反芻する愉しみ

昨年の4月15日に何があったか思い出せますか。パリのノートルダム寺院の火災です。この所毎日のようにテレビ画面にパリ市内の様子、特に象徴的なノートルダム寺院が映し出されます。しかし、時間の経過、そして今般の新型コロナウイルスの関係から火災のことは記憶の外に追いやられている様です。かくいう私も先日NHKBS1のドキュメンタリー番組「消防士たちの戦い」に出会い、記憶が蘇った次第です。番組で興味深かったのは 寺院のお宝である聖遺物の救出です。なんと、キリストの荊冠そして磔に使われた釘です。彼らは我々には信じられないようなものを大真面目に所有しているのです。感銘さえ覚えます。管理者が現場で金庫の暗証番号を思い出せず、電話で確認し危機一髪救出したそうです。そして、あの鐘楼が崩落する危機が迫った時の消火活動です。巨大な鐘が落下すれば 床が破壊され バランスを失った二つの鐘楼は跡形もなく崩れ落ちたのだそうです。

 

私は、その10ヶ月前に多くの観光客がたむろす寺院の足元を何度か早足で通り過ぎていました。パリは何度か訪れていたので、行列に並んでまで堂内に入るまでの意欲を持ち合わせていませんでした。しかし、ノートルダム寺院で是非訪れたいと思った所がありました。

 

中世以後の街路の造り方は無秩序というほかなく、ノートル・ダム大聖堂の前には迷路のような街が出来上がった。

(中略)

それでも二カ所だけ、オスマンの鶴嘴を免れた街区がある。 一つは島の先端にあるドフィーヌ広場。もう一つはノートルダム・大聖堂の横。いずれも、オスマンの失脚で工事がストップしたおかげでかろうじて生きのびた民家の群れである。とりわけ、後者はバルザックが「現代史の裏面」で描いた街が手つかずで残っていて、オスマン以前のパリの空気を呼吸することができる。

特にお薦めしたいのは、クロワートル・ド・ノートル・ダム通りに入ってシャントル通りで右に折れ、ユルサン通りに抜けたところで後ろを振り返るとというコース。両側に壁が迫った狭くて暗いシャントル通りから視線を上方に上げると、そこにはノートル・ダムの後陣の尖塔が空を貫いている光景が目に入るはずだ。

(中略)

タイムマシンで19世紀の古いパリに旅するならここというような決定的なスポットである。

             「パリの秘密」 鹿島茂/中央公論社

 

残念ながら鹿島さんの知識・教養にははるかに及ばない私ですが、私は私なりのタイムマシンの旅が出来ました。

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一度でも自分の行った国、 (中略) そういう国が出てくると、どんなかけらでも食い入るように画面を眺める。

(中略)

その人は、私の顔をじっと見て、

「君はまだ若いね」

と言った。

「野球に限らず、反芻が一番楽しいと思うがね」

旅も恋も、そのときもたのしいが、反芻はもっとたのしいのである。ところで、草を反芻している牛は、やはり、その草を食べたときのことを思い出しながら口を動かしているものであろうか。

  「向田邦子ベスト・エッセイ」 向田和子 編/ちくま文庫