出会った橋ール・ピュイの道-9

5月25日、LascabaneのGite宿には 教会に併設されていた。夕刻のミサに参加したが同宿の人の半数も参加していない。洗足式が行われ神父が巡礼者の足を洗ってくれた。クリスチャンではない私も例外ではなかった。最後の晩餐の時、キリストが弟子達の足を洗い、「主であり、師であるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わねばならない。」と命じた聖句によるものだそうだ。残念ながらその行為の意味合いを知ったのは帰国後であった。

翌日26日、広大な農地を縫いながら延々と続く巡礼路をひたすら黙々と歩く。フランスの三色旗がモチーフのサインがリレーしながら導いてくれる。

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集落には必ず小さなチャペルがある。街中の教会のようなあっと思わせるようなステンドグラスや彫像はないが、それぞれ個性的な祈りの空間が住民たちのよって守られている。

あるチャペルの壁面にはフレスコ画が残されていた。その中になんと”最後の晩餐”があるではないか。嘗てミラノの最後の晩餐に出会ったが、今ではその記憶は画集の中に埋もれている。しかし、このフランスの片田舎の”最後の晩餐”は、今でも私個人の記憶に残っている。

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道内の椅子にアメリカから来たと言う巡礼者が、恍惚とした面持ちで座っている。どこかで見たような姿。コンクで出会ったタンパン”最後の審判”のキリストは右手をあげていたが、あの姿が思い浮かんだ。さて、私は天国、地獄どちらに送り込まれるのかと空想を楽しんだ。

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前方の丘には教会の尖塔を守るように石造の建物が肩よせあっている。岩山を思わせる。ガリア語と地元のオック語で”石の丘”を意味する中世の村Lauzerteロゼルトである。地名の多くはフランス語ではなく、嘗てその地を納めていた民族の言語に由来している。このような村は絶えず争いの中におかれ、防御に適した丘の上に要塞都市として形成されている。本日最後の登りが待っている。

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村を取り囲む外周の建物は高さは高く、開口部は小さく城壁を兼ねた住居となっている。

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居並ぶ建物の軒先には錬鉄製の看板が掲げられている。字が読めなくてもその図柄で何を営んでいるか連想を愉し見ながら歩く。街中のギャラリーの觀を挺している。

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それもその筈、多くのアーティストが民家に住み着き活気ある芸術コミュニティを形成している。彼らの作品が町中に溢れている。

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陶芸家のギャラリーで陶製の雛人形が陳列されていた。材料、形態、色彩等、所変われば変わる発想に思わず見惚れてしまう。

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続く

 

釈徹宗(僧侶/相愛大学副学長)

よく仏教では、人を憎しむということは、「例えれば、人を指させば、1本の指は相手に向いているけれど、3本の指は自分に向いているんだ。だから、自分に返ってくるんだ」と。

  「『死』とは何だろう」  池上彰×釈撤宗/KADOKAWA