出会った橋ール・ピュイの道-24

6月23日、モンパルナス駅からChartresに向かう。駅から坂道を登りシャトレ広場に出ると姿の異なる双塔が迎えてくれる。現在の建物は1194年の大火の後に再建された。右の新鐘楼はその時のもの。左の旧鐘楼の下部は消失を免れさらに古いが、その上部は16世紀に改築された。真ん中のファサードは火災の被害が少無かったが薔薇窓を新しくしている。

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一般的には華やかなゴシック様式の代表と受け止められているが、ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期の質実剛健さを感じさせる。大聖堂の前に立ち足元に目をやるとサンチャゴ巡礼路のサインが目に入る。サン・ジャック塔に発する「パリの道」の通過点である。西正面扉口は「諸王の入り口」と呼ばれているが、その名に似合わない質素な佇まいである。

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タンパンの主題は「荘厳のキリスト」である。キリストは多くの使徒や長老に囲まれてはいるが、残念ながら荘厳さは感じ取れない。

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正面扉口の細長いプロポーションの丸彫りの彫刻群は百済観音を思わせる。

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モアサックで出会ったエレミアのロマネスクの平面的な浮彫から、昨日訪れたアミアンのゴシックの立体的な彫刻群へと、彫刻が建築から独立してゆく過程を実感できた。

堂内に入ると身廊の床にはアミアン同様床には聖地エルサレムへの困難な巡礼路を象徴する迷路が残っている。円形のラビリンスの中心はファサードを倒すと救世主を意味する薔薇窓と一致する。

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嘗て、信者はチベット五体投地の如く床を這いながらラビリンスを進んでいったそうだ。すり減った石の表情がそれを物語っている。アミアンの無念をはらすべく上からラビリンスの全貌見下ろしたいとの思いで堂内ツアー参加を申し込む。

突然日本人修道女に声をかけられた。来仏2ヶ月でボランティアガイドをしていると言う。ツアーまでは時間があり案内をお願いする。私にはキリスト教のバックグラウンドはなく、さらに外国語の会話が苦手でもある。美しさに感激し現地を訪れた実績作りに奔走する旅行に陥りがちの私にとっては救世主である。写真は・・と言われたが帰国後も写真を見るたびにシャルトルでの時間を思い出す縁にとシャッター押す。

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シャルトルの堂内が暗いのは12〜13世紀のステンドグラスがほとんど残っているからだそうだ。「シャルトルブルー」として有名だ。現在ではその色は再現できないと言う。

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どちらがシャルトルブルーか分かりますね。ステンドグラスの見方も教わった。右下から左上に向かって物語は展開する。下部を見れば寄贈者の職業も分かる。

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ツアー予約の時間に受付に行くと中止の張り紙が一枚。理由の説明はない。

聖堂を出て側面に回ると素朴で堅実な控え壁とフライイングバットレスが初期ゴシックの証として聳え立っている。

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 続く

 

栗田亘(コラムニスト)

日本人はどこに行ってもすぐにカメラを取り出して写真を撮る。そうじゃなくて、自分の目でよく見る、なんて人がいますよね。

野呂希一(写真家)

そこで感じたものを、もっとよく伝えたいから撮る。そうするとちらっとみて、ああいい景色だでは駄目なわけです。そして何が美しいか、見極めなきゃいけない。記憶に残そうとしてカメラを持たずに見るより、ものをもっとつぶさに見てからじゃないと、本当の写真は撮れないですよ。

   「樹寄せ72種」  栗田亘/アサヒビール株式会社