出会った橋ール・ピュイの道-6

3月18日、山間部を歩くMassif Central中央山塊を抜け出て、標高300m前後のゆるい起伏の開けた地形に変わる。周りには広大な農地が展開し、農業国フランスの一旦を垣間見る。次の作物のために開墾された農地はまるで地上に描かれた絵画を思わせる。

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そよ風に靡く小麦の穂波がキラキラと輝き、近づきつつある夏を感じさせる。

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Livinhac le Hautの宿ではフランス人若者のグループがヨガ教室と称するストレッチ運動に参加する。左端の美脚?が私である。

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19日の宿Figeacは、ナポレオンがエジプト遠征中に発見したロゼッタストーンを解読したエジプト学シャンポリオンの生誕地である。本物は色々の経緯を経て今では大英博物館に収まっている。でも、ここには本物の数百倍のレプリカが横たわっている。

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ヨーロッパを旅していると思いがけないところで、世界史の授業で出会った現場に遭遇する。今や知識としての役には立たないが、空想を大きく広げてくれる。

街中には コロンバージュ様式の建物の建ち並ぶ。軸組は構造的に必要というよりファサードデザインそのものになっているのかと思ってしまう。

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 巡礼路はここで三本に別れる。どの道を進むかを考えることになる。一本はメインの巡礼路。一本は渓谷の切り立った絶壁の村Rocamadourを通る。そして、もう一つはCele川沿いを歩き、途中で「フランスの最も美しい村」St-Sirq-Lapopieに立ち寄れる。1日を休息にあてRocamadourを往復し、その後St-Cirq-Rapopieに立ち寄るVarianteと称するサブルートを進むこととした。

20日、電車で巡礼路では初の日本人大阪の一人旅の女性に出会った。おかげで、駅からrocamadourまでの6kmの砂利道歩きは楽しいものになった。

巡礼路沿いには嘗ての集落が続く。巡礼者が祈りを捧げながら膝をついて上ったという216段の階段を上るとそこには7つの聖堂と黒い聖母像ノートルダム礼拝堂が佇んでいる。さらに、ジグザグの坂道を上ると領主の館があり、嘗ての階級制度がビジュアルに展開している。

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頂上からは延々とつづく巡礼路が一望のもとに収まり、広大な展望が愉しめる。。

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 帰りの電車では、母親と息子の二人連れと話し込む。休みを利用して数日区切りの巡礼を続けているという。私にはできないが羨ましい旅である。久しぶりにゆったりとした1日が過ごせた。

続く

 

田舎もインバウンドや、東京の人が来なくなって苦しいですが、それ以上に、東京で狭い家に籠っていると、産業も含めて、東京には何も本当に自立したものがないことに気付くわけです。縦から来たものを横に流してきただけで、自給能力がない。子供すら自給できていない。いくら田舎から若者を入れても、彼らも子孫を残せず、どんどん少子化している。

  「東京脱出論」 藻谷浩介✖️寺本英仁/ブックマン社