出会った橋ーポルトガルの道−1

2012年10月6日、無事成田空港 に降り立つ。

なんとなく歩き旅の仕上げ目標にしていた"四国遍路"、そして思いつきでチャレンジした"サンティアゴ巡礼"と国内外のロングトレイルを成し遂げた一年であった。これで思い残すことはないと思った。

年末、新宿紀伊国屋書店の書棚でポルトガルを特集していたムック「旅行人」が目に入った。日本人のメンタリティーを擽るポルトガルへは以前から行ってみたいという想いがあり、手に入れた。帰宅後ページをめくっていると「サンティアゴ巡礼路を歩く ポルトガルの道」という巡礼体験の記事があった。読み進むうちに沈静化していた"アル中"が再発する。そして、翌年の5月1日にRisboaのホステルに投宿した。

スケジュール調整と体調順応の為3泊し市内を歩き回った。テージョ河畔のコメルシオ広場は1755年の大地震で破壊された宮殿の跡地である。やって来た市民や観光客は何するとなく地べたに座り込み黙って前方を見つめている。"サウダージ"が頭を過る。視線の先の橋は独裁者の名にちなみ「サラザール橋」と呼ばれていたが、新政府が誕生したクーデターを記念して「4月25日橋」と改名された。橋の名にも歴史が刻み込まれている。

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リスボンを起点とする巡礼路は「ポルトガルの道」と言われ、その長さは600km強である。スタート地点はロマネスク様式の簡素な大聖堂である。5月4日、入口の柱の足元に見つけた黄色い矢印に見送られて巡礼の途に着く。

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市街地を出ると全く出会う人がいない。サンティアゴ巡礼路の銀座?の「フランス人の道」と大違いである。前方に自動車専用道の橋が見えてきた。木造を思わせるスレンダーな部材でできている。近づくと間違いなくコンクリート製であった。名前も立派なバスコ・ダ・ガマ橋である。

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本日のゴール予定地は31km先のAlverca do Ribatejo であるが、10kmを過ぎた頃から腰が抜ける感じがしだした。痛みは感じないが暑さがこたえる。日陰に入りザックを枕に横になると気持ち良くスーと眠りに落ちる。初日の行程に少々無理があったのか。無理をせず4km手前の駅で電車に乗り込む。宿の名は"眠っているを意味する"Dormidas"。軽い食事をすませ早々と眠りについた。

5月6日の宿は世界遺産の町Santarem。ルシタニア人に端を発しローマ人を始め様々な民族が移り住んだ重要な街である。ゴシック建築の都と言われる市街地も愉しめるが、高台からの眺めは疲れを忘れさせてくれる。真っ直ぐに伸びる赤い橋はどこへ 導いてくれるにだろう。

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5月11日,自動車専用道を縫いながら巡礼路を進む。大学都市Coinbra 間近で道路を挟むゲートを思わせる壁が現れる。

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さらに近づくと、なんと水道橋の一部が壊されその間を道路が貫通している。2000年の歴史を犠牲にしてまで利便性を追求しなければならないのだろうか。

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続く

 

私は、二十六歳のとき、ユーラシアへの長い旅に出ることを思いたった。デリーからロンドンまで乗合バスを乗り継いで行く。それはやがて「深夜特急」という紀行文を生み出すことになるが、発端はシンプルな「夢」でしかなかった。あるいは、それに似た夢を抱いた人は他にもいたかもしれない。しかしその夢を具体化し、実現していく過程で、つまり「夢見た旅」を現実のものとしていく過程で、私は「私の旅」を作っていくことになったのだ。世に二つとない「私の旅」を。

                   「旅の力」 沢木耕太郎/新潮文庫

 

今日、日本橋三越で開催中の「日本伝統工芸展」に出かけた。久し振りの遠出?である。国内最大の公募展と言われるだけに出展された作品は素晴らしい。しかし・・・・・

ある染色作品の前ではしばし佇んだ。過去の記憶に繋がったのである。

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紅葉を歩きたいと四年前の秋、熊野古道の「小辺路」に向かった。そして、歩いたのは紅葉ではなく黄葉の山道であった。期待は裏切られなかった。

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