記憶のかけらー地上の衣文

前回衣服に現れた折れ目状のものを衣文として紹介したが、果たして正しい表現であったか自信がない。なんと呼んだら良いのだろうか。

それはさておき、同じような状態を景観の中でも見出し興味深く眺め続けた。

 

バルセロナグエル公園は、ガウディの最大の講演者であったグエルが構想した分譲住宅地であった。60戸の住宅を予定していたが、実現したのはグエルとガウディが住んだ2戸のみで未完成に終わった。ガウディは大階段上部の中央広場を住民の共同生活の憩いの場、そして市民の集いや宗教的儀礼の場と考えていた。転落防止を兼ねた周囲の波打つベンチは破砕タイルで覆われて、独特の景観を創り出し多くの観光客で賑わっている。

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2015年6月30日 幻の田園都市 スペイン/Barcelona after「銀の道」

 

ポルトガルの王家の避暑地Sintraシントラには、華やかな王宮や宮殿に混じってイスラム教徒のムーア人によって7〜8Cに築かれた無骨な城跡が残されている。山の斜面に石垣で築いた城壁がクネクネと続く。今にもかつての兵士が現れてきそうだ。

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2013年6月10日 ポルトガルの天空の城 ポルトガル/Sintra after 「ポルトガルの道」

 

中央山塊Massif Centralの巡礼路を抜けると、広大な農地が次々に現れ農業国フランスを実感する。決して平坦な土地ではないが、心地よい起伏が歩き続けの疲れを忘れさせる。農業を大事にする国は将来に期待が持てる。日本はどうだろうか。不安感が過ぎる。

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2018年5月26日 農業国フランス フランス/Montcuqモンク 「ル・ピュイの道」

 

棚田は農地としては適さない厳しい地形の土地で、農民が生活上やむなく創り出した農地である。熊野古道伊勢路の途上の熊野市から内陸部に入った「丸山千枚田」の存在を知り立ち寄った。そこには残念ながら訪問を諦めたマチュピチュが待っていた。

 

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2016年5月18日 日本のマチュピチュ 三重県/紀和町 「熊野古道伊勢路」の寄り道

 

井上 何がレガシーになるかというのは、時間が経ってみないとわからないんじゃないでしょうか。

青木 要らないから壊すという風にならず、ずっと使われていた結果がレガシーということですね。

  「イケズな東京」 井上章一青木淳/中公新書ラクレ

 

 

記憶のかけらー衣文

フランスの大聖堂を訪れると扉口上部のタンパンが迎えてくれる。そこには、聖書の一場面が立体的に描かれている。かつて、文盲の多かった庶民をキリスト教へと誘ったであろう。巡礼を終えパリ南部のVezelayを訪れた。サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂”のタンパン”は「精霊降臨」であった。中央のキリストの纏う衣の衣文はたばしる奔流を思わせる。この場面が何を訴えかけているのかは関係なくしばらくの間無言で立ち尽くした。

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2018年6月11日 まずはタンパン フランス/Vezelay after「ル・ピュイの道」

ところで、このタンパンは12C創建時のもので何かの事情で堂内に移設された。建物正面のタンパンはその後に新設されたものだそうだ。ご注意、ご注意! 

 

巡礼路要所の古都Leonレオン。見所はゴシック様式のカテドラル、ロマネスク様式のサン・イシドロ教会、ルネサンス様式のサン・マルコス修道院そしてガウディのカサ・デ・ボディネス。修道院の前で瞑想している巡礼者が目に止まった。膝のテカリ、そしてその間に垂れ下がった衣文、色々なことを語りかけてくる。

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2012年9月18日  何を語りかける スペイン/Leon 「フランス人の道」

 

ポルトガルの漁師町Nazareナザレでは独特の習慣や服装が残されている。特に年配の女性の服装は印象的である。既婚の女性は七枚重ねの短いスカートにエプロンの姿で漁に出ている夫の無事を祈る。未亡人は黒づくめ。エプロンの衣文は若い女性には受けないであろう。この伝統はいつまで続くのだろうか。

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2013年6月2日 いつまで続く伝統 ポルトガル/Nazare after「ポルトガルの道」

 

日本でも仏像を中心に衣文に見惚れたことが多々ある。その中でもギンザグラフィックギャラリーで出会った作品の衣文、そして上野の法隆寺宝物館の「摩耶夫人および天人像」の衣文が脳内に記憶のかけらとして残っている。

