出会った橋ール・ピュイの道-5

5月17日、目的地はその名がホタテ貝に似た村の形に由来するConqueである。四世紀末からキリスト教徒が隠れ住み、中世にロマネスク様式のサント・フォア修道院が建造されサンティアゴ巡礼路に組み込まれた。今では「フランスの最も美しい村」の一つとしてフランス有数の観光地となっている。私にとっても今回の旅の最も期待を持って訪れる地である。自動車道の巡礼路を進むと、左側にうっかりすると通り過ぎてしまそうな木立の中へと降る坂道が目に入った。人一人が通れるくらいの狭さで足元は不安定なガレの急坂を降る。やがて教会の尖塔が目に入る。村のメインストリート「シャルルマーニュ通り」を進み宿に入る。

ベッドを確保しシャワー、洗濯を済ました後、世界遺産に登録されているサント・フォア修道院へと宿を出る。いかにもロマネスクらしい控えめな佇まいのファサードである。入り口の上部にはお約束の”タンパン”。嘗ては、海外の教会巡りはステンドグラス巡りであったが、サンティアゴ巡礼を始めてからすっかりタンパンに取り憑かれてしまった。

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タンパンとは入り口上部のアーチの装飾的な壁面で、キリスト教建築では宗教的情景が通例である。ここのタンパンのテーマはあの「最後の審判」で、ロマネスクを代表する傑作と言われている。

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私の拙い説明にかえて木村尚三郎さんの「粋な時間にしひがし」の説明を紹介する。

教会正面(西門)入り口の上部タンパン(三角小間)には、キリストをはじめマリア、聖ペテロ、天使、墓から立ち上がる死者、天国行きか地獄行きか、死者の魂をはかる聖ミカエル、その秤を地獄に傾けようとする悪魔、怪物の口から地獄に押し込まれ、さまざまな呵責を受ける亡者たちなどの迫真力にみちたロマネスク彫刻群がある。

  

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よく見ると何者かがアーチの縁から顔をのぞかせている。”好奇心”を表現しているが思わず『座布団一枚』と叫びそうになった。

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住人300人にも満たないのごく小さな村であるが、時間を忘れて歩き回った。民家はコロンバージュ様式の骨組みと灰色のスレート屋根。まさに「フランスの最も美しい村」であった。

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翌朝、谷から湧き上がる雲海?に浮かび上がる教会に見送られてコンクに別れを告げる。出口は谷底ということもあり苔むした小ぶりなありきたりの橋である。歴史的な背景を理解していなければ、何故この橋が世界遺産なのかと首を傾げながら通り越してしまう。

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再び、谷底から高度を上げると小さな礼拝堂忽然と現われた。大聖堂も見事であるが、あちこちで出会うこの様な礼拝堂は心を和ませてくれる。

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 続く

 

「ロマネスク」という様式はロマネスク時代にあったのではなく、19世紀の初めにイギリスとフランスの好古家(考古学者の前身)によってそれぞれ個別に編み出された言葉なのだが、意味するところは、「ローマ風の」である。より砕いて言えば、古代ローマに似ているが異なる、似て非なるという意味である。古代ローマの建築や装飾を手本にしながら、それぞれの地で異なった表現が試みられたということだ。

  「ロマネスクとは何か 石と葡萄の精神史」 酒井健/ちくま新書