光を捉える

 東京都写真美術館の写真展「建築×写真 ここのみにある光」に出かけた。旅の中で私は多くの建築物を写真に収めてきたが、著名写真家はどのように捉えてきたかを見てみたかった。

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展示物自身は流石に目を瞠るものであったが、正直なところ写真というより建築物そのものに関心が移ってしまった。写真として鑑賞する為改めて出かけることとした。

ところで、先日の神楽坂訪問の帰路六本木ミッドタウンのFUJIFILM SQUREに立ち寄った。目的は「アメリカ近代写真の至宝ギルバートコレクション展」のギャラリートークである。絵画については私も何となく自分なりの見方を持っているが、写真についてはよく分からないところがあった。

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米国のギルバート夫妻のコレクションのオリジナルプリントを京セラが購入し、京都国立近代美術館に寄贈したものの展示である。同美術館の主任研究員の説明を私なりに要約すると

「難しいことは別として、オリジナルプリントをじっくり鑑賞して欲しい。そして印刷物では見えなかったところを見て欲しい。」

となったが、説明者の助言に従い写真に触れない範囲にまで顔を近ずけて鑑賞出来た。対象の質感まで伝わり、モノクロであったがカラー以上に深いものを感じた。私の関心を引いた作品は「グラフィカルで個性的な明暗の階調持つ特有の写真を創り上げた」とされるブレッド・ウエストンのスペインとオランダので撮影した二作品であった。

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オリジナルでないの残念である。私も同じ様な構図で撮影したのを思いだし帰宅後アルバムをめくってみた。スペインの民家とフランスの運河の写真を見つけた。違いは歴然でウエストンの民家には材質感までハッキリと写しこまれており、絵画に見られる盛り上がり感まで見て取れたが

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念の為モノクロに変換してみたが

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運河の方は画質が悪く申し訳ないが、氏の写真は実と虚が渾然一体となって見ているうちに吸い込まれて行く感覚であったが、私のものは単に水面の反射を面白く感じたに止まっている。

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私の技量の向上は望むべくもないが、今後は出来るだけオリジナルプリントに接して写真の面白さを楽しみたいと思った次第である。

 

 

 

 

 

 

神楽坂再訪

新宿区の妙正寺川神田川沿いには、綺麗な水を求めて江戸時代から染めの職人の工房が集まり、現在も江戸小紋等の伝統を継承し、地域産業「染めの王国・新宿」として息づいている。

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新宿区染色協議会は毎年「紺屋めぐり」と銘打ち、工房の見学、体験、展示のイベントを模様している。残念ながら参加できなかったが、締めとして神楽坂毘沙門天(善国寺)の感謝祭に出かけた。ごくささやかなものであったが、堂内の作品展示には著名な作家のものではないものの暫く"洋の美"に接してきた自分には何か新鮮なものを感じた。説明によると、その主な顧客が公家と武家である事から京と江戸では違いがあったが、最近はその相違は顕著ではないとの事。しかし、素人目の感想であるが武士のイキを感じさせるモノに目を奪われた。

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そして、

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建物は新しいものであるが冬の日差しを受けた門の丸瓦は趣がある。

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神社には獅子や犬に似た想像上の動物「狛犬」が付き物であるが、寺である此処にも鎮座している。それも狛犬ならぬ"石虎"である。毘沙門天信仰から来ているそうだ。

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視線を挙げると 植物の影を写し込んだガラススクリーンが違和感なく収まっている。

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三年前にも「公園の象」を求めて神楽坂にやってきた。その時同様細い路地をうろつく。

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そして、かの国立競技場の隈研吾氏設計の赤城神社に行き着く。ここの狛犬は江戸時代に「加賀白山犬」として持て囃されたデザインを踏襲している。

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現在「三百名山」挑戦中の田中陽希の「二百名山」の再放送を見ていると、埼玉県秩父武甲山頂の御岳神社が紹介されたが狛犬はなんと"狼"である。

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野生の動物から作物を守る為狼を守護として祀ったとの事。アバラ骨剥き出しの姿にすざましさを感じさせる。神社仏閣の見所として"狛犬"が加わった。

 

 

 

 

フランスで最も美しい村ーSaint-Cirq-Lapopie

「ル・ピュイの道」のFigeacとCahorsの間にはメインルートの他にCele川の畔を歩くオルターナティブルートがある。時には水辺を歩きたいとの思いと共に「フランスの最も美しい村」で人気の高いサン・シル・ラポピーを覗いてみたいと言う野次馬根性で後者の道を進んだ。因みにこの村は人口二百人強の要塞の村で「フランス人が選ぶ好きな村」の1位なった事もあり、近年では日本発の海外ツアーの訪問地にもなっている。吉村氏は「多くのアーティストに愛された中世の面影を残す要塞の村」と紹介している。

