5月15日 何処で 何を

2013年5月15日

ポルトガルの道」も10日目。小さな街を繋ぐ標高100〜200mの余りの起伏の少ない地道を進む。未舗装の道は街に入るとピンコロ舗装の石の道になる。

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見た目はいいが足元は厚底でハードなソールの為足首は右へ左へと難業を強いられる。

30kmの歩行の後宿泊地Sao Joao da Madeiraに到着。巡礼路には様々な巡礼者用の宿が点在しているが、今日の宿はデイケア福祉施設がボランタリーで運営している。従って、宿代はfreeで夕食としてスープと水が供せられる。老人に混じって有難く戴いたが・・・外のレストランに出掛ける。ベッドは通常の蚕棚ではなく床に置かれたマットで、居心地はいい。

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例のイタリア人二人連れに警察OBのフランス人が加わった相部屋である。日本人は昨年は二人連れ一組で今年は私が二人目との事。明日はいよいよポルトガル第二の都市Portoに入る。

 

2016年5月15日

5月11日,伊勢市を発ち熊野古道の「伊勢路」を進む。5日目の朝紀伊長島の宿を出る。宿「ゆうがく邸」は田舎への移住を考えている方をサポートするNPO法人が木材商が建てた民家を取得し、滞在・体験施設として再生したものである。

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気持ち良く一夜を過ごせた。

途中、ガイドブックに"古道客を手厚くもてなしてくれるよ!主人の話も面白い!是非よってみて"とあった「庄次屋」に立ち寄る。主の柴田さんは東京の設計事務所をリタイアー後、古里の上里に帰り地元材で家を建て、幅広く地域づくり活動をしている。行政との協働に苦慮していると悩みを聞かされた。嘗て携わった仕事を含め共通点が多く思いの外話が弾んだ。次の宿まで一山越えねばならないため名残り惜しさを胸に秘め別れを告げた。

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因みに翌年の晩秋熊野古道の「小辺路」を歩いた帰路「伊勢路」を伊勢市に向かって逆方向に歩き、再度「庄次屋」に立ち寄り一晩酒を酌み交わした。

最後の行程は約5kmの馬越峠越えである。伊勢路は石畳の連続であるが、ここの石畳が一番美しいとの評判である。まだ途上ではあるが、その評価を裏切らない。

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尾鷲市市街地の外れの「山帰来」が今日の宿。2007年にサンチャゴ巡礼をされた川端さんご夫妻が、その経験から地元の尾鷲市で開かれた宿で一組/日の贅沢な?宿である。ご主人は教職を終えられた後は熊野古道センターの長を務めながら執筆活動もされている。同じ経験をしたもの同士で話題が尽きなかった。

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因みに、翌年の晩秋の一夜にもお世話になった。思いも掛けず夕食に招待していただき、新鮮な地元の産物をご馳走になった。

 

2018年5月15日

数日前、フランスの田舎で77歳の誕生日を迎えた。その時一期一会の行をともにしていた二人連れのフランス人女性からお祝いの言葉とともに、途中の農家でお土産に買ったと思われるタンポポを使った石鹸をプレゼントされた。Merci beaucoup!  その時「明日は雪が降るよ」と信じられない言葉が出た。その時は冗談かと思ったが、翌朝窓の外には白いモノがチラついていた。冬装備を準備していないため、不安を抱えながら一面銀世界の"Aubracの荒野越え"単独行の後、昨日無事宿泊地Saint-Chely-d'Aubracに辿り着いた。

今日は一転長閑なハイキングコース。途中「フランスの美しい村」の一つ、要塞都市Saint-Come-d'Oltを訪れる。歴史を経た家並みはとにかく絵になる。誰でもインスタグラム掲載の自己満足に応えてくれる写真がゲットできる。私も例外ではない。

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宿泊地は世界遺産のヴェー橋やペルス礼拝堂のEspalion。宿では、車で巡礼を続けるポーランド在住で神戸に住んだ事のある88歳のスイス人牧師と英語と日本語のチャンポンで話し込んだ。

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2019年5月15日

両国の江戸東京博物館の展示"江戸の街道をゆく"に出掛けた。蒔絵や金工など時代の翠を集めた大名籠はまさに"動く御殿"。丸に十の字は薩摩藩。そして、小ぶりな姿は女乗り物だったと思う。

