記憶のかけら–私の先達

一人旅ではその行動を自分の判断に依存することになる。巡礼路には多くの人の手によるある約束事に従って聖地までの導きとなる標識が整備されている。その標識こそ私の先達さんです。決して一人旅ではないのです。

 

2016年11月13日 八鬼山道 熊野古道伊勢路

伊勢路」では地元の方々の努力で参詣路の整備が続いている。標高628mの八鬼山越は峠越えの連続する「伊勢路」最大の難所と言われている。しかし、一丁(108m)ごとに標柱が整備されており、その標柱を追って歩いているうちに63番目の標識の前に立っていた。7km弱の山行であった。

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2012年9月5日 Los Arcos スペイン「フランス人の道」

スペインでは街に入ると足元に帆立貝のマークが続き宿舎のある旧市街へと案内してくれる。

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2012年9月19日 Astorga スペイン「フランス人の道」

市街地から出ると矢印が声をかけてくれる。ルート上の視線の先に頻繁に現れる上、鮮明な黄色がいやでも目に入り、フォローしてゆけばルートを外れることはない。手書きのカジュアル感が歩き疲れた心身をなごましてくれる。時には、いくら歩いても矢印が見当たらない。周りには誰一人人影が見当たらない。やっとのことで地元の人に巡り会えた時の喜びは、ある意味一人旅の醍醐味である。

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2013年5月11日 Rabacal ポルトガルポルトガルの道」

ポルトガルでは標識を頼りにしなくても、集落を縫って歩けばルートを外れる事はない。そのせいかまとまった標識はなく、帆立貝をあしらった絵柄のものがちらほら目に付く。材料はアズレージョのお国なのでタイルを使ったものが目立つ。

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2018年5月26日 Montlauzun フランス「ル・ピュイの道」

フランスの巡礼路にはナンバーが付けられている。「ル・ピュイの道」はG65である。標識としてはそのナンバーより絵柄の方が頼りになる。長方形に白赤白の3段に色分けされている。道路が分岐するところでは旗竿がつき進行方向に旗が靡いている。その大きさや掲示場所などやや視認し難い。しかし、フランスらしくスマートにこなしている。

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でも、私はこの人達のことを何も知らない。互いに羨ましいと思い合い、ほんの一時、言葉を交わすだけだ。それでもいろんな人が、知らない場所で生きているのを見たとき、ホッとする。勇気づけられる。一人だからこそ、一人じゃないんだと感じられる。毎回、私はそれを確かめに一人旅をしているんだと思う。

 「旅を栖とす」 高橋久美子/角川書店

記憶のかけら–道の風景

歩きの旅では周囲の風景をありのままに楽しむことができる。周囲の風景は地理的条件で変化する。しかし、時には歩きのスピードでは風景との間にズレが生ずる。その時には一時その風景から離れ自分の世界の中で歩き続ける。その時、地理とのズレが生じ道に迷うことがある。それも旅の一部である。

 

2016年5月21日 和歌山県小雲取越 熊野古道「中辺路」

熊野速玉大社、熊野那智大社、そして熊野本宮大社とめぐる。那智大社本宮大社を結ぶ古道は標高800〜1,000mの尾根道で、熊野路随一の難所と言われている。”雲を掴むような眺め”から大雲取越、小雲取越と名付けられている。周りの景色が開ける「百間ぐら」からの眺望にその命名に納得させられる。木漏れ日の山道を疲れを覚えず黙々と進む。

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2012年9月13日 Burugos〜Carrion de los Condes    スペイン「フランス人の道」

世界遺産都市ブルゴスを過ぎるとメセタと名付けられた広大な乾燥高原に入る。ガイドブックには「カスティージャの質素な大地が始まる」とある。微高地に登り振り返るとまさに質素である。しかし、360度の地平線と大きな青空は値千金である。

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2013年5月16日 Sao Joao da Madeira〜Porto  ポルトガルポルトガルの道」

