記憶のかけら–路地

旅先の宿泊地では地図を片手に気の向くままに歩き回る。これが私の一人旅の大きな楽しみである。

 

コルドバユダヤ人の姿も観光客も見当たらないユダヤ人街に迷い込んだ。

「1236年キリスト教徒はコルドバを奪回したが、イスラム文化を拭い去ることはできなかった。白壁の家々が続く旧ユダヤ人街を抜けて、メスキータまでの道を歩くだけでも、この町がたどってきた跡を見ることができる。」(地球の歩き方 スペイン)

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2012年10月1日 コルドバユダヤ人街 スペイン/Cordoba after「フランス人の道」

 

スペインからモロッコへの日帰りツアーを見つけ、アルヘシラスから寄り道で地中海を横断した。スークを彷徨いたいとのかつてからの願いが叶いタンジェを訪れた。気ままな一人歩きではなくガイドの後を歩く。でも、満足のゆく数時間をラビリンスで過ごせた。観光客で賑わう商店街から静まり返った住宅地に入る。先住民のベルベル人の女性が建物の入り口に・・・。何を思うか。アラブ人が多数を占める現在でも文化的な独自性を維持しているそうだ。

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2015年7月7日 タンジェのスーク   モロッコ/Tangier after「銀の道」

 

映画「過去を持つ愛情」の中でアマリア・ロドリゲスが「暗いはしけ」を歌った港町ナザレで一夜を過ごした。宿は大西洋に面する長い砂浜に沿って広がるブライア地区である。翌朝、宿の前に伸びる遊歩道を往復する。砂浜の櫛状の影は砂浜に向かって延びる路地で成り立っているまちを描き出している。ドローンが無くてもまちの佇まいがイメージできる。

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2013年6月3日 ナザレの街並み  ポルトガル/Nazare after「ポルトガルの道」 

 

サントフォア修道院の佇む山間の村はその形が帆立貝に似ていることから”コンク”と名付けられたそうだ。斜面に沿って瀟洒な民家が続く。その小道を繋ぐ路地の路地に無言ながら思わず「カワイー」と呟いてしまう。

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2018年5月17日 コンクの路地の路地  フランス/Conques「ル・ピュイの道」

 

テレビの街歩き番組で銀座裏路地を見かけた。これは見逃せないと早速出かけた。建物の間にそれらしきた隙間を見つけては闖入を試みる。

銀座には買い物客達が歩く表通りの他に裏路地が存在する。明治5年の大火後に出来たレンガ街の骨格の遺産である。空調ダクト、配線、そしてゴミ箱等が表の顔を支えている。お稲荷さんも鎮座している。通の通う飲食店も見かけ、夕暮れが迫るとそれらしき人が吸い込まれてゆく。怪しげな隙間を見つけたら、ちょっと入り込んでみては・・・

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2019年7月25日 裏銀座  東京/銀座7丁目 「まち歩き」

 

ただ、「やっぱり東京はいいよ」とか「考えてみれば東京に出てきて◯年になるんだなあ」と口にするときの東京が、決して地図に赤い首都マークのついた場所でないことだけは分かるのだ。とすれば、その東京はどこにあるのか。歩き回っていれば、いつか見つかるか。それとも、そんな場所、初めからどこにもないのか。

 「オリンピックにふれる」 吉田修一/講談社