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2020年5月15日

前方のテレビでNHK BSプレミアム2016年放送の「いのちよみがえるとき 完全密着 瀬戸内寂聴」を

再放送している。本日は寂聴さん98歳の誕生日である。

5月8日 何処で 何を

緊急事態宣言後1ヶ月たつも出口は見つからない。かく言う私は読書三昧でパチンコ屋に行く余裕もない。図書館閉館前に駆け込みで限度の10冊を手に入れたが既に読破した。現在、本棚に並ぶ最もお気に入りの作家"横山秀夫"さんに再チャレンジ中である。650ページに及ぶ「64」も瞬く間。

テレビも今やニュースやドキュメンタリー以外はほぼ接点無し。但し「プレバト」だけは文章を書く上で教えられることが多く視聴を欠かさない。

ほぼ蟄居閉門中の身、1ヶ月前までのまち歩き中心の生活パターンは大きく様変わりし、このブログもネタ探しに四苦八苦。そこで秘蔵の「記憶の引き出し」を覗いて、過ぎ去った今日の"何処で" "何を"を振り返ってみる事とした。

 

2013年5月8日

4日,Lisbonから「ポルトガルの道」に歩を踏み入れ5日目、Tomarに到着。市街地はずれの山上にポルトガル最大で世界遺産のキリスト修道院がある。12Cイスラム教徒との戦いに功績のあったテンプル騎士団が拠点として聖堂と城塞を築いた。その後16Cまで増改築が続き、ムデハル様式からゴシック、ルネサンス、マヌエル様式までポルトガル建築の変遷をたどれる。坂を登るとその威容が現れる。

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大航海時代を象徴するロープ、鎖、サンゴといったモチーフが刻まれたマヌエル様式の窓が見どころ。しかし、表面を覆うカビ?は永年曝されてきた風雨のせいだけだろうか。

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堂内に入ると世界に向かって躍進したポルトガルを彷彿とさせるビザンチン風ロマネスク様式の聖堂。

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建物の内外を巡っているとポルトガルの栄枯盛衰をひしひしと感じる。

この街で嫁さんが姉妹と言う二人連れのイタリア人に出会った。その後、適当な距離感を保ちながら共に聖地Santiago de Compostelaに到達した。 

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2018年5月8日

昨日、ParisからAutunに立ち寄り、TGVでLyonに入った。フランス第二の都市で楽しみ方は人それぞぞれであるが、私はLyon cardを使いローマ時代、ルネサンス時代そして現代のLyonを愉しむ。

まずは、フルビエールの丘中腹に残るローマ時代の遺跡に佇み、ノートルダム大聖堂の建つ頂上からルネサンス時代の面影を求めて昨日彷徨った旧市街を俯瞰した。

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トラムで再開発の進む港湾地区に向かう。新しく建つ建物は形は自由奔放、カラーは様々な原色。でも、奇異さは全く感じさせず景観の中に見事に収まっている。さすがフランスである。

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ベルクール広場のサンテグジュベリには会うことができなかった。

国鉄スト真っ只中。悪戦苦闘の末夕暮れ近くに明日から歩く巡礼路「ル・ピュイの道」のスタート地Le Puy=en=Velayの宿にたどり着いた。

 

2019年5月8日

江戸三大祭りの一つ神田祭の近づいた夕暮れの日本橋の路上に立つ。日本橋三越百貨店の軒先に並ぶ無数の提灯には明かりが灯っていた。

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日本橋三井タワーはライトアップに浮かびあがっていた。

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1995年5月8日

テレサ・テン 、タイのチェンマイで死去

 

 

 

 

 

 

 

 

危機感/不安感

私の一日は早朝に始まる。5時前に起き出しウオーキングに出かける。コースは近所の石神井川沿いである。息がはずむくらいtのスピードで歩くと有酸素運動となり効果的であり、負担が大きすぎると感じたらは、楽なスピードと交互に歩くインターバル歩行がオススメということを知り、今年に入り7キロから4キロに距離を短縮している。途中に出会う人は10〜15人で、平日は散歩人や通勤者で土日にはジョギングやウオーキングが加わる。散歩人はほぼ高齢者で、出会ったお馴染みさんとマスク無しで向かい合って長々とお喋りをしている。屋外一密でOKという認識か。

スマホアプリのラジオクラウドで前日のニューストーク番組を聞きながら歩く。日曜日には土曜日のTBS「久米宏 ラジオなんですけど」を聞く。嘗て、テレビ朝日の「ニュースステーション」でニュース番組に大変革を起こした久米宏の歯に絹着せぬしゃべりは全く衰えていない。先週は現在バルセロナ豆腐屋を営んでいる同番組のコメンテーターを務めた元朝日新聞論説委員清水建宇さんをゲストに迎えスペインの新型コロナ対応の現地報告があった。

