出会った橋ー熊野古道/伊勢路・中辺路-3

5月19日、熊野川に架かる熊野大橋を渡り和歌山県新宮市に入る。伊勢路のゴールであるが、嘗ては渡しで霊場入りしていた。

「伊勢へ七度、熊野に三度」とあったが、熊野の霊場は仕事で訪れたのを含めると五度目である。まず、宿に向かったが土木建設工事関係者が長期滞在する宿らしい。私はあまり気にはならなかったが、普通の旅行者なら直ちにキャンセル・・・・

庄司屋の柴田さんの依頼で、知り合いの中西さんに車で市内の案内を受けた。熊野三山の熊野速玉大社、奇祭「御燈祭り」で知られる神倉神社も訪れたが、江戸時代から続く河畔の川原家横丁が興味深かった。川が増水の時家をたたみ、水が引くと再び組み立てた簡易商店街である。残念ながら店は閉まっていた。

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20日、先に進むと自発的な捨身行の補陀洛渡海で有名な補陀洛山寺に出会う。復元された渡海船を目の前にすると、リアルなものが迫ってくる。

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数百年の時を経た大樹の間に伸びる長大な石段を登ると熊野那智大社である。那智大瀧を見つめていると、瀧を遡上する数匹の龍が目に入った?

樹齢850年の御神木の大クスに寄生する若々しい植物に生命の偉大さを感じる。

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熊野那智大社(約300m)から熊野本宮大社(約100m)までは、最高地点の舟見峠(868m)を越える登り下りの大雲取越、小雲取越28kmの山道である。

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小口自然の家で一泊し22日に熊野本宮大社に到達する。とりあえずの熊野三山参詣を達成した。信仰心の薄い私はここでも気を引いたのは、Jリーグでお馴染みの八咫烏が黒いポストの上に止まっている姿であった。

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明治22年の大洪水で川の中洲にあった本宮大社は大きな被害を受け現在地に移された。旧社殿後には基壇だけが残されており、その表面は苔に覆われていた。新社殿も立派だが、今では形は無いもののこちらの方に強く霊的なものを感じた。

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23日、引き続き熊野古道の銀座通り”中辺路”へ歩を進める。多くの人とは逆方向に歩くが、ゴールデンウィークと夏休みの谷間の為か数人の外国人以外の参詣者には殆ど出会わない。静まり返った参詣路を独り占めである。しかし、参詣路は整備が行き届いているが、整備途上であるが様々な表情を見せる石畳の峠越えを経験した後では感動は薄い。

途中、近露で一泊する。翌日、宿から参詣路に向かう道沿いであのプリっカー賞受賞者の「妹島和世西沢立衛/SANNA」設計の”熊野古道なかへち美術館”に出会った。

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後ほど調べると”美術作品を新しい空間で見せ、アートを通じた交流を生み出す”という構想で最初に手がけた美術館とあった。地元出身の野長瀬晩花さん、渡瀬凌雲さんの作品を所蔵している。早朝の為、残念ながら入館できなかった。

滝尻王子まで歩きバスで瀬戸内側の紀伊田辺に出た。ブッダゲストハウス熊野ではネコのお出迎えを受けた。

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今回も記憶に残る橋は出て来なかったが、前回紹介した庄司屋の柴田さんがまさに伊勢路歩き途上での人との出会いの”橋”となった。ガイドブックの「古道客を手厚くもてなしてくれるよ!主人の話も面白い!ぜひよってみて。」との紹介文にノーアポで立ち寄った。地域おこしの中で創り上げた人脈を私に紹介してくださった。ここに整理してみた。

f:id:peregrino:20210112174959j:plain岡島さんとはすでに面識があり跡継ぎ問題等色々と話をした。

ゆうがく亭も既に宿泊していたが、NPOによる運営に興味があり、島さんにお会いして直接お話を聞きたかった。

アルベルゲ山荘は当日宿泊予定であり、川端さんご夫婦の人となりについてうかがえた。

急な宿泊地変更で柴田さんから紹介を受けたまさはる屋では、夕食のおかず一品のサービスを受けた。

中西さんには新宮市内を車で案内していただいた。

那智大社宮司さんには多忙ということでお会いできなかった。

番留さんは体が空いていれば一緒に歩いてくれるかも知れないと聞いていたので電話を入れた。残念ながら予定有りとのことで実現しなかったが色々と情報提供を受けた。

突然のことで思い通りにはことは運ばなかったが、今後チャンスがあればお会いしたい人たちである。

つづく