旅人よどの街で死ぬか

私はここ数年旅を続けている。それも主として国内外を長期にわたり一人で歩き回るものでもので、所謂ロングトレイルである。何を老境に達した今になってあえて辛い旅を始めたのか。いつか自分なりに整理してみようと思っていたところ、最近作家の伊集院静氏の表記の著書に出会った。プロローグを読み始め、その奥深さには及ばないが氏の旅に対する考えが私の考えにほぼ一致している事に気づき抜書きをしてみた。

 

それでも私は、旅をしたことで私の身体に、記憶に、今もきちんと埋め込まれている旅の日々が他の行動では決して得ることのできなかったことを、確信できます。(中略)

なぜ旅を始めようと思ったのか?それは人生の終着がおぼろに見えはじめたとき、やり残していることだらけであることに気づいたからです。(中略)

そのとき私は、もしかして旅先で自分の時間が終着するかもしれないと思いました。(中略)

旅とは"日常からの別離"だと私は考えています。非日常の時間こそが、旅の真髄だと思います。(中略)

この旅で私の身体に入ってきたものは、それまで写真や資料で知っていたものとはまるで違ったものでした。(中略)歴史の真実とは、そこに足を踏み入れた者が、真実の気配を察するものでしょう。(中略)

皆さんがその街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体の中に、その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。         「旅人よどの街で死ぬか。」  伊集院静  集英社

 

齋藤孝氏も「「引用」するということは、他の人の知性を媒介にして自分の思っていることを表現できるようになるということです。」(「文脈力こそ知性である」 角川新書)と言っており、取り敢えず今回は引用でご勘弁願いたい。

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「北の道」Montenedo付近  20140618