料版だったのです。

そして、継続するにはと「有料プランに登録するとご利用いただけます」と、はてなブログProが紹介されていました。

近年、コロナ禍による外出機会の減少、老化による記憶力の減退等によりブログ作成にスムーズさを欠くようになってきました。いろいろ考えた結果、切りの良い500回をもちまして、足掛け8年にわたって継続してきた我がブログの幕を閉じることとしました。

皆様には、共感の湧き難い写真と拙い文章にお付き合いいただいたことに感謝いたします。

そして、老境に至った私にボケ防止対策の場を与えていただいたことに、はてなブログさんには御礼申し上げます。

 

最後に、他人様からの借り物で申し訳ないのですが、ブログ作成にあたっての私の心構えを述べさせていただきます。

 

果たして写真は撮影者、鑑賞者が外の世界を知るための「窓」としてあるのか、あるいは撮影者自身の姿や心を「鏡」としてあるのかというものになる。ただし、すべての写真が当てはまるわけではない。

  「写真はわからない」 小林紀晴/光文社新書

 

新しい思考をするためには、机に向かっていてはいけない。外に出て、当てどもなく歩いていると、新しいアイデアが浮かぶ。

  「こうやって、考える。」 戸山滋比古/PHP文庫

 

    正岡 昇(広島生まれ/東京在住/81歳)

 

記憶のかけらー夕焼け

例年に無く早々と梅雨が明けてしまった。しかし、雨が降ったり晴れたりの日が続いている。26日、昼間の雨が止み、夕方ガラス戸越しに戸外に目をやると、なんと空が明かく染まっている。暑さにうんざりの私にとっては、短時間ではあったが夏を忘れさせる

一瞬を過ごさせてもらった。

2022年7月26日 暑さ一休み 日本/自宅 

 

スペインと言えば”Cielo azul”青い空である。しかし、時には広大な地平線からオレンジ色に染まり始め青い空は眠りにつく。

2012年9月12日 染まりゆく青い空  スペイン/Hornillos del Camino 「フランス人の道」

 

スペインとの国境のMonsantoは岩と共生している村である。岩の間が居住空間である。山上には要塞跡が残されており、厳しかった歴史をひしひしと感じさせる。そして日が落ちると禍々しい赤い天井が頭上を覆う。

2013年6月4日 歴史を感じる村 ポルトガル/Monsanto 「ポルトガルの道」

 

フランスでは夕焼けらしい夕焼けには出逢えなかった。FigeacフィジャックからCahorsカオールに向かってLotロット川に沿いながら歩く。途中の集落で一泊する。川に沿って小高い山の峰が延びている。

勝手ながら印象派の絵画を思わせる?フランスを歩いていることを実感させる。

2018年5月23日 フランスらし夕焼け フランス/Pasturat 「ル・ピュイの道」

 

横浜の三溪園を訪れた。何度目かの訪問であるが今回は初冬ということで、四時

過ぎには陽が落ちた。夕陽に染まる池の背後に旧燈明寺三重塔といういかにも日本らしい夕景色に出会った。

2016年11月29日 これぞ日本の夕景色 日本/横浜市

記憶のかけらー奏でる人

歩いていると様々な形での演奏活動に出会うことがある。

 

聖地Santiago  de Conpostelaに到着すると、巡礼事務所に行き巡礼証明書を入手する。大聖堂で執り行われる巡礼者の為のミサで、11時までにその証明書を入手した人の国別の人数が読み上げられる。私も日本からの一人として読み上げられる。巡礼者の異臭を浄化すると伝えられるボタフメイロ(大香炉/写真上部)が聖堂上部で壮大にスィングする。必ず実施されるとは限らないが、私は運よく4回とも出会えた。この日には幸運が重なり、演者は不明であるが大聖堂でのギター独演会にも出逢えた。

2014年6月23日 最高のステージ スペイン/Santiago de Compostela   「北の道」

 