イベリア半島にはローマ帝国イスラムの痕跡が色濃く残されている。ポルトガル第二の都市ポルトに入る手前の標高240mへの登り道はcalzada romanaローマの歩道である。30キロの道のりを歩き、疲労の溜まった頭にローマ軍の進軍の足音が響いてくる。

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2018年6月1日 Tollet〜Eauze     フランス「ル・ピュイの道」

田舎を歩いているとフランスは農業国である事を実感する。食料自給率の低い日本の実態を考えると羨ましい限りである。道の左右に展開する広大な畑を眺めているうちに疲れが遠のいてゆく。時には巡礼路は畑の中へと繋がってゆく。葡萄畑の中を歩いていると、今フランスいると強く感じる。

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旅をしながら、あれこれと、考える時がありますね。脇に人がいたらきっと話したくなること、それを振り返って、私の一人旅の決算として書いています。

  「旅する知」 船曳建夫/海竜社

 

 

 








記憶のかけら–石の道

私の巡礼旅は歩きの旅である。従って四六時中道と付き合いながら進む。基本一人歩きのため道はいい話し相手でもある。石の道はさまざまな表情を見せてくれる。

 

2016年5月17日 加田〜熊野市  熊野古道伊勢路

熊野古道伊勢路」は海に迫る山地の峠越えの連続である。雨が多い土地柄から土砂の流出を防ぐため山道はほぼ石畳である。長い年月をかけて造り上げられたため、その時代時代で道幅や路面の表情が異なる。その変化を楽しみながら辛い山道をクリアしてゆく。

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2015年6月7日 Fuenterroble de Salvatierra  スペイン「銀の道」 

銀の道はローマ帝国軍がイベリア半島を北上する際に建設したローマ街道を縫いながら伸びる。街道はその後も北部の銀をはじめとした資源や物資を運んだ重要な流通インフラであった。学術都市サラマンカを間近にした小さなまちで、道路の断面の構造を見せる形で残していた。遺跡には方々で出会ったが、このような形での保存は興味深いものであった。あまりにも綺麗な断面なので、多分本物と思うが・・・・

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2013年5月15日 Agueda  ポルトガルポルトガルの道」  

ポルトガルの道は街に入るとピンコロ舗装となる。街中では表面は平滑で歩きにくさは感じない。しかし、まち外れになると表面の仕上げが雑となり足首に負担がかかる。道路脇の草地によけると、草に隠れた小石でやはり歩きにくい。そこで舗装と草地の間の細い砂地をモデルウオーキングで歩く。

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2018年5月23日 St-Cirq Lapopi  フランス「ル・ピュイの道」 

近代化によって消滅の危機にある小さな村を保護し、活性化させる目的で”フランスの最も美しい村”の認定制度がある。今では”最も”と言いながら162の村が認定を受けている。その一つS t-Cirq Lpopi は巡礼路から片道4キロの寄り道となるが、最も”最も”に近い村との思いから立ち寄ることとした。セレ川沿いの道を進むと川沿いの岩壁を抉った道に出会う。その壁面は作者はわからないがアート作品となっている。フランスである。

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熊野は海と山がとても近い。その狭間に人の営みが細く長く続いている。

 「真夜中のカーボーイ」 山田五郎/幻冬社

 

記憶のかけら-出発

2012年から2018年の7年間、国内外の巡礼路や街道を一人で歩き旅をしてきた。その後、体力・気力を考えまち歩きに切り替えた。その時の記憶が時の流れに連れて薄れてゆくことを考え、写真を取り続け今では一万枚弱に達してる。しかし、今回のコロナ禍でそのまち歩きもままならぬ状態になった。そこで、記憶のかけらに過ぎないその写真を頼りに、バーチャルの歩き旅・まち歩きを繰り返している。その一端を「記憶のかけら」と題してブログにアップすることとした。。生来の自分勝手な性格ゆえ、他人には興味ないもの、あるいは正確さを欠く表現等が散見されると思う。 

 

