上野で出会った橋

東京都美術館で「Walls & Bridges  壁は橋となる」と題した展示会が開催されていることを知った。自らを取り巻く障壁を、表現への飽くなき情熱により、展望を可能とする橋へと変えた国内外の五人のつくり手たちの作品を紹介するとある。壁とは、そして橋とはなんだろう。確かめたくなり上野に出かけた。

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主展示場では「ゴッホ展」が開催されていた。しかし、そちらには特段の食指は動かされず会場のギャラリーに直行した。ゴッホにはこれまであちこちで出会っていたが、五人の作り手には出会った事がないし、今後出会えるかどうか分からない。

リトアニアに生まれ、難民キャンプを転々とし、ニューヨークへ亡命したジョナス・メカスさんは中古の16ミリフィルムで身の回りを撮影した。撮影した数々の「日記映画」を3コマの写真で紹介している。

解説文には「記憶は映像に残すことができないとメカスは語る。確かに記憶は目には見えない。しかし果たしてメカスの映像に宿る私たちの記憶に触れる何かも、目には見えないものだろうか?」とあった。

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増山たず子さん。故郷の岐阜県徳山村とその村民を記録するため、還暦を過ぎてから28年間にわたって撮影した10万カットにも上る写真を残している。

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写真と共に彼女の著書「ふるさとの転居通知」の中の文章も展示されていた。

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写真より文章にすっかり引き込まれ、立ち止まって何度も読み返した。彼女の没後、ダム建設により村は消滅したそうだ。

 

シルヴィア・ミニオ・パウエルオ・保田さんはイタリアのサレルノで生まれた。将来を嘱望された作り手であったが、彫刻家の夫を支え、家事と育児の合間に寸暇を惜しんで彫刻と絵画の制作に勤しんだ。生涯に残した作品は教会などから依頼されたブロンズ像など数少ない。

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制作はスペースの限られた自宅の為小さなものが多い。高価な材料には全くこだわりが無く、まな板を用いた木のレリーフやチラシを使った素描のコラージュ。その素描のコラージュは、彼女の死後その軌跡が人知れず消えてゆくことを恐れた夫がスケッチブックや紙片を整理して美術館に寄贈したそうだ。

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ズビニェク•セカルはチェコスロバキアプラハで生まれ、反ナチ運動に関わり、強制収容所で4年間過ごし、後にウイーンに亡命した。60歳を過ぎてから制作を始めた箱状の作品は、強制収容所での想像を絶する体験ー死にまつわる記憶ーを収めた箱であったろうか?とある。

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東勝吉はきこりを生業とし78歳で老人ホームに入所した。園長から水彩絵具を贈られたのを契機に由布岳などの風景を描き始めた。その時、83歳、要介護2であったそうだ。力強く、色彩鮮明な作品は見ているものに力を与えてくれる。

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99歳で亡くなるまでの16年間に100余点の作品を残している。

 

解説文に”異なる生き様から生まれた作品のアンサンブルには、「記憶」という言葉から導かれる不思議な親和性があるように思われる。”とあった。

これまでの私の人生の中でどんな壁に直面してきただろうか。そして、その壁を現在の自分への橋となしてきただろうかと今でも考え続けている。

帰路、湯島の文化庁国立現代建築資料館に立ち寄る。丹下謙三の前半生を回顧・検証する「丹下謙三 戦前からオリンピック・万博まで 1938〜1970」と題する展示会で時間を過す。時の流れをつくづくと感じさせられた。

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