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2019年5月25日 時が流れても 東京/銀座 街歩き

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2019年3月20日 釈迦誕生の瞬間 東京/上野公園 街歩き

 

「漂えど沈まず」と言ったのは釣り好きの開高健だった。

もともと「たゆたえど沈まず」と言うパリ市の標語があると言う。確かにパリという街は歴史の暴力に晒されながらもその輝きを失わなかった。東京はどうだろうか。日本のものづくり技術はどうなのだろうか。新型コロナウィルスは、東京と日本をどう変えるだろうか。

   「寡黙なる饒舌」若山滋/現代書館

 

 

 

 

記憶のかけらー木漏れ日

ウィキペディアによると”木漏れ日”は木立から太陽の日差しが漏れる光景とある。日本独特の情緒的表現で、外国語では説明的に表現する必要がある。地面に投影された木漏れ日は、日差しが通過する木の葉の隙間の形状には影響されず太陽と同じ丸い形をしている。ピンホールカメラと同じ原理だそうだ。でも、それが集まって出来上がった図柄は、一人歩きの単調さを忘れさせてくれる。

 

スペインの日差しは初夏でも指すように強い。でも空気自身はそれほど暑くない。従って木陰に入れば暑さを凌げる。地上の木漏れ日に目をやるとその際立った濃さや輪郭がその効果を向上させる。そして、微風が通り抜けると更に向上させる。

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2014年6月22日 木陰を微風が抜けてゆく スペイン/Arzua 「北の道」

 

私のポルトガルででの写真には木漏れ日らしきものが見当たらない。5月と言うこともある。夏に木陰を提供してくれるであろう樹木もほとんど見当たらない。

ポルトガルに別れを告げスペインへ入る前日、期待を胸に歩いていると頭上に日除けを兼ねたと思われる葡萄棚が現れた。しかし収穫時期が秋の為木漏れ日を味わう状態に至っていない。夏にはどんな木漏れ日を提供してくれるのだろうか。そして、喉を潤すグレープジュースも提供してくれるに違いない。

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2013年5月21日 木漏れ日って ポルトガル/Rubiaes 「ポルトガルの道」

 

パリの西外れ16区のブローニューの森を歩く。パリ市民の身近な憩いの場であるが、平日という事もあり全く人の気配を感じない。自然の森であるため樹木も自由気ままに茂っている。でも散策路にはチラホラと木漏れ日が顔を出している。スペインほど日差しが強くない為あまり自己主張していない。巡礼後の体と気持ちを休めるにはもってこいの森歩きであった。

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2018年6月14日 優しい木漏れ日 フランス/パリ   after 「ル・ピュイの道」

 

熊野古道伊勢路を歩き熊野三山の熊野速玉大社、熊野那智大社をお参りした。その後、最後の熊野本宮大社に向う。雲を掴むような熊野路随一の難所から、大雲取越と言われる尾根道を進む。小口自然の家で一泊し小雲取越へと歩を進める。ガイドブックによると亡者の霊魂が辿ったと言う幽妖な?雰囲気が漂っていると言う。朝日が横からさし路上に樹木の幹の影が続く。これも木漏れ日と言って良いのか。

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2016年5月21日 これも木漏れ日 和歌山県/小雲取越 熊野古道 中辺路

 

カメラは絵筆やパレットにはかなわない。

それが天国や地獄で使われない限りは。

 

The camera cannot complete with the brush and palette–

as long as it cannot be used in heaven or hell.

     「愛のぬけがら」エドヴァルド・ムンク著・原田マハ翻訳/幻冬社

 

記憶のかけらー写り込み

写り込みとは”写真で、滑らかな器物の表面などに反射した他の像や光源が、画像として撮影されること。”とある。私は写り込んだ事物をムンクの言う見えるものでなく見たものとして撮影する事がある。

 

巡礼後、コロンブスも滞在したというSalamancaサラマンカでサン・エスティバン修道院を訪れた。スペイン独自のバロック様式であるチュリゲラ様式発祥の地として知られている。内部に入ると天井のリブ構造の見事さに見惚れてしまう。しかし、天井が高いためしばらく見つめていると首が痛くなる。ふと足元に目をやると大きな鏡が床の上に設置されている。そこには今まで我慢しながら見つめていた天井の姿が写り込んでいた。ありがたき配慮であった。

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2014年6月25日 ありがたき配慮 スペイン/Salamanca  after「北の道」

 

