スペインの赤

「私はダリの娘」  

政治不信のニュースのオンパレードの中で親父ギャグにもってこいのニュースがピカリと光を放っている。

ホンモノのダリの世界を実感すべくバルセロナ滞在中の半日を割いてフィゲレスに出かけた。約2時間の電車旅の後、駅から旧市街地を抜け、歩くこと約15分で早くも目の前にダリ劇場ミュージアムが現れた。外壁いっぱいを額縁に見立て空を想わせる青い絵画。そこに長い梯子が立て掛けられ、あたかも空へと向かって昇って行けるのではないかと思わせる。

館内に入るとメインホールの吹抜けの天井画と周囲の壁面に展開する作品群に圧倒される。独特の仕掛けを施された様々な作品に心をときめかせながら巡り歩く。円形の回廊には各階で壁面の色を変え、そこに額縁に入った作品が並べられている。その中で赤色の壁に掛かった作品に目が止まった。A5判位の小品で中近東の騎馬兵群を描いた特段目立つものではない。しかしその絵を取り囲むバックの赤が背後の壁面を思わせ、恰も壁に貼り付けた絵に額縁の枠を配したように見えた。赤と言えば以前紹介したスペイン大使館の赤が蘇ってくる。

外に出て背後に回ると赤い外壁の上の屋上にお馴染みの巨大な卵が並んでいる。街の一画がダリワールドである。帰途、余韻を味わいながら2時間の車中を過ごした。 

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「描いたのはダリ」 2015/07/01

旅は道連れ

フェイスブックが何者かと試しに登録したところ、友達探しになんとスペインやポルトガルで何日間か共に巡礼路を歩いたイタリア人が二人顔を出した。プロフィールには何も触れていないのにどうして私に結びつけたのか不思議である。

巡礼路を歩いていると歩行ペースや宿舎のピッチで日々に出会う人がほぼ決まってくる。世界各国から集まっているので、"オラー"と声をかけ合い万国共通語と目される拙い英語で話しかける。そのうち何かを切っ掛けに一緒に行動をする密度が高まる人ができてくる。切っ掛けはやはり歩行のペースと言葉が通じ合うかどうかは別としてコミュニケーションのフィット感である。私の道連れは「フランス人の道」ではスペイン人グループ(+イタリア人、ブラジル人)、「ポルトガルの道」はイタリア人の二人連れとフランス人、「北の道」ではイタリア人の二人連れ、そして「銀の道」ではイタリア人の一人旅。なぜかイタリア人である。考えるにイタリア人は女性に限らず男性に対しても気軽に声をかけてくるし、他人の面倒を見るのがとにかく好きである。さらに何かにつけ自分達が一番と思っているから、そのスタンスに合わせていれば"一期一会"のパートナーとしては最高である。そしてもう一つ付け加えると、万国共通の話題が大好きである。通訳で作家の米原万里さんも著書の「ガセネッタ&シモネッタ」の中で言っている。

 

通訳者に下 ネタ好きが多いのは、理解できる。これほどいかなる言語、文化をも楽々と飛び越えて万人に通じる概念はないからだ。いまはやりのグローバリズムに最も合致するのが下ネタ。 

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「北の道」の道連れで愛すべき"Filippo"   2014/06/15

歴史を歩く

最近「チバニアン申請」がニュースになっており、十分に理解できていないが地球の歴史の空白部分を埋める画期的なことらしい。ネアンデルタール人北京原人が生きていた数十万年前のことであり、人間の歴史と言うより地球の歴史に属するものと思うが、これが採用されれば一時的であろうが千葉県の市原市には観光客が殺到することであろう。

ここ数年国内外の歴史の道を歩いている。スペインではローマ帝国が作った紀元前後の建物、道路、橋等が現在の社会で未だに現役として活用されている。その中に身を置くと歴史上の対象物としてではなく今現在のものとして実感できる。周りに人がいない時にはその景観の中で主人公になれ、あれやこれやと空想の世界に浸ることが出来る。一人歩きの特権である。

