記憶のかけら–ホスピタレーロ

スペインやポルトガルのAlbergue、フランスのGite等の巡礼宿では従業員、少人数で運営されている。そこではそういった方々と直接接しながら半日を過ごす。従って彼ら、特に中心になっている方と過ごした時間の記憶はいつでも蘇ってくる。

 

アストルガから標高差500mのフォンバセドン(標高1,400m)は廃村から蘇った。そこではホスピタレイロが一人で切り盛りしているキリスト教区のアルベルゲにベッドを確保できた。受付をする彼の側には松葉杖。怪我をしたとの事で、麓の村での食材調達、調理、配膳、後片付け、全て宿泊する巡礼者が粛々とこなしている。暗黙のうちに。彼は黙ってそれを見つめている。なんとなくキリストの眼差しを思わせる。加われない自分がもどかしい。翌朝、donativoの為10ユーロを入口脇の寄付箱に入れて宿を出る。

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2012年9月20日 Albergue Domus Dei スペイン/Foncebadon 「フランス人の道」

 

巡礼の帰路、電車・バスでポルトガルを北から南まで銃弾旅行をした。途中立ち寄ったギマランイスは街の入口の壁に「ここにポルトガル誕生す Aqui Nasceu Portugal」とある。初代国王の生誕地である。宿は客室11室の小規模ホテルで、夫婦で経営している。夕食前に1時間に亘りこの街について熱く語ってくれた。私がどれだけ理解したかは問わずに。自分の住む街にいかに誇りを持っているかが伝わり、翌日のまち歩きは非常に意味深いものになった。ポルトガル旅行にはおすすめの街、そして宿!

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2013年5月28日   Residenciai das Trinas  ポルトガル/Gimaraes after「ポルトガルの道」

 

ナヴァランクスは歴史は1世紀まで遡るが、16世紀に要塞都市として整備された。ガイドブックに唯一日本語が通じる巡礼宿とあり、即宿泊を決めた。迎えた主人は「以前、日本人が働いていたが帰国した為、日本語は通じない」と言う。

ところが、再び現れた時には鉢巻に日本刀の武士の出立ち。そして、夕食の料理の上には日の丸と”良い方法”との文字が。意味不明であるが気持ちが十分に伝わった。他にもフランス人の宿泊客もいたが、最上級と思われる部屋が提供された。

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2018年6月6日 L'Alchimiste-Accueil benevole de pelerins (錬金術師の家)

                     フランス/Navarrenx 「ル・ピュイの道」

 

熊野古道伊勢路」の馬越峠を越えたところに教職にあったご夫婦が営む宿「山帰来 アルベルゲ」で一夜を過ごした。別棟を利用した1日一組の家庭的な宿である。その名に惹きつけられ宿泊を決めた。夕食の際、名前の由来がサンチャゴ巡礼の経験にあったと聞き、共通の話題で遅くまで話し込んだ。翌朝、又の出会いを訳して宿をでた。

晩秋の熊野古道を歩きたいと、11月に「小辺路」の一人旅に出かけた。帰路「伊勢路」を逆に歩き、約束通りアルベルゲへ・・・なんと、夕食はお呼ばれ。ご主人を交えて酒を酌み交わしながら、前回語り残した話をしながら時を過ごした。

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2016年5月15日 山帰来(山の喫茶・アルベルゲ) 三重/尾鷲市熊野古道 伊勢路

 

一人旅の目的は行き先ではない。自分に出会う旅そのものが目的でいい。

旅に出かけず、いつもの道を歩いていても発見はある。  

 「自分勝手で生きなさい」 下重暁子/マガジンハウス