謹賀新年

明けましておめでとうございます

 

今年もつつがなく新しい年を迎えることができました。

81回目の初日の出は、街中の高台からのありきたりの

ものでしたが、我が人生の大事なマイルストーンです。

勝手ながら、撮りたての初日の出のお福分けをさせて

いただきます。

 令和四年元旦

 

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記憶のかけら–宿での一時

暑さ対策、ベッド確保、まち歩きを考え、早朝日の出前後に宿を出る。従って次の宿には昼前後に到着する。宿での過ごし方は様々である。


修道院附属のアルベルゲでは、夕食前の一時エントランスの広間に集まり歌の会が始まる。まずは海外からやってきた修道女がギターを爪弾き讃美歌の合唱から始まる。その後は、世界の各国からやってきた人たちがお国の歌を披露する。私は日本からのご夫婦と共に、多分”さくら”を歌ったと思う。疲労感は残っているが大きな声を出すと、疲労感は少しづつ薄らいでくる。

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2012年9月15日 お国の歌を披露  スペイン/Terradillos de Templarios「フランス人の道」

 

多くの人は朝早くから歩き始める。時には到着時にレセプションが始まっていない場合に出会う。その時は慌てず騒がず宿の前に座り込んで話し込んだり、昼寝をしたりでのんびりと時を過ごす。これも旅の一部である。日差しは強いが時どき吹き抜ける微風が心地よい。

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2013年5月21日 レセプションを待つ ポルトガル/Rubiaes  「ポルトガルの道」

 

途中で出会った子供連れの巡礼者一家が宿に到着した。小さい子はポニーの背で、大きな子は歩きながら巡礼を続けている。シャワー、洗濯を済ませ、宿の中を流れる小川で水浴びを楽しんでいる。そばで眺めていると、旅そのものが日常の生活になっているように見える。いかにもフランスらしい。

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2018年5月18日 揃ってストレッチ フランス/Livinhac le-Haut  「ル・ピュイの道」

 

塩の道から少し外れたところの、民家のオーナーと若者が経営するゲストルーム「梢の雪」を宿に選んだ。周りにあるのは緑だけ。廊下にポツンと座って静かに時を過ごす。それだけでここを選んだ甲斐があったと思った。しかし、満足感はさらに高まった。

夕食前に宿の周りで食材の採集。その後、車で近くの温泉で日帰り入浴の送迎。宿に帰ると囲炉裏を囲んで皆で夕食。夜は雑魚寝。翌朝は近所の養鶏場でうみたての地鶏の卵を確保し、新緑を愛でながら風を感じながら卵かけご飯の朝食。

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2017年5月21日 風を感じながら 長野県/北安曇郡小谷村中土 「塩の道トレイル」

 

一人の人間が見られるもの、行ける場所は地上のごくわずかしかない。だからこそ私はその地に自分の足で立ち、見て聞いて感じて考えて生きていたい。そうやって私は自分の一生を過ごしたい。

  「途上の旅」 若菜晃子/KTC中央出版

記憶のかけら–ホスピタレーロ

スペインやポルトガルのAlbergue、フランスのGite等の巡礼宿では従業員、少人数で運営されている。そこではそういった方々と直接接しながら半日を過ごす。従って彼ら、特に中心になっている方と過ごした時間の記憶はいつでも蘇ってくる。

 

アストルガから標高差500mのフォンバセドン(標高1,400m)は廃村から蘇った。そこではホスピタレイロが一人で切り盛りしているキリスト教区のアルベルゲにベッドを確保できた。受付をする彼の側には松葉杖。怪我をしたとの事で、麓の村での食材調達、調理、配膳、後片付け、全て宿泊する巡礼者が粛々とこなしている。暗黙のうちに。彼は黙ってそれを見つめている。なんとなくキリストの眼差しを思わせる。加われない自分がもどかしい。翌朝、donativoの為10ユーロを入口脇の寄付箱に入れて宿を出る。

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2012年9月20日 Albergue Domus Dei スペイン/Foncebadon 「フランス人の道」

 

巡礼の帰路、電車・バスでポルトガルを北から南まで銃弾旅行をした。途中立ち寄ったギマランイスは街の入口の壁に「ここにポルトガル誕生す Aqui Nasceu Portugal」とある。初代国王の生誕地である。宿は客室11室の小規模ホテルで、夫婦で経営している。夕食前に1時間に亘りこの街について熱く語ってくれた。私がどれだけ理解したかは問わずに。自分の住む街にいかに誇りを持っているかが伝わり、翌日のまち歩きは非常に意味深いものになった。ポルトガル旅行にはおすすめの街、そして宿!

