出会った橋ール・ピュイの道-23
アミアン大聖堂にはまだまだ見所があった。身廊を奥に進むと最も聖なる空間内陣である。その周りの周歩廊に進むと内陣側面のレリーフに思わず息を呑む。この大聖堂の守護聖人フィルマンのアミアンにおける布教活動そして邪教を広めたかどで殉教に至るまでがん物語られている。その繊細さに木彫かと思いながらよく見ると、なんと石彫ではないか。さらに施された彩色がリアリティを深めている。私自身は宗教にはあまり深入りしないので、そのストーリーはともかくその見事な出来栄えに唖然として立ち尽くす。
オーク材の聖職者席の120人分の椅子には、中世の人々の生活感を生々と表現した人物像が展開する。
公開されていないため仕切り隙間から撮影した。そのためか?ピンボケの写真となったが一つ一つじっくりと愉しむ。十人の熟練工が12年かけて仕上げたのだそうだ。
西正面上部にはゴシック特有の色鮮やかな巨大な薔薇窓がどっしりと構えている。救世主を象徴するものだそうだ。
大聖堂の背後のサン・ルー地区の運河沿いにカフェやレストランが立ち並び、「北のヴェニス」と言われている。大部分の観光客は大聖堂を見てそのまま帰ってゆくのだろうか、歩く人は疎らである。水際の小道を静かにそぞろ歩きながら、家並みの間から時々顔を出す大聖堂の姿に予期を超える喜びを覚える。
橋の欄干には鉢植えの花が飾られ、背後の家並みと一体となって大都市では出会わえない風景に心が和む。
あちらこちらで子供の頃に出会った名前に出会う。ここアミアンでもかのジュール・ヴェルヌが晩年過ごしたことから、ジュール・ヴェルヌの家や彼が建てたサーカス場がある。話の種にちょっと覗いてみようと思っていたが、ストの影響で滞在時間が3時間短縮されたため空想の世界に留めた。
パリのは北駅に戻ると駅前広場で傾いた家が迎えてくれた。建物ではなく彫刻「溶ける家」だそうだ。地球温暖化問題を訴えるために、パリ市が制作をを依頼したのだそうだ。パリは生半可なアートシティではないのだ。
歩いてギュスターヴ・モロー美術館に向かう。住宅を美術館にしており部屋いっぱいに作品を並べた写真を見て、一度あの中に身を置いてみたいとの誘惑に駆られた。扉には日本語で「ドアを押す」とある。しかし開かない。さらに横に目をやるとイベントのためcloseとある。事前調査不足でクリューニー美術館に続くタッチアウトである。これも私の旅のあり方である。ちなみに、後日汐留のパナソニック美術館のギュスターブ・モロー展で無念を晴らすことができた。
ストは続く。明日のシャルトル行きに備え、運行状況確認とチケット購入のため近くのサン・ラザール駅に向かう。無事チケットをゲットした。周りの人々の人間観察をしながら、パリ市民並に心穏やかに2時間を過ごした。駅前広場のストリートファニチュアの時計はさまざまな時を示していた。
「行け」と言われて出かけるのは旅ではない。他からそそのかされて行くのは旅とは対極である。その意味で「Go To トラベル」は旅ではないと思う。
(中略)
私は永さんから誘われて句会をご一緒していたが、偶然新幹線の中や駅で出会う時は、いつも一人だった。旅とは本来一人になるもので、その意味でも人と出会って盛り上がるのとは対極にある。
1978年のある日、秋田駅前の本屋で偶然永さんを見かけた。私は有名人のサインをもらう趣味を持ち合わせてはいないが、その時はなんとしても欲しいと思った。氏の著書を買い求めサインをお願いしたところ快く応じていただけた。
永さんは帰らぬ旅へと出かけられたが、現在でも読むではなく本を開く。そこには
◯◯◯さんと秋田で 永六輔 6.21