対岸のポートワインのワイナリーを訪れるべく、ドウロ川にかかるドン・ルイス一世橋を渡った。道路脇のレストランでは観光客がワインを嗜みながら食事中である。全面ガラス張りのため、今まで歩き回っていた対岸がそこに写り込んでいる。オレンジ色の屋根で覆われたポルトの街並みは、ポルトのむ一つの姿を写り出していた。

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2013年5月17日 もう一つのポルト ポルトガル/「ポルトガルの道」

 

パリ西部のマルモッタン・モネ美術館で「印象、日の出」「ルーアン大聖堂」と出会い、その後背後のブローニュの森を散策した。そこにはコンテンポラリーアートを軸にしたアートスポット”フォンダシオン・ルイ・ヴィトン”が待ち構えていた。設計は一昨年訪れたスペインBilbaoビルバオの”グッゲンハイム美術館”のフランク・ゲーリーである。3600枚のガラスパネルで覆われた外観にはブローニュの森が写り込んでいる。周辺の景観を生かした姿は圧巻である。開館まで時間があったため残念ながら入館はパスした。

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2018年6月14日 その姿もアート! フランス/ブローニュの森   after「ル・ピュイの道」

 

ギンザ・グラフィック・ギャラリーを訪れた。その後、周辺をぶらついていると見慣れない建物に出会った。コロナ禍のためもあり銀座をぶらつく事が少なくなっていた。銀座周辺の街並みの変貌に追いつけなくなっている。金属製の青色のファサードにはサイケデリックな景観が映り込んでいる。移動するにつれ様々なアートにと変化する。ルイ・ヴィトンの店舗であった。

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2021年9月10日 サイケの再来 東京都/銀座七丁目並木通り 街歩き

 

写生するのではない。

自然がいっぱいに守られた大皿に自由に手を伸ばすのだ。

 

見えるものを描くのではない

見たものを描くのだ。

   創作ノート 1928

 

I doo not print

from nature-

I heip myself from

its bountiful

platter

 

I do not print

what I see

-but what I saw

            Note      1928

      「愛の抜けがら  LIKE A GHOST  I  LEAVE YOU」

       エドヴァルド・ムンク著・原田マハ翻訳/幻冬社

 

 

 

 

記憶のかけらー日差しが描く  

歩き旅の楽しみに日射しが描くアートがある。キャンバスには色がついているが、黒一色で描き出しているところは水墨画に通じるものを感じる。

 

スペインの日差しの強さは強烈である。従って、描かれたものも強烈で変にリアリティを感じさせる。日差しというより”陽射しと書いた方がわかりやすいかもしれない。

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2014年6月28日 陽射しの強さ スペイン/マドリード after 「北の道」

ロッコは赤道に近い為、ほぼ真上から日が差す。外を歩いていても日差しの描くアートに出会わない。しかし、メディナの路地を歩いていて、ふと足元を見るとアートがあった。上方に目をやるとそのアートを描いた日除けが続いていた。

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2015年7月7日 真上からの陽射し モロッコ/Tangerタンジェ after 「銀の道」

 

何度か書いてきた大西洋に面したNazareナザレの砂浜は絶好のキャンバスでもあった。西から差す朝日が広大な砂浜に力一杯背後の街並みを描いていた。

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2013年6月3日 砂浜がキャンバス ポルトガル/Nazare after 「ポルトガルの道」

セーヌ河畔のアラブ世界研究所の壁面のガラスパネルは太陽の光に応じて開閉する。さらに、それに応じて床面に描かれたアートも変化してゆく。

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2018年5月6日 アラブ世界からの陽射し フランス/パリ before「 ル・ピュイの道」

 

公園内に移築された民家は開口部に様々な建具がはまっている。その建具が畳の上に描いたものは和を感じさせる。

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2018年10月2日 和の日射し 東京都/練馬区石神井公園 街歩き


私は写真家でもないのに、写真との距離が近すぎる。近すぎることによって、いつも写真を撮らねばとか、撮っておけば後で仕事で使えるなどと思って、とりあえず撮っておこうという気持ちが働いてしまう。そうなると安易に写真ばかり撮って、印象も撮れたと勘違いしてしまう。

  「途上の旅」 若菜晃子/KTC中央出版

 

記憶のかけらー他所者には?