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2013年5月28日   Residenciai das Trinas  ポルトガル/Gimaraes after「ポルトガルの道」

 

ナヴァランクスは歴史は1世紀まで遡るが、16世紀に要塞都市として整備された。ガイドブックに唯一日本語が通じる巡礼宿とあり、即宿泊を決めた。迎えた主人は「以前、日本人が働いていたが帰国した為、日本語は通じない」と言う。

ところが、再び現れた時には鉢巻に日本刀の武士の出立ち。そして、夕食の料理の上には日の丸と”良い方法”との文字が。意味不明であるが気持ちが十分に伝わった。他にもフランス人の宿泊客もいたが、最上級と思われる部屋が提供された。

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2018年6月6日 L'Alchimiste-Accueil benevole de pelerins (錬金術師の家)

                     フランス/Navarrenx 「ル・ピュイの道」

 

熊野古道伊勢路」の馬越峠を越えたところに教職にあったご夫婦が営む宿「山帰来 アルベルゲ」で一夜を過ごした。別棟を利用した1日一組の家庭的な宿である。その名に惹きつけられ宿泊を決めた。夕食の際、名前の由来がサンチャゴ巡礼の経験にあったと聞き、共通の話題で遅くまで話し込んだ。翌朝、又の出会いを訳して宿をでた。

晩秋の熊野古道を歩きたいと、11月に「小辺路」の一人旅に出かけた。帰路「伊勢路」を逆に歩き、約束通りアルベルゲへ・・・なんと、夕食はお呼ばれ。ご主人を交えて酒を酌み交わしながら、前回語り残した話をしながら時を過ごした。

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2016年5月15日 山帰来(山の喫茶・アルベルゲ) 三重/尾鷲市熊野古道 伊勢路

 

一人旅の目的は行き先ではない。自分に出会う旅そのものが目的でいい。

旅に出かけず、いつもの道を歩いていても発見はある。  

 「自分勝手で生きなさい」 下重暁子/マガジンハウス

 

 

記憶のかけら–宿

国内外で様々な宿のお世話になった。宿も旅の大きな要素である。宿を選ぶ時、その土地の歴史や生活を窺わせる宿を選ぶ。しかし、年金頼りの長旅ゆえの制約からやむをえず安宿に頼りがちになる。当たり外れはあったが、多くの宿は何らかの記憶として思い出せる。

 

スペインでは、アルベルゲ(公営、民営の巡礼宿)からパラドール(国営ホテル)まで宿を選択できる。多くの人は料金が安く、一定のサービスレベルが確保されている自治体、教会、修道会運営の公営アルベルゲを利用する。予約不可の先着順、連泊不可、消灯時間、ドミトリータイプの2段ベッド、共同バス・トイレ等の制約がある。ただし、世界中からの巡礼者とのフランクなコミュニケーションは何ものにも変え難い。

牛追い祭りヘミングウェイの「陽はまた昇る」で知られるパンプローナの宿はなんと教会のリノベーションであった。どんな夢を見るかと眠りについたが、疲れのためもあり熟睡の後に目覚めた。5ユーロでは望みが大きすぎたか。

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2012年9月3日 Albergue de Jesus y Maria  スペイン/Pamplona 「フランス人の道」

ポルトガルでは巡礼者が多くないせいか巡礼宿は少ない。そこで、消防署などの公共施設も巡礼者を受け入れている。ある街でキリスト教関係の老人ホーム”Santa Casa da Misfricrdia(慈悲の聖なる家)"のお世話になった。フランス人とイタリア人との相部屋であるが、清潔でゆったりとしており全く問題なし。ミサの後、食堂で入居者と共に夕食をいただく。料理は美味しかったが、当然ながら量が少なかった為外のレストランで足らず前を補給する。老人達に囲まれて穏やかな半日を過ごした。言葉の問題はあるものの、地元の人達の様々な生活に触れることも我が旅の大事な要素である。因みに、日本人は昨年二人1組、今年は私が二人目とのことであった。

天才バカボンではないが、「これも良いのだ」。

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2013年5月15日 老人ホーム泊 ポルトガル/Sao Joao da Madeira 「ポルトガルの道」

 

ブログであるGite(巡礼宿)を知った。アルマニャックのカーブを持つ農家宿である。ぜひにと、途中のツーリズモから予約を入れた。

周囲には葡萄畑が広がり、あちこちで色々な動物がうろつくのどかな農家宿である。夕食前、カーブに集まった宿泊者の前で主人が誇らしげに解説を説明をする。ほぼ理解不能。次々とブランディーやワインが振る舞われる。大いに受容可能。その後、食堂で経営者夫婦と共に夕食が始まる。隣接のキッチンではご両親も食事をしている。フランスの農村生活を垣間見た。因みに、一泊二食32.5ユーロであった。

