南蛮道路交通事情
最近、自動車事故の頻発が気になる。
サンチャゴ巡礼でも歩車未分離の幹線道路では事故と隣り合わせで歩くことになる。すぐ脇を自動車が猛スピードで走り抜ける。警官OBのフランス人と同行時には、道路の右側や車道寄りを歩いて何度も厳しく注意を受けた。スペイン人のグループと一緒の時には、車が近づくと皆んなが一斉に"Coche"と叫んだ。
郊外の交差点はご存知ラウンドアバウトで、信号なしで見事に車が捌かれているが、歩行者にとっては大回りとなりあまり歓迎できない。しかし横断歩道の近くで歩行者が目に入ると、咄嗟にスピードを緩めじっと通過するのを待ってくれる。自分が巡礼者であるからではなく、車と歩行者の関係が日本とは異なるようである。余談であるが夜行バスでの移動時には、スピードを緩めないでラウンドアバウトを通過する為、身体がよじれその度に目がさめる。
巡礼後にはバスで各地を移動した。その時気になったのはバスの運転手が平気でスマホで通話したり、ハンドルの上でいじったりしている。又、最前席は地元利用者の優先席らしく、入れ替わり立ち替わり席を占める地元民とドライバーは世間話に余念が無い。単調な風景の中でのドライビングには気分転換に必要なのかもしれない。
幸いなことに滞在中事故には遭遇しなかったし、現場を見かける事も無かった。
ポルトガルの自動車道専用道路で時々見かけたジャンプ台?。確認はできなかったが、下り坂の先にあることからブレーキ事故対策装置と推察した。
スペイン国境の街Bragancaに向かう 2013/5/29
旅の安心・安全
最近バルセロナで起きた出来事には少なからず 他人事ならぬものを感じた。
一昨年「銀の道」歩いた後今回がスペイン最後の旅との思いがあり、二週間かけて鉄道とバスで各地を訪れたが、バルセロナでは4泊しガウディの作品巡りをした。その時の宿が事件発生場所から近く、現場付近を何の心配もなく往来していた観光客を日常的に眺めていたのを思い出した。
巡礼を始める前には高齢者の長期にわたる外国一人旅と言うことで、旅先での安心・安全には色々と配慮を巡らせた。いざ出かけてみると コミュニケーション不良以外には国内旅行とは大きく変わったことはなく、日本にいる時のあの煩わしさが無い分心の安定感が得られたと感じた。しかし、今にして思えば日々の行動にある意味での心の緩みがあったのでは無いかと思える。幸いなことに数度の巡礼を無事に終え今に至っている。巡礼は基本的に殆ど他人に出会わない道をたどるので、一人で歩けば何かが起こっても不思議では無い。しかし、私個人の経験としては問題となるような出来事には出会わなかったし、聞き及んだ事も無かった。
「銀の道」の最終日にサンチャゴの大聖堂に向け鉄道を超える陸橋を渡っていると、その鉄柵に花束などで色とりどりに飾り立てられていた。同行していたフランス人の説明で、2年前に77人の犠牲者を出した鉄道事故現場がその先に見えることを知った。そう言えばそんな事があったと言う自分の反応に少なからぬ不安を覚えた。又、犠牲者を悼む品々の色鮮やかさには"私たちは今でもあなた達と一緒だ"と言う心暖かいメッセージを感じた。
鉄道事故現場を望む陸橋 2015/06/26
スペイン料理と言えばパエリャ
日本人にとってスペイン料理と言えばパエリャであろう。ところが益野 碧さんの「スペイン・ライフ」においては、オリーブのタイトルの中で300字にも満たない記述である。ところが、"トルティリャ"はタイトル付きで1,000字弱。これでいいのだろうか。いや、これが現地感覚なのかもしれない。
「パエリャはいかにもスペイン的で美しい料理だ」に始まり、材料の説明があり
「パエリャは、重い食事とされているので、ピクルスを添えたり、食前のアスパラガスが出る程度で、この一皿のみで充分といわれる。」と素っ気ない。
ところで、スペインのレストランで注文しようとすると、"2人前から"とくる。せっかくだから2人前を注文すればと思われようが、ご存知のようにスペインでの1人前は日本での2人前に近い。従って一人旅の私は2回ぐらいしか食べた記憶がない。一度は「ポルトガルの道」を歩き通した日に、一緒にゴールしたイタリア人の誘いでフランス人を含めた四人で食べた。大きな平底鍋に豊富な魚介類で、日本での鍋料理を囲む感覚である。
もう一度は「銀の道」のサラマンカの手前の街でイタリア人とパエリャ専門の店での夕食。出てきたメニューに数種類のパエリャが並んでいる。なんとスペイン語に並んで英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語に続いて日本語。特段の観光地ではなく、巡礼者の通過は年間約1,200人で、統計から類推するに日本人はその0.5%にも満たない数人に過ぎない。スペイン語が話せない悲しさで、未だ謎のまま。参考までに注文は ボリューム満載の1人前からOKでした。
Bonos de Montemayorにて 2015/06/06