熊野古道の石畳の峠越えをしていると、当時の生活や信仰のために往来した人々と気持ちが通じ合い、その過酷さに想いを致すことが出来る。

先月「塩の道」を歩き、その途上で「フォッサマグナ」なるものを垣間見ることができた。なんと2,500年前の世界へワープしたのである。そこには日本列島の形が出来上がった一つの証しが残されていた。東日本と西日本の境界、さらには"くの字型"に曲がった日本列島の成り立ち。

現場に立つと人間の歴史を超えた地球の歴史まで実感出来る。これこそ旅の醍醐味であり、そしてひとり旅の特権である。

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フォッサマグナパーク  2017/05/19

 

 

 

 

旅人よどの街で死ぬか

私はここ数年旅を続けている。それも主として国内外を長期にわたり一人で歩き回るものでもので、所謂ロングトレイルである。何を老境に達した今になってあえて辛い旅を始めたのか。いつか自分なりに整理してみようと思っていたところ、最近作家の伊集院静氏の表記の著書に出会った。プロローグを読み始め、その奥深さには及ばないが氏の旅に対する考えが私の考えにほぼ一致している事に気づき抜書きをしてみた。

 

それでも私は、旅をしたことで私の身体に、記憶に、今もきちんと埋め込まれている旅の日々が他の行動では決して得ることのできなかったことを、確信できます。(中略)

なぜ旅を始めようと思ったのか?それは人生の終着がおぼろに見えはじめたとき、やり残していることだらけであることに気づいたからです。(中略)

そのとき私は、もしかして旅先で自分の時間が終着するかもしれないと思いました。(中略)

旅とは"日常からの別離"だと私は考えています。非日常の時間こそが、旅の真髄だと思います。(中略)

この旅で私の身体に入ってきたものは、それまで写真や資料で知っていたものとはまるで違ったものでした。(中略)歴史の真実とは、そこに足を踏み入れた者が、真実の気配を察するものでしょう。(中略)

皆さんがその街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体の中に、その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。         「旅人よどの街で死ぬか。」  伊集院静  集英社

 

齋藤孝氏も「「引用」するということは、他の人の知性を媒介にして自分の思っていることを表現できるようになるということです。」(「文脈力こそ知性である」 角川新書)と言っており、取り敢えず今回は引用でご勘弁願いたい。

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「北の道」Montenedo付近  20140618

 

 

一本の道

テレビでは連日真夏日の話題が続いている。先週はその真夏日の"一本の道"「塩の道」を歩いていた。身体が萎えていたせいもあり、スペインでの熱い日差しのもとでの巡礼行以上の辛さを感じた。

先日一ヶ月ぶりにBSプレミアムで "一本の道"を視た。一本は翌日に誕生日を迎えるあの桑子アナが歩く「"天空の城"古代ローマの道をゆく〜イタリア中部〜」の特別再放送。紀元前のエトルリアに始まりローマ帝国により整備されたフィレンツェからローマの間の道で、途中の湖の魚を運んだことから「魚の道」とも呼ばれている。その翌日には「スペイン"魚とワインの道"を歩く〜バスク地方〜」の再放送。スペイン北部の内陸部からカンタブリア海まで峠を越えながら歩く。緑も多く日本の道に似ている。途中ピカソの絵によって有名になったゲルニカを通過する。「北の道」を歩いた時私はこの道を横切っていたのだ。双方の道とも嘗ての地域住民の生活ににとって重要な流通経路であった。

「塩の道」は北前船で瀬戸内海の竹原等から運んだ塩や日本海の魚を糸魚川に運び歩荷という運搬人や牛馬で松本まで運んだ。前半には860mの大網峠を始め幾つかの峠越えがある。山道では牛を使ったそうだ。牛は偶蹄類で坂道を踏みしめることができるからだと囲炉裏端で教えられた。松本からの帰りには何を運んだか聞きそびれた。