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2018年5月31日 GIte-Accueila a la Ferme フランス/Tollet 「ル・ピュイの道」

 

熊野古道紀伊長島で材木商が材に拘った築50年の古民家で一夜を過ごした。NPO法人が運営する宿泊施設。県会議員で保育園を経営する方が邸内を案内してくれる。そこここに気の香りが漂っている。定員10名ながら当日は2名で、洋室仕立ての一番良い部屋を提供された。素泊まり六千円であった。個人的には納得であった。

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2016年5月15日 ゆうがく邸 三重/紀伊長島熊野古道 伊勢路


ヴィンテージというのは、ブドウの収穫(年)をあらわす言葉で、この年のワインは出来がよいとか悪いとか、当たり年だとか外れだとか言って比較することが多いが、私は、これも比較して優劣を競うものではなく、ヴィンテージとはその年の気候を記憶する指標であると考えている。

たとえば2019年は、白と赤の収穫の間122日間だけ雨が降り、それが千曲川を氾濫させた。あの自然の力を思い出させるヴィンテージだと。

 「明けてゆく毎日〜」  玉村豊男/天夢人

記憶のかけら–路地

旅先の宿泊地では地図を片手に気の向くままに歩き回る。これが私の一人旅の大きな楽しみである。

 

コルドバユダヤ人の姿も観光客も見当たらないユダヤ人街に迷い込んだ。

「1236年キリスト教徒はコルドバを奪回したが、イスラム文化を拭い去ることはできなかった。白壁の家々が続く旧ユダヤ人街を抜けて、メスキータまでの道を歩くだけでも、この町がたどってきた跡を見ることができる。」(地球の歩き方 スペイン)

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2012年10月1日 コルドバユダヤ人街 スペイン/Cordoba after「フランス人の道」

 

スペインからモロッコへの日帰りツアーを見つけ、アルヘシラスから寄り道で地中海を横断した。スークを彷徨いたいとのかつてからの願いが叶いタンジェを訪れた。気ままな一人歩きではなくガイドの後を歩く。でも、満足のゆく数時間をラビリンスで過ごせた。観光客で賑わう商店街から静まり返った住宅地に入る。先住民のベルベル人の女性が建物の入り口に・・・。何を思うか。アラブ人が多数を占める現在でも文化的な独自性を維持しているそうだ。

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2015年7月7日 タンジェのスーク   モロッコ/Tangier after「銀の道」

 

映画「過去を持つ愛情」の中でアマリア・ロドリゲスが「暗いはしけ」を歌った港町ナザレで一夜を過ごした。宿は大西洋に面する長い砂浜に沿って広がるブライア地区である。翌朝、宿の前に伸びる遊歩道を往復する。砂浜の櫛状の影は砂浜に向かって延びる路地で成り立っているまちを描き出している。ドローンが無くてもまちの佇まいがイメージできる。

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2013年6月3日 ナザレの街並み  ポルトガル/Nazare after「ポルトガルの道」 

 

サントフォア修道院の佇む山間の村はその形が帆立貝に似ていることから”コンク”と名付けられたそうだ。斜面に沿って瀟洒な民家が続く。その小道を繋ぐ路地の路地に無言ながら思わず「カワイー」と呟いてしまう。

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2018年5月17日 コンクの路地の路地  フランス/Conques「ル・ピュイの道」

 

テレビの街歩き番組で銀座裏路地を見かけた。これは見逃せないと早速出かけた。建物の間にそれらしきた隙間を見つけては闖入を試みる。

銀座には買い物客達が歩く表通りの他に裏路地が存在する。明治5年の大火後に出来たレンガ街の骨格の遺産である。空調ダクト、配線、そしてゴミ箱等が表の顔を支えている。お稲荷さんも鎮座している。通の通う飲食店も見かけ、夕暮れが迫るとそれらしき人が吸い込まれてゆく。怪しげな隙間を見つけたら、ちょっと入り込んでみては・・・

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2019年7月25日 裏銀座  東京/銀座7丁目 「まち歩き」

 

ただ、「やっぱり東京はいいよ」とか「考えてみれば東京に出てきて◯年になるんだなあ」と口にするときの東京が、決して地図に赤い首都マークのついた場所でないことだけは分かるのだ。とすれば、その東京はどこにあるのか。歩き回っていれば、いつか見つかるか。それとも、そんな場所、初めからどこにもないのか。

