トップの決断

ノートルダム寺院火災のドキュメンタリー番組「消防士たちの戦い」が再度放送された。前回は消火活動の全体の流れとして視たが今回は別の視点で視た。消火活動は軍の特殊部隊が消防隊を指揮していた。その関係からかマクロン大統領の姿が再三映し出された。沈鬱な表情であるが殆ど瞬きをせずに前方を見つめる力強い視線は印象的であった。延焼による鐘楼の崩壊が迫った時、消防隊員の命を賭してでも国の宝を護るべきかの究極の判断は大統領に託された。二者択一では無いにしろ非常に重い判断を迫られたであろう。幸いにも人的犠牲を払う事なく大聖堂のファサードは護られた。

翻って、今回の新型コロナウィールス問題も極論すれば国民の生命を護るか、国家の存続を左右する経済を護るかの判断は国家のリーダーに託されている。私は言動は言動として各国のリーダーの腹のくくり具合はその目の表情を見て判断している。「目は口ほどにものを言い」という事か。

 

重い話はここまでにして、ノートルダム寺院ファサードと言えば聖堂内には立ち入らなかったが、前を通り過ぎる時に三枚の写真を残していた。

一枚は聖堂中央入り口の上部のタンパンである。

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大聖堂と言えばステンドグラス殊に薔薇窓ときますが、この時の私はファサードのタンパン、そして堂内の柱頭彫刻であった。聖書の読めない庶民をこれらの前で信仰に導いて来たのだ。かく言う私も聖書には全く縁無く過ごしてきたが、旅に出る前に聖書に関わる絵画や彫刻を少しづつ齧っていると興味が湧いてきた。これにはまってしまうと旅が進まなくなりそうである。

巡礼途上のコンクでもロマネスクのサント・フォア聖堂のタンパンに出会った。

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両者ともテーマは"最後の審判"であるが、並べてみるとロマネスクとゴシックの違いをも愉しむ事ができる。

 

そして、左の聖母の門に目を移すとその上部に興味深い聖人像が現れた。自分の首を抱えている。

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フランスの守護聖人サン・ドニである。3C、パリの初代司教のサン・ドニキリスト教信仰の広布に努めた。それに不安を抱いたローマ皇帝が拷問の末、彼をモンマルトルの丘で斬首した。サン・ドニはその首を拾い上げ抱えて歩き始め、遂にパリ北部のサン・ドニで息絶えた。その墓所の上に建てられたのが"国王の墓所"サン・ドニ修道院である。

歴代王の戴冠式を行ったランス大聖堂でも、このサン・ドニさんに出会った。隣にも首を抱えた成人がいるが・・・・・

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右隣の天使像も含め表現の相違を愉しめる。

 

更に視線を上に移すと居並ぶ28体の像。イエスの祖先の諸王であり、"王のギャラリー"と言われる。壮観な眺めである。ところが、フランス革命の時歴代の王と見做され破壊されたそうだ。

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その後復元されたが破壊された像はクリューニー美術館に保存されている。 見事に斬首されている。

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何処かで見た事がある。タイのアユタヤで出会った斬首された仏像群である。

クリューニー美術館には訪問を楽しみにしていたが、なんと改修工事で入り口は閉じられていた。パリ再訪が叶えば、貸切イベントで入館不可であったギュスターヴ・モロー美術館、鉄道のストで涙を飲んだルーアン大聖堂と共に先ずは出かけたい。

 

と、見聞きした事柄を契機に引き出しを開けながらもう一つの旅に出かける。