ローマ、イスラムキリスト教と様々な時代を経たポルトガルの古都Evolaエヴォラ。一つの城壁の中にその痕跡が渾然と同居している。因みにあの天正遣欧少年使節団も滞在したと言う。広場で展開しているイベントもいわゆるポルトガルに拘らない。でも、それはそれでポルトガルの歴史を感じさせる。

2013年6月7日 ポルトガルって ポルトガル/Evola after 「ポルトガルの道」

 

FigeacフィジャックからCahorsかオールまでは巡礼路が三つに分かれる。選んだルート以外のルート上の巡礼地Rocamsdourロカマドールへは鉄道と6kmの徒歩で往復した。渓谷沿いに延々と続く門前町?を歩いていると前方から笛太鼓を奏でながら歩いてくる集団に出会った。沿道の古い家並み包まれて演奏を聴いていると、中世の世界に入り込んだと思われる感覚に陥った。

2018年5月20日 時代が蘇る フランス/Rocamadour   「ル・ピュイの道」

 

銀座のggg大日本印刷が文化活動の一環として運営しているグラフィックデザイン専門のギャラリーである。銀座をぶらつく時には必ず立ち寄る。時には展示スペースでのイベントに出会う時がある。

2019年11月14日 聴きながら観るか、観ながら聴くか 日本/銀座 街歩き

記憶のかけらー歌う人

ラテンの地を歩くとあちこちで歌う人や踊る人に出会う。

 

Burgosブルゴスの先の小さな集落のサンタ・クララ修道院のアルベルゲでベッドを確保した。女性の修道院ということと共に、夕食前にシスターによるミニライブがあると言うことでこの宿を選んだ。シスターの歌に続いて宿泊者がお国の歌を披露した。私は旅行中の日本人夫婦と共に「さくら」を歌った。独唱を避けられたのは幸いであった。

2012年9月14日 染み渡る歌声 スペイン/Carrionn de los Condes  「フランス人の道」

 

宿のホスピタレーロの案内でアルファマ街区のカーザ・デ・ファドに出かけた。入り口の前に立つ目つきの鋭い男が目に入った。用心棒かなと思いながらすれ違った。男女の歌手が次々と歌を披露する。そして、先ほど気になった男が歌い始めた。なんと歌手だったのだ。ファド=アマリア・ロドリゲス=女性歌手と思い込んでいた私は、この男の生の歌を聞いた途端ファド=男性歌手となった。

2013年6月10日 ファドは演歌 ポルトガル/Lisboa  after 「ポルトガルの道」

 

「フランスの最も美しい村」Montreal du Gersの教会で数人の男女が指揮者のもと聖歌を歌っていた。数日間の巡礼をしながら聖堂内で聖歌を奉納しているとの事であった。フランス版四国遍路を思わせる。そしてその日の宿泊地Eauzeに到着し教会の聖堂に入ると、そこでは朝に出会ったグループが聖歌斉唱の最中であった。 

2018年6月1日 正統派巡礼に出会った フランス/Eauze  「ル・ピュイの道」

 

日本で街歩きをしていても歌を楽しんでいる人に出会うことは少ない。日本ではないがスペインの北海のビスケイ湾に面した港町でスペイン人のグループに混じって歌う日本人を紹介する。

2014年5月31日 いったい誰 スペイン/Laredo   「北の道」

記憶のかけらー密

何はともあれ”密”は避けましょうの時代である。しかし、私の歩き旅はどちらかと言えば”疎”の空間を彷徨う旅であった。でも、時には思いもかけない”密”に出会い、その変化を楽しんだ。

 

サンチャゴ巡礼路はほとんど人に出会わない片田舎や山野を縫って続く。しかし、時には連続的に”密”に出会う。「銀の道」の南部はあのイベリコ豚の産地である。巡礼者は柵に囲まれた放牧地の出入り口の扉を開け閉めしながらその中を通過する。群れている家畜の中を「ごめんなすって」と遠慮しながら進む。

