出会った橋ール・ピュイの道-25

シャルトル大聖堂の裏にはウール川が流れており、その河畔に古い街並みが残っている。聖堂の内外で密度の高い時間を過ごした後、観光客の消えた川沿いの小道をのんびりとぶらつく。

f:id:peregrino:20210815130517j:plain

展示の準備をしているギャラリーに出会う。作品のアーティストはTETSUO HARADA、日本人である。作業中のため深い話はできなかったが、休息を兼ねて作品を鑑賞させてもらった。かつてフランスで出会う日本人と言えば群れとしての日本人であったが、今回の旅ではさまざまな個人としての日本人である。

f:id:peregrino:20210815131023j:plain

街中ではコロンバージュ様式と言われるハーフティンバーの民家も残されている。使われている木材は構造材を超えて装飾材になっている。

f:id:peregrino:20210815130900j:plain

壁に掲げられている道路標識はさすがアートになっている。

f:id:peregrino:20210815131319j:plain

山をやっていた頃、うろ覚えであるが「登山者とウジ虫は上へ上へと登りたがる」と揶揄された。今でもその習癖は抜けない。かつて、エッフェル塔の下部の展望台までは上がったが、オースマンのパリ市街をさらに高いところから鳥瞰したいと、モンパルナス駅に帰着後目的に定めた高所に向かった。選んだのはエッフェル塔ではなくモンパルナスタワーの展望台である。駅に近いからではない。誰かが言っていた。これもうろ覚えであるが「醜いものをみなくて済むから」360度の展望を満喫する。

f:id:peregrino:20210815131500j:plain

下の方に目をやると、なんとはなくオースマンの都市計画を感じられた。

f:id:peregrino:20210815131624j:plain

セーヌ街に向かって歩くとサン・ジェルマン・デ・プレ教会に出会う。ゴシックの華やかな大聖堂を見てきた目には、その存在を知らなければ通り過ぎてしまいそうである。

f:id:peregrino:20210815131823j:plain

6世紀建造のパリ現存最古のロマネスクと聞き納得が行く。ところが、堂内に入るとロマネスクの身廊の天井に17世紀に付け加えられた色鮮やかなゴシックのリブ・ヴォールトが交差が連なる。

f:id:peregrino:20210816154620j:plain

外観から受けたイメージを一気にひっくり返される。

そして、柱の上部には金色に輝く柱頭彫刻が並ぶ。言語を絶する眺めである。

f:id:peregrino:20210815131957j:plain

ノートルダム大聖堂の前を通りかかる。今回は訪問の候補には上がっていない。すでに数回訪れているので並んでまでもその気にならない。でも、タンパンとの対面は初めてである。

f:id:peregrino:20210815132136j:plain

主題は「最後の審判」。下から天使の吹くラッパで蘇る使者たち、魂の重さを量り人々を天国に選別する大天使ミカエル、そして「入ります」のキリスト。

ある本でみかけた。大聖堂の左側の道路に入りさらに左に折れるとオースマンの都市改造を外れた中世の家並みが残っている。観光客は皆無である。引き返すと昨年の火災で焼け落ちた塔と身廊の屋根が目の前に。一年も立たないうちにこの景観が消えて無くなるとは。一期一会を痛感する

f:id:peregrino:20210815132255j:plain

宿の近所に旧司教公館を使った図書館がある。鈍く光る古いガラス窓を見惚れていると、内部の様子が垣間見えた。

ちょっと覗いてみようと中に入ると企業をイメージしたグラフィックを展示していた。日本の企業も数点見かけられた。TOYOTA,TOSHIBA,PANADSONIC・・・

f:id:peregrino:20210815132658j:plain

宿の向かいには18世紀の邸宅を活用した「ヨーロッパ写真美術館」があった。ヨーロッパ最大の写真美術館でる。世界の紛争の惨状を写した作品を展示していた。明日は帰国と立ち寄った。日本にも旧朝香宮邸を改装した東京都庭園美術館がありしばしば訪れる。展示空間を含めての鑑賞が楽しめる。小石を敷き詰めた前庭は写真家田原桂一さんの作品である。

f:id:peregrino:20210815133055j:plain

単純な構図であるが眺めていると心が静まってくる。一昨年、「熊野古道伊勢路」巡礼を終えた後に訪れた伊勢神宮の外宮でも似たような気持ちをいだいたことを思い出す。

f:id:peregrino:20210820161519j:plain

ここでも個人の日本人との出会いであった。

日本にも旧朝香宮邸を活用した東京都庭園美術館がありしばしば訪れている。予定外であったがいい美術館に出会えた。

 

 

街も人も日々変化する生物だから、旅は一期一会のライブだと感じる。この非常事態が収束したとしても 、あの日と同じ旅にはならない。きっとまた予期もしない新しい出会いが待ち受けている。だから面白く、切ない。

   「旅を栖とす」  高橋久美子/角川書店