スペインは医療崩壊で確認された感染者が米国に次ぐ。行動制限は厳しく半径500m以内の買物/医療/介護/犬の散歩の外出以外は禁止で、違反者は€100〜€60,000の罰金、そして1年間の禁固刑が課せられる。厳格に実行されているが国民からは殆ど苦情は出ていないそうだ。鶏を連れて散歩していた人も罰金は免れなかったそうだ。それには、老人を大事にするスペインの国民性が産む大きな危機感に起因していると氏は言う。クリスマスイブには殆どの家庭で年老いた親の家に集まり夕食を共にする。その日には大半の飲食店は止む無く店を閉じる。そして、死者の90%以上を70歳以上が占める。

スペインでは1日5回の食事を摂ると言われる。それも外食が多い。その大きな楽しみが今奪われているのである。

 

私は、短期間であるがスペインの少し深いところに触れた経験から、清水さんの話は納得の行くものであった。

 

因みにパリ在住の作家辻仁成氏も97%がロックダウンを支持していると言っていた。

 

テレビではラテン民族の野放図な行動として報道されている感があるが、地元で生活している人の実感は違うようである。 

日本人は規則を守る礼儀正しい民族だから厳しく規制しなくても大丈夫とよく言われる。しかし、私を含めた多くの日本人は、自分で考え自分で判断して行動するという教育を受けていない。外に出ればエスカレーターの乗り方まで教えてくれる。海外で一人旅をしているとあらゆる局面で自分で考え判断をすることを求められる。今回の緊急事態宣言では国民の判断に任せる曖昧な表現になっている為、どう行動していいか途端に迷ってしまう。最前線で行動してしている人達以外、私を含めた多くの日本人の意識は不安感のまま思考停止している。

 

外に目をやると、突然の雷雨が過ぎ去って何もなかったかのように明るい日差しが戻っている。そして、目の前の架線に残っていた雨水が赤や黄色にキラキラと光っている。少し明るい気分にさせられた。

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暫くすると唯の水玉に戻っていた。 

 

 

 

トップの決断

ノートルダム寺院火災のドキュメンタリー番組「消防士たちの戦い」が再度放送された。前回は消火活動の全体の流れとして視たが今回は別の視点で視た。消火活動は軍の特殊部隊が消防隊を指揮していた。その関係からかマクロン大統領の姿が再三映し出された。沈鬱な表情であるが殆ど瞬きをせずに前方を見つめる力強い視線は印象的であった。延焼による鐘楼の崩壊が迫った時、消防隊員の命を賭してでも国の宝を護るべきかの究極の判断は大統領に託された。二者択一では無いにしろ非常に重い判断を迫られたであろう。幸いにも人的犠牲を払う事なく大聖堂のファサードは護られた。

翻って、今回の新型コロナウィールス問題も極論すれば国民の生命を護るか、国家の存続を左右する経済を護るかの判断は国家のリーダーに託されている。私は言動は言動として各国のリーダーの腹のくくり具合はその目の表情を見て判断している。「目は口ほどにものを言い」という事か。

 

重い話はここまでにして、ノートルダム寺院ファサードと言えば聖堂内には立ち入らなかったが、前を通り過ぎる時に三枚の写真を残していた。

一枚は聖堂中央入り口の上部のタンパンである。

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大聖堂と言えばステンドグラス殊に薔薇窓ときますが、この時の私はファサードのタンパン、そして堂内の柱頭彫刻であった。聖書の読めない庶民をこれらの前で信仰に導いて来たのだ。かく言う私も聖書には全く縁無く過ごしてきたが、旅に出る前に聖書に関わる絵画や彫刻を少しづつ齧っていると興味が湧いてきた。これにはまってしまうと旅が進まなくなりそうである。

巡礼途上のコンクでもロマネスクのサント・フォア聖堂のタンパンに出会った。

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両者ともテーマは"最後の審判"であるが、並べてみるとロマネスクとゴシックの違いをも愉しむ事ができる。

 

そして、左の聖母の門に目を移すとその上部に興味深い聖人像が現れた。自分の首を抱えている。

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フランスの守護聖人サン・ドニである。3C、パリの初代司教のサン・ドニキリスト教信仰の広布に努めた。それに不安を抱いたローマ皇帝が拷問の末、彼をモンマルトルの丘で斬首した。サン・ドニはその首を拾い上げ抱えて歩き始め、遂にパリ北部のサン・ドニで息絶えた。その墓所の上に建てられたのが"国王の墓所"サン・ドニ修道院である。