イベリコ豚はその商品価値ゆえか柵の中で保護状態にあった。

2015年5月25日 お邪魔します スペイン/Almaden de la Plata 「銀の道」

 

念願のポルトガル訪問は思いもかけずサンチャゴ巡礼という形で実現した。離葡の前日の夕刻にLisboaリスボンの下町アルファマに別れを告げに出かけた。なんとなく街中がざわついている。メインストリートではパレード。アルファマでは異様な人混み。何事かと確認すると明日6月13日はリスボン守護聖人聖アントニオを讃える祭りだと言う。旅の下調べでは全くひっかかっていなかった。「イワシ祭り」とも言われあちこちの屋台から煙と香りが立ち込めている。イワシハンバーガー?とワインを両手に、踊りまくる人混みに呑まれて過ごした。宿に着いた時はすでに帰国当日であった。昨日の出来事は私の壮行会であったとタクシーで空港へと向かった。

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2013年6月12日 壮行会  obrigada ポルトガル/Lisboa  after「ポルトガルの道」

 

「ル・ピュイの道」は中途のFigeacフィジャックからCahorsカオールまで三つのルートに別れる。私は水恋しさから川沿いのルートを選んだ。途中の集落のカフェでコーヒーを飲んでいるとそこのマダムが声をかけてきた。外に出て見ろと言っているようだ。なんと、表で目撃したものは羊の大群であった。この季節には餌となる牧草を求めてこういった羊の大群が通りかかるのだそうだ。2〜3人の牧童が羊たちを黙々と誘導してゆく。酪農国家フランスの底力をひしと感じた。

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2018年5月21日 垣間見た酪農国家 フランス/Figeac近傍 「ル・ピュイの道」

 

上野近辺の街歩きの途上、湯島天神に立ち寄った。そこで出会ったのは牛の大群であった。でも、それは絵馬に描かれた牛であった。季節によっては受験者たちで賑わっているのだろうが、10月ということもあり人影の方はまばらであった。

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2017年10月14日 それにしても合格率は 日本/東京 湯島 街歩き

記憶のかけらー鉄道駅を楽しむ

私の旅は歩き旅が主体なので、鉄道の駅にはあまり縁がない。しかし、記憶のかけらとして残っている駅がある。

 

「フランス人の道」を歩いた後、アンダルシア地方を訪れる途上「魔法にかけられた町」と言われる断崖の上の要塞都市Cuencaクエンカに立ち寄った。”宙吊りの家”と呼ばれるスペイン抽象美術館で知られている。しかし、私の記憶はその街の南4kmの高速鉄道最寄駅フェルナンド・ソベル駅である。駅舎に入るとそこは光の館である。人影は全く無い。街へ向かうバスの待ち時間を苦にせず穏やかに時を過ごした。因みに、美術館は休みで入館できなかったが、この駅との出会いがその無念をカバーしてくれた。

2012年10月1日 誰もいない駅 スペイン/Cuenca  after「フランス人の道」

 

ポルトガルの道」はポルトガル第二の都市Portoポルトを通過する。見どころ満載の街で、ゆっくりと過ごすべく、原則一泊の巡礼旅を二泊に伸ばした。世界遺産の歴史地区、ポルトのシンボルのドン・ルイス一世橋、ポルトワインのセラーそして、”天国への階段”と称される書店レロ・エ・イルマオン。もっとゆっくり滞在したかった。なかでも、ポルトの歴史的な出来事をアズレージョで描いた20世紀初め建設のサン・ベント駅のホールでは、不十分な歴史認識ながら時の経過を忘れて過ごした。

2013年5月16日 ホールはギャラリー ポルトガル/Porto「ポルトガルの道」

 

「ル・ピュイの道」を歩き終えた後、パリ再訪は無いものとランス、アミアン、シャルトルのゴシック大聖堂、そしてロマネスクのサント・マドレーヌ・バジリカ聖堂を訪れた。いずれもパリ市内のターミナルからの鉄道旅である。それぞれ東駅、北駅、モンパルナス駅、ベルシー駅から往復する。