 巡礼15日目の5月23日,巡礼路を外れCele川が合流するLot川を渡る。川沿いを進む寄り道である。岩壁を抉って造られた道の壁面には何と彫刻作品が続く。

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約1時間後に険しい山道を登ると城塞の足元にたどり着いた。村の入り口の反対側からの訪問である。近くの観光案内所で地図を入手し、ザックを預けた後持参のバゲットに生ハムとチーズを挟みコーラを飲みながらささやかなランチ。そして、デザートのバナナ。

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 要塞跡に上ると小さな村の全貌が見渡せる。ここでも見どころは甍の波である。茶色の傾斜のきつい屋根が展開する。雨が多いところなのだろうか。

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足下にはハーフティンバーの可愛らしい民家が佇んでいる。

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狭いながらもメイン路を下って行く。現在の姿になったのは13〜14C頃だそうだが、家並みには当時の面影が感じ取れる。

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嬉しい事に足元には珍しく水道組合のマンホールが出迎えてくれた。

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そして、嘗ての要塞の門が現れた。観光客はここから村にアプローチする。振り返るとお約束のゴシック様式のサンシル教会が屹立する。途中で立ち寄ったが入口に立ちはだかる恰幅のいいご婦人が有料であると宣言をした。普通の教会と思われるが……パスした。

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巡礼路への帰り道で見かけたオブジェは自然の中に静かに佇んでいた。

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バカンス前という事もあり観光客は疎らで、おまけに東洋の団体客とのバッティングもなく、「美しい村」を十分に享受する事ができ、往復8kmの寄り道の苦労も忘れさせてくれた。

 

フランスで最も美しい村ーConques-2

 吉村氏はコンクを「渓谷をゆく巡礼者たちの休憩地、人々の信仰を集めた重厚な教会」と紹介しているが、村を出る時ロット渓谷を横切る以外この辺りでは渓谷とは縁がなかった。そして、サント・フォア修道院も重厚というよりもひっそりと佇んでいたという印象である。建物は11〜12Cに建てられたロマネスク様式で、控えめに巡礼者を迎えるタンパンのテーマは「最後の審判」。土葬された死者は世界の終焉後に生前の行いを審判され、天国か地獄行きが決められる。その時まで身の振り方が定まらないので火葬にしなかったのかとのかと勝手な解釈をする。

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観光案内所で入手した日本語の説明図を参照しながら暫くの間見入る。

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向かって右の地獄は残酷であるが左側の天国より興味深い。

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タンパンの淵から覗く悪魔?は何をしているのか。

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堂内のステンドグラスはゴシックと異なり単純な装飾に留まっているが、そのシンプルさがかえって荘厳さを醸し出している。

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 200本を超える柱には柱頭彫刻が施されているが、長い年月に殆どの物が磨耗して元の姿を止めていない。

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外壁の彫刻が興味を引いたが、背景が分かれば更に心に残ったかもしれない。

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観光客が必ず訪れる聖女フォアの頭蓋骨を納める人像形の黄金の聖遺物箱は何となく関心が薄くパス。

人気のない翌朝7時前に霧に浮かび上がるコンク村を出立する。

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苔むしたローマ橋を渡りロット川の対岸から再度600mまで登りとなる。

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途中小さな礼拝堂で村に別れを告げる。

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評判通りの「美しい村」であったが、時期的に観光客が少なかった事、取り分け〇〇人に出会わなかった事は臍曲がりの満足感を高めてくれた。

因みに、Conquesとは帆立貝の意であり村の形状から村名となったとの事。

 

 

 

 

 

フランスで最も美しい村ーConques-1

巡礼10日目の5月18日「美しい村」コンクに向かう。 3日連続の「美しい村」である。最近は日本からのツアーに組み込まれ嫌な予感がする。

谷間にひっそりと佇む村の為、自動車道を外れ急で足元の悪い山道を300m近く一気に下る。一寸不安になった頃村役場Mairieが現れた。 

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更に進むと家並みに入る。観光客とは反対からのアプローチの為人影は無く、「美しい村」の片鱗が伺われる。

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石を素材とした屋根、壁、舗装。灰色で統一されながら微妙に変形した甍の波。私の好きな景観の一つである。

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そして、村の中心をなすサン・フォア修道院付属教会の尖塔が姿を表す。

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先ずは観光案内所に寄り地図をゲットし宿の所在を確認する。日本語の地図は有難いがへそ曲りの私には何となく旅情を削がれる感じがする。

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宿でシャワー、洗濯を済まし村内散策に出かける。人口は300人に満たない小さな村の為地図を片手に気の向くままにぶらつく。路地の上には渡り廊下が有り両側の家が繋がっている。