2012年2月13日 徳島県鳴門市

リハビリによる膝痛の回復度を調べようと四国八十八ケ所遍路旅を思い立った。出発地は四国第一番札所竺和山(じくわさん)一乗院霊山寺である。少なからずの緊張感を持って門前に立った。仁王さんの前に白装束の女性巡礼者が佇んでいる。近寄ってよく見るとマネキンである。ここで身の回りを整えて巡礼を始めてくださいとの呼びかけであった。緊張感が萎えてきたことを今でも覚えている。

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2014年5月22日 Irun スペイン

サンチャゴ巡礼「北の道」の出発地はカンタブリア海に面した国境の街Irunである。街中のなんでもない橋を渡るとそこはフランスであった。国境を超えたとの証がないものかと周りを見回した。白い壁に”FRANCE”の文字が目に入った。

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2013年5月3日 Lisba ポルトガル  

リスボンのセント・ジェイムス大聖堂からサンチャゴ巡礼「ポルトガルの道」を歩き始める。私はクリスチャンではないが、とりあえず旅の無事を祈って祭壇の前で深く頭を下げる。表に出て大聖堂の角の階段を降りようと足元を確認した。行先を示す黄色の矢印が私を導いてくれた。

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2018年5月9日 Le Puy-en-Velay フランス

突然の交通ストの最中、サンチャゴ巡礼「ル・ピュイの道」の出発地ル・ピュイ・アン・ヴレにたどり着いたついた。早朝、ノートルダム大聖堂のミサに参列した。フランス人を中心とした巡礼者の中で、私は日本から来た”オンリーワンの巡礼者”として紹介された。ささやかな誇らしさを覚えた。床の扉が開かれ階段が現れた。その階段を降って巡礼者たちは三々五々長い巡礼路に足を踏み入れた。

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自分勝手とは、相手の自分勝手も尊重することだ。

夫婦も家族もしょせん他人、最後まで付き合うのは自分自身だ。尽くさず、尽くされないくらいの間柄で、自分勝手に生きるほうが、心と体の健康に良い。

  「自分勝手で生きなさい」 下重暁子/マガジンハウス

 

 

上野で出会った橋

東京都美術館で「Walls & Bridges  壁は橋となる」と題した展示会が開催されていることを知った。自らを取り巻く障壁を、表現への飽くなき情熱により、展望を可能とする橋へと変えた国内外の五人のつくり手たちの作品を紹介するとある。壁とは、そして橋とはなんだろう。確かめたくなり上野に出かけた。

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主展示場では「ゴッホ展」が開催されていた。しかし、そちらには特段の食指は動かされず会場のギャラリーに直行した。ゴッホにはこれまであちこちで出会っていたが、五人の作り手には出会った事がないし、今後出会えるかどうか分からない。

リトアニアに生まれ、難民キャンプを転々とし、ニューヨークへ亡命したジョナス・メカスさんは中古の16ミリフィルムで身の回りを撮影した。撮影した数々の「日記映画」を3コマの写真で紹介している。

解説文には「記憶は映像に残すことができないとメカスは語る。確かに記憶は目には見えない。しかし果たしてメカスの映像に宿る私たちの記憶に触れる何かも、目には見えないものだろうか?」とあった。

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増山たず子さん。故郷の岐阜県徳山村とその村民を記録するため、還暦を過ぎてから28年間にわたって撮影した10万カットにも上る写真を残している。

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写真と共に彼女の著書「ふるさとの転居通知」の中の文章も展示されていた。

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写真より文章にすっかり引き込まれ、立ち止まって何度も読み返した。彼女の没後、ダム建設により村は消滅したそうだ。

 

シルヴィア・ミニオ・パウエルオ・保田さんはイタリアのサレルノで生まれた。将来を嘱望された作り手であったが、彫刻家の夫を支え、家事と育児の合間に寸暇を惜しんで彫刻と絵画の制作に勤しんだ。生涯に残した作品は教会などから依頼されたブロンズ像など数少ない。