トルティリャ・エスパニョール
先週紹介した本「スペイン・ライフ」にトルティリャがおふくろの味として取り上げられている。
トルティリャとは、オムレツのことだ。いや、そう簡単に言ってしまってはいけない。この国のトルティリャには、百以上の種類がある。トマトや茄子、カラバシン(ズッキーニ)などはおなじみであるが、じゃがいもを使ってタルトのように焼き上げるものこそ、「トルティリャ・エスパニョール」なのである。
「スペイン・ライフ」益野 碧
私も昼食、夕食、間食として何度となくお世話になった。文中にも「おかずのようでもあり、主食のようでもあり、間食のようでもある。」とある。しかし、残念ながらじゃがいも以外のトルティリャにはお目にかからなかったし、その為味わうこともできなかった。次の機会があれば是非食してみたいと思っている。
「銀の道」のサラマンカの手前の村で夕食に トルティリャを注文した。ところが出てきたものは凡そ直径20センチ厚さ3センチの、ケーキで言えばホール?である。それまで何度も食べてきたがいつもカットしたものであり、店員に聞いてみたがこれが普通とあっさり撃退された。半分まで頑張ったが残りは朝食としてお持ち帰り。前回のボカディーリョとの戦いはこの日の約20日後くらいであり、全く学習が出来ていない。皆さんにも同じような経験がお有りと思うが、食べ物に関する失敗?は何時までも尾を引くものである。
「銀の道」Fuenterroble de Salvatierra 2015/6/7
世界で一番すてきな国
先日図書館で「スペイン・ライフ」(益野碧 文芸社)と題した本を目にし、そのタイトルに惹かれ早速借り出した。著者は大学在職中にスペインに留学し、退職後にスペインに居住して文化を研究し、その経験・知識を一冊のエッセイ集に纏めたと語っている。100ページに満たない小冊子であり、大きな活字で一枚の図版以外写真も無い。スペインに足を踏み入れたことの無い人には殆ど興味の湧かないであろう本である。しかし、私にとっては読み進めるにつれ"あるある"の連続で一気に読み切った。写真が無いことにより、自分の経験として読むことができ何度も読み返した。遂には手許に置いておきたくなり即アマゾンでゲット。なんと本体価格45円でコストパフォーマンス抜群である。
その中で"ボカディーリョ"が紹介されていた。フランスパンにトマトを塗り込み、レタスとハモンを挟んだスペイン流サンドイッチである。皮がパリパリでチョット食べにくいが 巡礼中の私の昼食の定番であった。
あるレストランで注文して出てきたのがなんとフランスパン丸々一本。こちらの人には並のボリュームらしいが、我が日本人にとっては特大以上である。悪戦苦闘する私を暫しのパートナーであるイタリアーノが笑いながら囃し立てる。結果は半分弱を翌日の朝食用にお持ち帰りとなった。
「銀の道」Puebla de Sanabria での苦闘 2015/6/17
記憶は蘇る
ロマネスクの時代にスペインという国家は存在しない。十一,十二世紀のイベリア半島は、キリスト教世界とイスラム世界に引き裂かれていた。 中略
スペインという統一国家の誕生する以前のイベリア半島の複雑な歴史。その錯綜こそが半島に残る多彩な中世キリスト教芸術の源泉となる。 「スペイン・ロマネスクへの旅 」 池田健二
最近ロマネスクにはまっており、次々に旅の記憶が蘇ってくる。
山のくまさん
先日NHKの"人名探究バラエティ 日本人のおなまえっ"の動物に因んだ名前をテーマにした番組をチラ見していて、あるコメンテーターが熊の付く名前の由来について話しているのを耳にした。<元々は地名の熊野の由来の一つにあるように辺境を意味する「隈」からきている。嘗ては北日本は別として熊に出会うことは殆どなかった。後々、熊の字を当てたのではないか。>らしき話をしていたと思う。
"熊野古道"や"塩の道"を歩いていて"熊に注意"の注意書きを頻繁に見かけたし、地元の人から最近熊が出没したから注意して下さいと声を掛けられた。熊野古道「小辺路」の伯母子峠の避難小屋で休んだ時、扉の下部がギザギザに欠けていたのを目にした。「ここで休んでいた。その時熊が来て外から扉を開けようとした時の痕跡だ。怖かった!」と側にいた人が当事者から聞いた話として教えてくれた。
後日ある民宿の親父にこの話をしたところ「熊野には熊なんかいやしない。何かの音に驚いて熊が出たと思っただけだ。ほんとに熊を見たと言う人がいたら会って話を聞いてみたい。」と自信たっぷりに喝破された。残念ながらと言おうか、未だ山中で熊に出会ったことのない私にとっては"真相は闇の中"。
学生時代に"蟹族"で北海道の羅臼岳に登った時、落石を頭に受け死亡した人を見かけた。熊に出会って逃げようとして落石を受けたとの話であったが、場所柄全く疑問を持たず熊に対する恐怖を感じたのを覚えている。
ところで、年初に芸人の「森のくまさん」替え歌騒動があったが、結末はどうだったのであろうか。