歴代王の戴冠式を行ったランス大聖堂でも、このサン・ドニさんに出会った。隣にも首を抱えた成人がいるが・・・・・

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右隣の天使像も含め表現の相違を愉しめる。

 

更に視線を上に移すと居並ぶ28体の像。イエスの祖先の諸王であり、"王のギャラリー"と言われる。壮観な眺めである。ところが、フランス革命の時歴代の王と見做され破壊されたそうだ。

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その後復元されたが破壊された像はクリューニー美術館に保存されている。 見事に斬首されている。

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何処かで見た事がある。タイのアユタヤで出会った斬首された仏像群である。

クリューニー美術館には訪問を楽しみにしていたが、なんと改修工事で入り口は閉じられていた。パリ再訪が叶えば、貸切イベントで入館不可であったギュスターヴ・モロー美術館、鉄道のストで涙を飲んだルーアン大聖堂と共に先ずは出かけたい。

 

と、見聞きした事柄を契機に引き出しを開けながらもう一つの旅に出かける。

 

 

反芻する愉しみ

昨年の4月15日に何があったか思い出せますか。パリのノートルダム寺院の火災です。この所毎日のようにテレビ画面にパリ市内の様子、特に象徴的なノートルダム寺院が映し出されます。しかし、時間の経過、そして今般の新型コロナウイルスの関係から火災のことは記憶の外に追いやられている様です。かくいう私も先日NHKBS1のドキュメンタリー番組「消防士たちの戦い」に出会い、記憶が蘇った次第です。番組で興味深かったのは 寺院のお宝である聖遺物の救出です。なんと、キリストの荊冠そして磔に使われた釘です。彼らは我々には信じられないようなものを大真面目に所有しているのです。感銘さえ覚えます。管理者が現場で金庫の暗証番号を思い出せず、電話で確認し危機一髪救出したそうです。そして、あの鐘楼が崩落する危機が迫った時の消火活動です。巨大な鐘が落下すれば 床が破壊され バランスを失った二つの鐘楼は跡形もなく崩れ落ちたのだそうです。

 

私は、その10ヶ月前に多くの観光客がたむろす寺院の足元を何度か早足で通り過ぎていました。パリは何度か訪れていたので、行列に並んでまで堂内に入るまでの意欲を持ち合わせていませんでした。しかし、ノートルダム寺院で是非訪れたいと思った所がありました。

 

中世以後の街路の造り方は無秩序というほかなく、ノートル・ダム大聖堂の前には迷路のような街が出来上がった。

(中略)

それでも二カ所だけ、オスマンの鶴嘴を免れた街区がある。 一つは島の先端にあるドフィーヌ広場。もう一つはノートルダム・大聖堂の横。いずれも、オスマンの失脚で工事がストップしたおかげでかろうじて生きのびた民家の群れである。とりわけ、後者はバルザックが「現代史の裏面」で描いた街が手つかずで残っていて、オスマン以前のパリの空気を呼吸することができる。

特にお薦めしたいのは、クロワートル・ド・ノートル・ダム通りに入ってシャントル通りで右に折れ、ユルサン通りに抜けたところで後ろを振り返るとというコース。両側に壁が迫った狭くて暗いシャントル通りから視線を上方に上げると、そこにはノートル・ダムの後陣の尖塔が空を貫いている光景が目に入るはずだ。

(中略)

タイムマシンで19世紀の古いパリに旅するならここというような決定的なスポットである。

             「パリの秘密」 鹿島茂/中央公論社

 

残念ながら鹿島さんの知識・教養にははるかに及ばない私ですが、私は私なりのタイムマシンの旅が出来ました。

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一度でも自分の行った国、 (中略) そういう国が出てくると、どんなかけらでも食い入るように画面を眺める。

(中略)

その人は、私の顔をじっと見て、

「君はまだ若いね」

と言った。

「野球に限らず、反芻が一番楽しいと思うがね」

旅も恋も、そのときもたのしいが、反芻はもっとたのしいのである。ところで、草を反芻している牛は、やはり、その草を食べたときのことを思い出しながら口を動かしているものであろうか。

  「向田邦子ベスト・エッセイ」 向田和子 編/ちくま文庫

朝焼けのとの出会い

2020年4月7日、ウオーキングに向かう空に朝焼け

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名残のサクラを愛でつつ帰宅する。

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何か意味合いがあるかと思いスマホを開く。雨の前兆とある。それ以外特段の意味は見当たらない。しかし、一つの俳句が目に入った。