他所の土地を歩いていると、公共空間でありながら歩行者に何を訴えかけているのだろうかと思うものに出くわす事がある。直接的にではなくちょっと考えさせることによりその効果が高まる場合がある。

 

セビージャの街の歩道を歩いていて、人の顔らしきものが打ち出された金属製の標識が点々と続くのを見掛けた。何かと思い近寄ってみると自転車に乗った人の絵柄であった。周りを見ても自転車は見当たらないし人もいない。自転車通行可のサイン?それとも自転車に注意?いまだに気になる。

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2012年10月2日 自転車通行可? スペイン/Sevilla after 「フランス人の道」

 

リスボンをスタートし3日目にGolegaゴレガンという人口6000人足らずの小さな町に入った。この地域は国際的に有名な牛と馬の市場で、ゴレガンは馬の首都とみなされている。11月には二つの見本市”全国馬フェア”と”国際ルシターノ馬フェア”で賑わうそうだ。でも、全く人影がない。歩いていると日本では見掛けない道路標識に出会った。日常も馬中心で交通手段の主役は馬らしい。

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2013年5月7日 馬が主役 ポルトガル/Golega 「ポルトガルの道」

馬に関係した土産物屋。そして、馬場では馬を調教する姿が見られる。 

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宿舎は消防署。2階の大部屋のマットの上でシュラーフに潜り込み眠りについた。

 

フランスのオクシタニー地域圏の町Condomを通りかかった。日本語ではコンドム又はコンドームと表記される。避妊具のコンドームはこの町に起源を持つとの説もある。世界遺産の大聖堂の前に四人の騎士が立っている。そうです、かのアレクサンドロ・デユマの三銃士である。ダルタニアンと言う人の出生地であるが、物語の隊長ダルタニアンとは別者らしい。一種のパクリか。足元に目をやると排水溝の脇に魚のパネルが張り付いていて何か言って”PROTEGEZ MA PLAMETE"「私の家族を守る」。河川の魚を守る為に排水溝に害になるものを流さないでとでも言っているのだろうか。三銃士はどこかに行ってしまった。

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2018年5月31日 何を守るって フランス/Condom 「ル・ピュイの道」

 

写真の企画展にと千代田区一番町の日本カメラ博物館を訪れた。その帰路東郷通を通りかかった。ロシアバルチック艦隊を破り名をあげた東郷平八郎の邸宅跡の東郷公園脇の通りである。でも、私は関心はその通りの両脇に描かれた絵柄に奪われた。平面で描かれた図がなんと立ち上がって見える。そうです。ドライバーのスピードダウンを促す道路標識であった。ものを置いたり文字で書いたりしないで、無意識のうちにドライバーの運転マナーについて語りかけている。何故他の場所でもこの手法が普及しないなだろうか。

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2019年9月29日 スピード落とせ 東京都/市ヶ谷東郷坂 街歩き

記憶のかけら–足元から/マンホール

2012年、”ロングトレール”の取っ掛かりとして四国の遍路道を歩いた。その時、マンホールの蓋にその土地に因んだイラストが刻み込まれ、町村界を越えるごとにその絵柄が変化するという楽しい経験をした。今では、全国でいわゆる”ご当地マンホール”として大流行りである。そして、こうしたマンホールを撮影収集する人も多いと言う。私にも少なからずのマンホールコレクションがある。私の関心を引いた出会いを大切にするので、収集したものでなく私に呼びかけてきたマンホールである。

 

スペインのマンホールは既製品以外見荷重のは見当たらなかった。でも、地中海に面したバレンシア市で、ダルマ型のマンホールに出会った。消火栓のマンホールであるが、機能面でこの形になったのだろう。日本では蓋が落下すると言われるのではないか?

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2015年7月4日 変形マンホール スペイン/Valencia    after「銀の道」

 

ポルトガルでは、私の関心を惹くマンホールには出会わなかった、と言うよりほぼマンホールを見かけなかった。アルバムをめくってみてナザレで撮った写真に偶然マンホールが映り込んでいた。貴重な一枚である。

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2013年6月2日 客引きの足元の興味惹き ポルトガル/Nazare   after「ポルトガルの道」 

 

フランスでも興味を惹くマンホールには出会わなかった。でも、ホタテ貝のサインのあるマンホールに出会った時ホッとさせられた。上水マンホールらしい。

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2018年5月5日 サンチャゴ巡礼マンホール フランス/Saint-Chely d'Aubrac

 

根津で見掛けた東京都下水道局の合流マンホールである。なぜ二重丸なのか確認未了である。メインテナンスの際、汚水と雨水で開ける蓋が違うのだろうか。チャンスがあれば関係者に確認したい。つまらないことでも単調な歩きを紛らわせてくれる。

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2013年10月21日 マンホールを知る 東京都/台東区根津

今回は地味な話ですみませんでした。