出会った橋ール・ピュイの道-2

5月9日、巡礼を前にしたミサに参列すべくノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂に向かう。主教の祝福に続いて国別の巡礼者の紹介があり"ジャポン"が耳に入った。続いてオンリーワンの言葉も聞こえた。周りは西洋人ばかりであり主教が何を言っているのか私なりに理解できた。少しばかりの誇りを胸に大聖堂を後にした。

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ところが、行程の半ばを過ぎた頃から危惧していた歩き始めの腰痛がおそってきた。運よく出会った地元の人が車で宿泊予定の宿に送り届けてくれた。そして翌日またしても腰痛襲来。ここでも後からやって来た巡礼者がスマホでタクシーを呼んでくれた。

翌11日、心配した腰痛はありがたいことに収まり、宿泊地Sauguesの宿に無事到着できた。ほっとしながら前庭を見ると前日出会った8人連れの大家族が水遊びを楽しんでいる。

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ポニーに赤ちゃんと荷物を乗せゆったりと旅を愉しんでいる。

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その姿を見ているとあの様な旅も良いものだと思う。かく言う私はもっぱら”何が面白くて”と思われるバックパック一人旅にはまり込んでいる。そしてその日、一人ささやかながらも77歳の誕生日を迎えることができた。

13日朝、外を見ると屋根にうっすらと雪が積もっている。そう言えば前日二人連れのフランス人に「明日は雪」と言われ、この5月に冗談かと思って聞いたが本当だった。

雪の中を歩き始めたがとにかく寒さが堪える。周りの人はちゃんと寒さ対策をしているが私は夏装備である。

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何とかその日は予定通り歩き終えたが、翌日も低気圧が停滞し雪は降り続ける。道路脇には冬の雪景色の写真が掲示されている。

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標高が1,300mを超え、嘗ては「Aubracの荒野越え」と巡礼路最大の難所と言われていた。今では巡礼路は整備され、気候の穏やかな5月とタカを括っていたが、このところの気候不純の一端を身を持って感じることとなった。

気温はどんどん低下するし、積雪に隠れた足元は不安定で恐る恐る進む。大袈裟ながら高倉健の「八甲田山」が思い浮かぶ。周りには人家も人影も見当たらない。

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まさかとは思いながらも不吉な考えが過ぎる。石垣と木柵を頼りに黙々と歩き続ける。

そしてやっとのことでSt chely d'Aubrscに辿り着き、バルで暑いコーヒーを流し込み一息付いた後宿へと向かった。

ところが、暖かい食堂ではどこから湧き出たのか多くの人が平穏な会話を愉しんでいた。

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とりあえず橋は渡れた。

続く
 

ピンチをチャンスに変えるのが「教養」の力だ  出口治明

教養はどうやって身につけるのか。それは人・本・旅の三つに尽きると考えています。いろんな人に会って話を聞く、たくさんの本を読んで賢い人たちの知識と考えを学ぶ、自分自身が広い世界(世間)を歩いて見聞を広める。この方法以外にはないでしょう。この三つの中で、本は時間やコストの制約から考えると最も効率の良い方法です。

  「文藝春秋オピニオン 2021年の論点100」文藝春秋