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制作はスペースの限られた自宅の為小さなものが多い。高価な材料には全くこだわりが無く、まな板を用いた木のレリーフやチラシを使った素描のコラージュ。その素描のコラージュは、彼女の死後その軌跡が人知れず消えてゆくことを恐れた夫がスケッチブックや紙片を整理して美術館に寄贈したそうだ。

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ズビニェク•セカルはチェコスロバキアプラハで生まれ、反ナチ運動に関わり、強制収容所で4年間過ごし、後にウイーンに亡命した。60歳を過ぎてから制作を始めた箱状の作品は、強制収容所での想像を絶する体験ー死にまつわる記憶ーを収めた箱であったろうか?とある。

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東勝吉はきこりを生業とし78歳で老人ホームに入所した。園長から水彩絵具を贈られたのを契機に由布岳などの風景を描き始めた。その時、83歳、要介護2であったそうだ。力強く、色彩鮮明な作品は見ているものに力を与えてくれる。

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99歳で亡くなるまでの16年間に100余点の作品を残している。

 

解説文に”異なる生き様から生まれた作品のアンサンブルには、「記憶」という言葉から導かれる不思議な親和性があるように思われる。”とあった。

これまでの私の人生の中でどんな壁に直面してきただろうか。そして、その壁を現在の自分への橋となしてきただろうかと今でも考え続けている。

帰路、湯島の文化庁国立現代建築資料館に立ち寄る。丹下謙三の前半生を回顧・検証する「丹下謙三 戦前からオリンピック・万博まで 1938〜1970」と題する展示会で時間を過す。時の流れをつくづくと感じさせられた。

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不要不急の百貨店

9月24日、毎年出かける日本橋三越本店の「日本伝統工芸展」に今年も足が向く。まずは日本橋の先の墨田区横川の「たばこと塩の博物館」まで足を伸ばす。最寄りの地下鉄本所吾妻橋駅を地上に出ると目の前に東京スカイツリーが聳え立っている。

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私の旅の決め事として、訪れたところでは可能の限り高いところからの眺望を、その”まち”の記憶として脳内に刻み込む。東京転勤時には何はさておき東京タワーに上がった。しかし、このスカイツリーにはなんとなく食指が動かない。だが、街歩きの途上で垣間見えるその姿には興味を持って見入っている。

博物館への途中の嘗ては重要な流通路であったであろう旧大横川は水路は分断され、名ばかりの大横川親水公園と化している。区営の無料釣り堀では私同様巣篭もり逃避の高齢者で賑わっている。

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博物館は渋谷から移転してきたこととは関係ないとは思うが、周囲の風景と不釣り合いな佇まいを感じさせる。

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展示は、日本におけるモダンデザインのパイオニアとして知られる杉浦非水(1876〜1965)の「杉浦非水 時代をひらくデザイン」である。

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三越呉服店図案部初代主任を務め、彼の手がけたポスター等はほぼ1世紀後の今日の三越にも通じるものを感じさせる。私にとって年齢的にはほとんど馴染みのないアーティストであるが、その構図や色使いには全く古さを感じさせない。

 

常設店では本業のたばこと塩関連の展示があり、嘗てスモーカーであった私であるが、今では懐かしさを覚える展示である。。

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我々は塩は海のものだとの思い込みがあると思うが、展示の中では岩塩が幅を利かせており認識を新たにする。

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日本橋三越本店に向かう。「日本伝統工芸展」は文化庁他の主催で

「伝統工芸は、単に古いものを模倣し、従来の技法を墨守することではありません。」

「歴史上、もしくは芸術上特に価値の高い工芸技術を、国として保護育成する。」

との主旨のもと、昭和29年以来、陶芸、染色、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の7部門の入選作品の展示を行っている。

高い技術力や洗練された芸術的センスを満喫できる。受賞作品にはさすがと思わせられたが、ここではそれに囚われず私に何かを訴えかけてきたと思った作品を紹介する。

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陶芸部門のこの作品にスペインの片田舎での夕焼けを思い起こした。