あれやこれやと想いを馳せていると、又アル中が再発しそうである。

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大町市「塩の道ちょうじや」  2017/05/22

安曇野点景-2

安曇野市穂高松本市  18km  晴れ

 昨日の宿「ごほーでん」はビジネス民宿と歌っているが、建物は三階建てのでっかい木造の民家風を20年前に建てたものだそうだ。リゾートホテルと言っても通りそう。しかし宿泊客は殆ど建設現場の職人。どうもしっくり来ない。

天気予報で今日の最高気温が平年並みの24℃で昨日より8℃低いと言う。遅すぎる!

田植えの終わった田んぼに写る山々は美しいが、実物の方はもう一つはっきりしない。
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必然的に視線が下がり、例によってマンホールが目に入る。安曇野と言えば仲睦ましい男女の道祖神である。
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実物は至るところにあり、絵柄は色々で見てまわると楽しめる。拝めば壊れてしまった夫婦仲がもとに戻るのならば手を合わせるのであるが…
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隣の豊科には白鳥が渡来するのだろうか。
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いよいよ終着松本市。嘗ては手まり作りが盛んであったのであろうか。
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松本と言えば旧開智学校。展示物のなかに物騒なポスターがあった。決して最近のものではない。戦時中のものである。
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城に向かう途中に「池上百竹亭」と言うオープンガーデンに出会った。多くの文人と交流のあった故池上喜作翁の邸宅が市に寄贈されたものである。庭の一角に気になる石碑があり、五輪を模した図形の中に「無」「何」「有」「壽」とある。「何処にもないような寿」と言うめでたい意味に解釈できるそうだ。
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松本城は国宝であるが大地震で持たないかもしれないとの調査結果が発表された。城を出て繁華街に向かうともう一つ城に出くわした。城主は古本屋らしい。

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商店街の一隅で嘗ての造り酒屋が「蔵シック館」として市により公開されていた。財力を反映した建物で、入ったすぐの土間の吹き抜けには度肝を抜かれる。

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今回のロングトレールも今日まで。異常気候と体力の衰退でいくつかのトラブルはあったが、なんとか無事完了できた。小さな民家の「ゲストハウス東家」で一晩過ごし、明日は法事のため広島に向かう。

どうもお疲れさまでした!

安曇野点景

信濃大町安曇野市穂高  22km  晴れ

大町市は大きな街のためかローカル色のある宿が見つからずありきたりの駅前旅館。宿の人や他の泊まり客とのコミュニケーションもなく早めに寝込む 。

相変わらずの晴れであるが、地形の関係で道路が日陰となり、おまけの背後から風が吹き付け何時もより歩が進む。ところが雲が出て全体的に霞み、北アルプス表銀座のパノラマは迫力を欠く。今日は専ら身の回りで目についたものを書き連ねる。

田んぼに影を落としている屋敷の重層した屋根が気になった。平面構成を見てみたい。

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日本最古の新明造りの仁科神明宮。本殿は国宝との事であるが、勿体なくも目にすることができない。拝殿でその姿を想像する。
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池田町のマンホールに“てるてる坊主”の絵。その由縁は調査未了。
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何にでも頼り、ついには“吉祥仁王さまの下駄”に願いを託す寺。

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井上真央の朝ドラ「おひさま」の撮影に使われた等々力本陣。“とどろき”ではなく“とどりき”だそうだ。欄間のモチーフは勿論「山」。
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宿につき風呂・洗濯を済まし、近くの大王わさび農場へ。一面黒いネットで覆われ、腰を低くして覗きこまないと山葵は見えない。熱に弱いのだそうだ。私も熱に悩まされているが誰も配慮してくれない。水は冷たく澄んでおり、縦の水路から畝の間の横の小水路を経て、隣の縦の水路から排水されるシステマティックな水流が形成されている。
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テレビを見ていると、このエリアが三日連続の真夏日だとか、全国二位の最高気温だとか騒ぎ立てている。