                 「朝焼けのけふ何ごとかあるらしき」  万太郎

 

朝、BS1ワールドニュースにチャンネルを合わせる。あの時出会った人々が瞼の裏をよぎる。初めての出会いでありながら、"Hola! " "Bonjour! "・・・でもう旧知の友達。言葉は通じなくても、大事なところは通じ合える。ある日突然の再会、そして何となくの別れ。酌み交わす酒は全ての壁を取り払う。そして、各自蚕棚で深い眠りにつく。

一時の出会いの浅い付き合いであるが、深い付き合いだった彼らの事を思いながら、今日も画面に目をやる。

 

 

 

地球そして歴史との出会い

最近は専らテレビ視聴と読書で日々を過ごしています。NHKBSプレミアムで興味深い番組に出会いました。フランスのテレビ局がアルプスの造山運動をドキュメントしたものです。現在目にする事ができるその証が次々と映し出されます。そして、南フランスのLe Puy en Velayが映し出されました。そうです。私は2018年の5月にここからサンチャゴ巡礼の"ル・ピュイの道"へ足を踏み入れました。オーヴェルニュ地方オート・ロワール県の県庁所在地ですが、それ以上にこの地は地球にとって重要な意味を持つ土地だと知らされました。

この辺りは噴火が一度で収まった単成火山と言う小さな火山の集積地だそうです。地中海プレートが大陸に押し上げてきてイタリア半島が生まれた時、大陸側との間に挟まれた土地が左右に押し出され、その部分の厚さが薄くなり、弱い部分からその下に溜まっていたマグマが噴き出したのです。マグマの量は少なく分散して噴き出した為に一度の噴火で収まり、噴火を繰り返した普通の火山で見られるような大きな火山にならなかったそうです。100%正確ではありませんが概ねこんな解説でした。

突然であった国鉄のストを悪戦苦闘の末、代替バスでリヨンからル・ピュイに到達した時には既に日が暮れていました。翌朝、ノートルダム大聖堂の巡礼の無事を願うミサに列席しました。40〜50人集まっていました。

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列席者の紹介がありジャポネと言う言葉が聞こえ、視線が一斉に集中しました。勝手ですが

オンリーワンの誇らしさを感じました。その後、突然聖堂中央の床が開き、巡礼者はその中の階段を下って巡礼へと旅立ちました。

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 先ずはサン・ミッシェル・デギレ礼拝堂へと向かいました。そうです。この礼拝堂こそ単成火山の頂上に建っていたのです。目の前にその姿が現れました。

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当時はこの岩山生成の背景を知らなかった為その姿に奇異さを感じました。今になってあの出会いの刻をもっと大事にすべきだったと思われます。268段の急な階段を登り詰めると、目の前には12Cに建てられたロマネスクの礼拝堂が迎えてくれました。

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何故こんな所にと思う。願いが叶う為にはできるだけ天に近いところと思ったのでしょうか。薄暗い堂内に入ると壁画そして天井画に包み込まれる。そして小さなステンドグラスから微かな光が差し込んでくる。

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高台の為展望は抜群で、もう一つの単成火山頂上にはキリストを抱くマリア様が目に入る。

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そして、巡礼の目的地Saint-Jean-Pied-de-Portへ向け一歩を踏み出した。

 

因みに日本でも単成火山に出会えるそうです。伊豆半島ができた時に噴火してできた伊豆東部火山群です。その代表が国の天然記念物の大室山スコリア丘だそうです。

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そう言えば、"塩の道"を歩いた時にフォッサマグナパークで日本列島生成の痕跡に出会ったことを思い出しました。

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私は残念ながら地学に特段の関心を抱いていません。単なる旅のロマンとして語っている為、表現に曖昧さを伴うことを避ける事ができません。悪しからず!

 

最近、建築史家・建築家・東京大学名誉教授の著書を読みました。その中に"のこす言葉"が記されていました。気になったのでここにも残しておきます。

 

 部屋は一人の  住宅は家族の  建築は社会の  記憶の器。自力でも誰かに頼んでも  お金はかけてもかけなくとも  脳を絞り手足を動かして作れば大丈夫。器が消えると個人も家族も社会も記憶もこぼれて消えるでしょう。記憶喪失ご用心。

                               「藤森照信ー建築が人にはたらきかけること」 藤森照信/平凡社