 「オリンピックにふれる」 吉田修一/講談社

記憶のかけら–ユージンホール

昨日、六本木のTOTOギャラリー"間"「妹島和世西沢立衛/SANAA展」、”フジフィルムスクエア”「ユージン・スミス写真展」、更には銀座の”ギャラリー・グラフィック・ギャラリー”日本のアートディレクション 2020-2021」と私にとっての至福の1日を過ごした。

アメリカの写真家ユージン・スミスは従軍記者として沖縄に赴き、瀕死の重傷を負った。絶望の縁で撮影した幸福の情景「楽園への歩み」が彼の代表作である。

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「楽園への歩みThe Walk to Paradise」William Eugene Smith 1946

 

旅の途上で収めた数枚の写真は、この作品からのインスピレーションに基づく。私は勝手に”ユージンホール”と名付けて、イメージを膨らませている。

 

足摺岬に向かう散り椿の遍路みちを歩いて行く前方にユージンホールが現れた。私もやがては訪れるであろう冥土への入り口だろうか。

葉室凛の時代小説「散り椿」は映画化された。

采女は「散る椿は残る椿があると思えばこそ、見事散っていけるのだ」との言葉を言い残している。

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2012年3月11日 足摺岬へ 高知県土佐清水市「四国遍路」

 

スペインの片田舎。昼前だから老人は朝の一仕事を終え、ユージンホールを抜けて家路に向かっていたのであろう。家では日常のシエスタが待っている。

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2014年6月3日 Soto de Luina 〜Cadavedo スペイン「北の道」

 

5月のポルトガルの日差しは心地よい。日除けを兼ねた葡萄棚の出番はもう少し先だ。疲れからなのか俯きながら歩む巡礼者達をユージンホールが待ち受けている。暗くて見通しが効かない。しかし、スペイン国境は近い。

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2013年5月20日 Barcelos〜Ponte de Lima ポルトガルポルトガルの道」

 

「ル・ピュイの道」巡礼最終日のバスク道。緑のトンネルの続く先に見えるユージンホールは私にとっての足かけ七年にわたるサンチャゴ巡礼からの出口となった。その先の

見通しがないままに

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2018年6月9日 Ostabat フランス「ル・ピュイの道」

 

「僕の一生の仕事は、あるがままの生をとらえることだ」 ユージン・スミス

  「楽園への歩み」 土方正志/佑学社

  

記憶のかけら–歴史的標識

巡礼路には巡礼者のための道標以外にも様々な標識に出会う。その中でも過去を刻むと思われる標識は、歴史に興味を覚える者を、長時間の歩行による疲れや単調な時間の流れを忘れさせる歩き旅へと誘ってくれる。。

 

高野山から始まる熊野古道小辺路」を歩くにあたり、南海高野線九度山駅に降り立った。この地を選んだのは大河ドラマ絡みではない。弘法大師の母君は晩年この地の慈尊院に移り住んだ。大師のいる高野山は女人禁制の為、大師自らが母君に逢いに通ったそうだ。その道は「町石道」と言われている。約24kmの参詣道の路傍には今でも一町(約109m)ごとに設置された打たれた”町石”が静かに佇んでいる。

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2016年11月7日 和歌山県高野山町町石道  熊野古道小辺路

 

スペインの「銀の道」にはローマ帝国の足跡が数多く残されている。Capparaの古代ローマ都市遺跡にはローマ街道、凱旋門そしてマイルストーンが残されていた。今では抽象的なビジネス用語となっている”マイルストーン”を目の前にして大きな感動を覚えた。ちなみに、1マイルは約1.6kmである。

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2015年6月5日 Caparra  スペイン「銀の道」

 

ポルトガルにもローマ街道が南北に縦断している。しかし、その遺構らしきものはあまり見かけない。新しいが気になる標識が目に止まった。ローマからの距離のマイル数をを示したものらしい。我流で翻訳すると「”ローマ街道 19”   33マイル」となるが?

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2013年5月21日 Rubiaes ポルトガルポルトガルの道」

 

線路脇の小道を歩いていた。フランス語でも止まれはstopなのだ。「150m先に踏切があるから一旦停止」と理解して進む。左の曲がると線路に出会った。しかし、線路上には雑草が生い茂っている。廃線跡らしい。でも標識の新しさが気になる。先々レールが取り外された後に、この標識をみた人は何を思うのだろうか。それにしても蒸気機関車はいい。

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2018年6月3日 Aire-sur-l'Adour  フランス「ル・ピュイの道」

 

It is not where it is or what it is that matters but how you see it.

重要なことは、どこで見たとか、何をみたとかということではなく、どのように見たかということだ。

  「ソール・ライターのすべて」 ソール・ライター/青幻社