その中で最も光っている記憶のかけらは北駅の広場内に建つ小さな建物である。「溶ける建物」という彫刻で、地球温暖化を訴えるためパリ市が創作を依頼した。私を含めてこの彫刻が訴えていることに思いを寄せながら眺めているだろうか。

2018年6月12日 駅広もギャラリー フランス/Paris after 「ル・ピュイの道」

 

大阪は若かりし頃の職場であった。久しぶりに訪れ新しい大阪駅を利用した。線路で南北が分断されていた駅は線路上空の連絡路で結ばれている。広大な連絡路で蛇行するベンチに出会った。大阪もアートに目覚めたか。でも、人影はほとんどみられず、ポツンと佇んでいるだけのようであった。

2014年3月8日 座ってもいいかな 日本/大阪 街歩き

 

「淋しい」と「孤独」は違う。話し相手がいないから淋しくて孤独。そんな安直なものではないはずである。

淋しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた、一人で生きていく覚悟である。淋しさは何も生み出さないが、孤独は自分を厳しく見つめることである。

   「孤独を抱きしめて」 下重暁子/宝島社

 

記憶のかけらー移動手段だけではないメトロ

歩き中心の旅や街歩きを楽しんできた。でも、バス、鉄道、バスといった乗り物も利用した。単なる移動手段に留まらず、旅の一部分として様々な楽しみを享受した。

 

鉄鋼・造船の町として栄えたBilbaoビルバオは”アートによる都市再生”を図り、多くの観光客で賑わっている。中でものフランク・ゲーリー設計のグッゲンハイム美術館は館内の美術鑑賞とともに美術館そのものも鑑賞に値する。1995年に開通した地下鉄の出入り口はノーマン・フォスター設計で統一されており、街中での爽やかな点景として楽しませてくれた。

2014年5月298日 さすがフォスターさん  スペイン/Bilbao 「北の道」

 

LIsbaoリスボンの移動は主として路面電車と地下鉄である。それぞれ単なる移動手段に留まらない。路面電車はスピードは速くないが、せせこましい街中を走り回るジェットコースターを思わせる。一方、地下鉄各駅のホームの壁面のアズレージョ装飾はギャラリーを思わせる。リスボンカードを手にしてメトロギャラリー巡りを楽しむ。私のお気に入りはカイス・ド・ソドレ駅の「不思議な国のアリス」である。

2013年5月2日 メトロギャラリー巡り ポルトガル/Lisboa  before 「ポルトガルの道」

 

パリの地下鉄は1900年に作られた。施設のデザインはアール・ヌーヴォー建築家のエクトール・ギマールが担当した。しかし、モダンデザインの普及とともに時代遅れとして忘れられていった。今残されているギマール設計の駅は2駅である。その一つ16区ブローニュの森脇のポルト・ドフィーヌ駅に出かけた。人影もまばらな緑地にぽつんと佇んでいた。やっと出会えたとの感動とともに、少なからず侘しさも感じた。

2018年6月14日 ぽつんと佇む フランス/ Paris after 「ル・ピュイの道」

 

都営地下鉄大江戸線は1991年に開通した。建設にあたって各駅構内の壁面等のデザインはそれぞれのデザイナーに任せられた。私の住まいの最寄駅は大江戸線ので利用頻度が高いが、どうも記憶のかけらに見当たらない。でも、やっと出会いました。大江戸線飯田橋駅の出入り口です。特段印象深かった訳ではなく奇抜なデザインにシャッターを切ったようです。

2011年6月3日 なんだ、これ 日本/文京区 街歩き

 

滞在の理由は様々ですが、こうした記憶の断片の向こう側に広がる世界は、いつでも私の心の力強い支えとなっています。出会った人、見てきた景色、体験してきたこと、そうした数々の思い出はいつまでも色褪せことのない、人生にとって最高の贈り物だと言えるでしょう。

  ヤマザキマリの世界逍遥録」 ヤマザキマリ KADOKAWA