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 人気観光地でありながらバカンス前と言うこともあり比較的人影は少なく、のんびりと時を過ごしている。

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紀元はローマ時代らしく確認はしていないがそれらしいものが目に入る。

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狭い抜け道も楽しめる。赤い薔薇がいいアクセントになっている。

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集落の多くは自衛の為の要塞となっているが、ここにもその遺構が残されている。

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地元の人が山羊を連れて歩き生活も垣間見える。

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村内を軽く一回りした後、本命の教会に向かう。長くなるので次回に紹介する。

 

 

 

 

フランスの最も美しい村ーEstaing

巡礼路で手に入れた地図を見ていて前回紹介したサン・コーム・ドルトの地図を見つけた。要塞都市として紹介したがその様子がよく分かる。12Cに荘園主の邸宅(4)が建てられ、その後周辺との紛争があったのであろう15〜16Cにサン・ダミアン教会(3/前回のサン・ペニタン教会は誤り)それを取り巻くように防御壁を兼ねた住宅が建てられ要塞となった。邸宅は現在も一部村役場として使われている。しかし傷みが酷く役場以外の部分には立ち入ることが出来なかった。

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翌日5月16日,2番目の「美しい村」エスタンを通過する。その前に小さな集落を通りかかった。ある住宅の前で人を見かけた。朝歩き始めて3時間くらい人に出会わなかったこともあり声をかけた。片田舎であるが幸いにも私と同程度の英語が話せたので、深い話はできなかったが暫く会話を交わした。いい時間が過ごせた。

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石造りの住宅は特段のものではなかったが、私なりに"美しい"と思い今だにその光景が思い浮かぶ。

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木立の合間ロット川越しにエスタン村が現れた。

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吉村氏によると「白い瓦屋根を頂いた石造りの館が並ぶフランス王を救った勇士ゆかりの村」とあり、貴族エスタン家が12〜15Cに築いた城塞都市である。川沿いには 防御壁を兼ねた住宅。エスタン家は13C,神聖ローマ帝国イングランドと戦っていたフランス王フィリップ二世(尊厳王)を救いシンボルの百合の花の使用を許されたとある。

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巡礼路から外れ世界遺産ゴシック様式の橋を渡り城塞の中に入る。

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お約束通り城と教会がセットになっている。

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当時の面影を残す家並みを抜けて行く。

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村の守護聖人奉納の為15〜16Cに建てられたゴシック様式のサン・フルーレ教会は質素であるが、内部のステンドグラスそして入り口前の小さな広場がいい。

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そして村を睥睨してそびえるエスタン城。内部はちょっとした博物館であるが

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塔の上部から見下ろす石灰岩の屋根。赤っぽい屋根は多いが白っぽい屋根はなんとなく懐かしさを感じさせ心和む。

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ただ景色として眺めていると"凄い"とか"綺麗"とかの感想しか浮かばないが、少しでも歴史的事実を絡めると違った感想が思い浮かぶ。

 

フランスで最も美しい村ーSaint-Come-d'Olt

ル・ピュイの道を歩き始めて7日目の5月15日。前日は世界遺産に指定され花の咲き乱れた"Aubracの荒野越え"が季節外れの雪で辛い雪中行軍となってしまったが、高度が1,300mから一気に300m台に降ったせいもあり小雨の中の歩行となった。昼前、頂部が捻れた教会の鐘楼が目に入った。最初の"美しい村"サン・コーム・ドルトである。吉村氏によると「らせん形の鐘楼が村を見下ろす中世の面影を宿す谷間の宿」とあり、15〜16Cの中世の要塞都市である。

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さらに進むと道の両側には当時の家並みがそのまま残されている。人影はなく静まり返ってその時代に足を踏み込んだ錯覚を起こす。

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足元に点々と続く巡礼路を示す標識を辿って行くと、あの鐘塔の教会にたどり着く。

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ゴシック様式のシャペル・デ・ペニタン教会である。

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小さな村の教会らしく入口の装飾はシンプルだが、扉の彫刻に目を惹かれる。

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中に入るとこれもシンプルであるが、ステンドグラスはいつの時代のものかモダンを感じさせる。

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当時の要塞は住宅が防御壁を兼ねていることがある。住宅はこの地方の石造が主体であるが,柱・梁の間にレンガを充填したハーフティンバーも見受けられる。どこを見ても絵になる。

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煙突の並ぶ反りを持った屋根も見飽きがしない。

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宿泊は先の村なので名残惜しいがロット川を渡り先に進む。

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石の文化のお蔭か歴史と現実の生活が渾然一体となっており、最も美しい村かどうかは別として記憶に残る村である。

ところで、鐘塔の捻りは疑問のまま残っている。