出会った橋ール・ピュイの道-26

6月14日、41日間のフランス滞在最後の日を迎えた。パリには何度か訪れたが短期の滞在であった為ほぼガイドブック観光に終わっていた。今回は数日間自分自身のパリを味う時間をとっていた。日本への便は21時であり一日たっぷり満喫できる。向かう先は私にとっての空白部の16区である。

8時前に宿を出る。メトロでPorte Dauphine駅で下車し地上に出る。前方にはちょっと寂れた緑地が広がっている。振り返ると地下鉄出入り口がポツンと佇んでいる。1900年のパリ万博に合わせて開通した。メトロの駅舎入口のデザインはエクトル・ギマールに依頼された。19世紀末に一斉を風靡した「アールヌーヴォー」である。

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当時設置された167のうち現存するのは90だそうだ。植物の茎のランプと柵のタイプは街中でしばしば出会うが、庇つきのタイプは3箇所のみである。アベス駅は他所からの移設、シャトレ駅は復刻、しかしこの駅は場所もディテールも1902年の建設当時のものである。その希少性を実感すべくわざわざ尋ねてきたがその甲斐があった。

向いはブローニューの森である。かつて抱いたロマンチックなイメージを胸に遊歩路に歩を進める。イメージは裏切られた。しかし、スペインの巡礼路の強い日差しに比して、日本を思わせる柔らかな木漏れ日は心和ませてくれた。

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 しばらく進むと前方に船を想わせるガラス張りの建造物が現れた。

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スペインのビルバオで訪れたグッゲンハイム美術館と同じフランク・ゲーリーの設計である。フォンダシオン・ルイ・ヴィトンのアートスポットであるが、開館は12時であり残念ながら入館は叶わなかったが、垣間見える木造の架構そしてガラス面に映り込む空と森をしばらく見続けた。

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森の散策をゆったりと愉しんだ後、モネに出会うべく美術史家の邸宅を美術館としたマルモッタン・モネ美術館に向かった。周囲は閑静な邸宅街である。

楽しみにしていた「印象、日の出」「ルーアンの大聖堂」等々、ゆったりと鑑賞できた。中でも「印象、日の出」を前にした小学生たちの課外授業は印象に残っている。

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さらに南に進むとマレ・ステヴァンス通りに出会う。フランスの建築家でモダニズム作家と言われているマレ・ステヴァンスが自身の私道に開発した集合住宅群である。

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アール・ヌーヴォーに対する装飾批判に賛意を示し、建物は白く平滑な立法地で構成されている。

さらに歩を進め路地を入るとル・コルビュジェのラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸。ラ・ロッシュ氏のギャルリと住宅である。ル・コルビュジェの超名作住宅と言われているが、生活の空気感がないのが残念であった。

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ささやかながらピロティも設けられていた。

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途中の不動産屋のウインドウには80平米で約1億円とあったが、高いのかどうかは判断しかねた。 

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 続く

NHKで特攻隊のドキュメントの再放送を見た。そして、その元となった著書を読んだ。

 

僕は毎年、夏になると、「いったいいつまで真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう」と思います。

(中略)

こう書くと、「純真な高校球児の努力をバカにするか!」とか「大切な甲子園大会を冒とくするのか!」と叫ぶ人がいます。

(中略)

ですが、怒る人は「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。「命令した側」への批判を「命令された側」への攻撃だと思うのです。

その構図は、「特攻隊」の時と全く同じです。

 「不死身の特攻兵」 鴻上尚史/講談社現代新書