 

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木竹工のこの作品は形と色に見惚れてしまった。

 

 

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見る角度で変化が楽しめる漆芸である。

 

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華やかさは無いが、しみじみとした気持ちにさせられた。

鑑賞は楽しめたが、駒場日本民藝館の民芸品で感じた生活感を感じさせるものがないのに物足りなさを覚えた。

 

「私はこう思う」という言い方と、「私はこう考える」という言い方は、普段あまり区別されません。「思う」とは主観的な行為で外からは理解できないこともありますが、「考える」ことは客観で外から理解できます。  小林康生(和紙職人)

  「くまの根」 隈研吾編/東京大学出版会

 

不要不急の神話の世界

テレビの街歩き番組で紹介された神楽坂の”象の滑り台のある児童公園”を訪れ、この場で取り上げたことがあった。今回、テレビで見かけた”神話の世界へと誘う広場”を何はさておきと出かけることとした。

9月15日、都営新宿線市ヶ谷駅で地下鉄を途中下車した。街歩きの一環として地方公共団体や大学等が実施するシンポジウムや展示会に足繁く通っていたが、コロナの影響で中止が相次いでいる中、有り難くも法政大学から展示会とシンポジウムの案内が届いた。

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キャンパス内にはほとんど学生は見当たらない。昨年まで頻繁に訪れ勝手知ったる校舎内の四箇所の展示場を渡り歩いた後学食で昼食を摂った。従業員のおばさんも手持ち無沙汰の様子で話し相手になってくれる。

展示の中で目を引いたのは本郷の東大一帯の旅館をプロットした地図。

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解説には「明治40年の全盛期には500軒を超えたといわれる下宿屋は、交通網の発達や全国からの修学旅行の活性に伴い旅館街へと変化を遂げました。昭和50年には120軒ほどもあった旅館も今では5軒にも満たなくなっています。」とある。朧げな記憶で高校の修学旅行の宿はこの中の一軒だったであろうとはるか昔を懐かしんだ。

後日、二日間ZOOMで関連のシンポジウムを視聴した。

都営地下鉄三田線に乗り継ぎ白河駅で下車し、約2キロ先の目指す広場に徒歩で向かう。その広場は徳川光圀の弟を藩祖とする陸奥森山藩松平家の旧上、中屋敷跡一角を占める窪町東公園内にあった。江戸三名園の一つに数えられた”占春園”も残されていたが、その面影を感じ取れる状態ではない。

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広場に到着すると怪しげな彫刻が数体並んでいる。文京区がドイツのカイザースラウテルン市と姉妹都市縁組を結んだ記念に公園の一角を「カイザースラウテルン広場」として整備し、そこに同市の彫刻家ゲルノト・ルンブフ氏夫妻が製作した作品を設置している。

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我々にとっては一見して異様な動物たちに見えるが、ドイツでは馴染みのあるものたちであろう。像にはそれぞれメッセージが込められている。

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馬に見えるのは伝説上の動物のユニコーンで「偉大な力」を象徴している。

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魚は市の紋章にもある「幸運のシンボル」。日本人に親しみのある鯉のイメージを重ねている。単なる鑑賞のための作品ではなく子供たちにとっては遊具にもなっている。フリードリッヒ一世も遊び仲間である。

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「地球が発展してきた歴史の起源」や「太古と日本文化の源」を象徴するアンモナイト。歯車は「日本のテクノロジーとその急速な発展」だそうだ。

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渦巻きはカタツムリで「進化」を示し、「静寂と瞑想」という内面性も表現している。現物を目の前にしていると徐々ににではあるがなんとなく伝わってくるものがある。はるばるやって来た甲斐があった。いいものに出会えた。

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途中、小石川植物園の長い脇道を通る。往路は短調さを感じて歩いたが、帰路は太陽光の加減で塀の上のパンチングメタルから透けて見える内部の緑を楽しみながら歩いた。