歴史を歩く

最近「チバニアン申請」がニュースになっており、十分に理解できていないが地球の歴史の空白部分を埋める画期的なことらしい。ネアンデルタール人北京原人が生きていた数十万年前のことであり、人間の歴史と言うより地球の歴史に属するものと思うが、これが採用されれば一時的であろうが千葉県の市原市には観光客が殺到することであろう。

ここ数年国内外の歴史の道を歩いている。スペインではローマ帝国が作った紀元前後の建物、道路、橋等が現在の社会で未だに現役として活用されている。その中に身を置くと歴史上の対象物としてではなく今現在のものとして実感できる。周りに人がいない時にはその景観の中で主人公になれ、あれやこれやと空想の世界に浸ることが出来る。一人歩きの特権である。

熊野古道の石畳の峠越えをしていると、当時の生活や信仰のために往来した人々と気持ちが通じ合い、その過酷さに想いを致すことが出来る。

先月「塩の道」を歩き、その途上で「フォッサマグナ」なるものを垣間見ることができた。なんと2,500年前の世界へワープしたのである。そこには日本列島の形が出来上がった一つの証しが残されていた。東日本と西日本の境界、さらには"くの字型"に曲がった日本列島の成り立ち。

現場に立つと人間の歴史を超えた地球の歴史まで実感出来る。これこそ旅の醍醐味であり、そしてひとり旅の特権である。

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フォッサマグナパーク  2017/05/19

 

 

 

 

旅人よどの街で死ぬか

私はここ数年旅を続けている。それも主として国内外を長期にわたり一人で歩き回るものでもので、所謂ロングトレイルである。何を老境に達した今になってあえて辛い旅を始めたのか。いつか自分なりに整理してみようと思っていたところ、最近作家の伊集院静氏の表記の著書に出会った。プロローグを読み始め、その奥深さには及ばないが氏の旅に対する考えが私の考えにほぼ一致している事に気づき抜書きをしてみた。

 

それでも私は、旅をしたことで私の身体に、記憶に、今もきちんと埋め込まれている旅の日々が他の行動では決して得ることのできなかったことを、確信できます。(中略)

なぜ旅を始めようと思ったのか?それは人生の終着がおぼろに見えはじめたとき、やり残していることだらけであることに気づいたからです。(中略)

そのとき私は、もしかして旅先で自分の時間が終着するかもしれないと思いました。(中略)

旅とは"日常からの別離"だと私は考えています。非日常の時間こそが、旅の真髄だと思います。(中略)

この旅で私の身体に入ってきたものは、それまで写真や資料で知っていたものとはまるで違ったものでした。(中略)歴史の真実とは、そこに足を踏み入れた者が、真実の気配を察するものでしょう。(中略)

皆さんがその街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体の中に、その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。         「旅人よどの街で死ぬか。」  伊集院静  集英社

 

齋藤孝氏も「「引用」するということは、他の人の知性を媒介にして自分の思っていることを表現できるようになるということです。」(「文脈力こそ知性である」 角川新書)と言っており、取り敢えず今回は引用でご勘弁願いたい。

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「北の道」Montenedo付近  20140618

 

 

一本の道

テレビでは連日真夏日の話題が続いている。先週はその真夏日の"一本の道"「塩の道」を歩いていた。身体が萎えていたせいもあり、スペインでの熱い日差しのもとでの巡礼行以上の辛さを感じた。

先日一ヶ月ぶりにBSプレミアムで "一本の道"を視た。一本は翌日に誕生日を迎えるあの桑子アナが歩く「"天空の城"古代ローマの道をゆく〜イタリア中部〜」の特別再放送。紀元前のエトルリアに始まりローマ帝国により整備されたフィレンツェからローマの間の道で、途中の湖の魚を運んだことから「魚の道」とも呼ばれている。その翌日には「スペイン"魚とワインの道"を歩く〜バスク地方〜」の再放送。スペイン北部の内陸部からカンタブリア海まで峠を越えながら歩く。緑も多く日本の道に似ている。途中ピカソの絵によって有名になったゲルニカを通過する。「北の道」を歩いた時私はこの道を横切っていたのだ。双方の道とも嘗ての地域住民の生活ににとって重要な流通経路であった。

「塩の道」は北前船で瀬戸内海の竹原等から運んだ塩や日本海の魚を糸魚川に運び歩荷という運搬人や牛馬で松本まで運んだ。前半には860mの大網峠を始め幾つかの峠越えがある。山道では牛を使ったそうだ。牛は偶蹄類で坂道を踏みしめることができるからだと囲炉裏端で教えられた。松本からの帰りには何を運んだか聞きそびれた。

あれやこれやと想いを馳せていると、又アル中が再発しそうである。

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大町市「塩の道ちょうじや」  2017/05/22

安曇野点景-2

安曇野市穂高松本市  18km  晴れ

 昨日の宿「ごほーでん」はビジネス民宿と歌っているが、建物は三階建てのでっかい木造の民家風を20年前に建てたものだそうだ。リゾートホテルと言っても通りそう。しかし宿泊客は殆ど建設現場の職人。どうもしっくり来ない。

天気予報で今日の最高気温が平年並みの24℃で昨日より8℃低いと言う。遅すぎる!

田植えの終わった田んぼに写る山々は美しいが、実物の方はもう一つはっきりしない。
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必然的に視線が下がり、例によってマンホールが目に入る。安曇野と言えば仲睦ましい男女の道祖神である。
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実物は至るところにあり、絵柄は色々で見てまわると楽しめる。拝めば壊れてしまった夫婦仲がもとに戻るのならば手を合わせるのであるが…
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隣の豊科には白鳥が渡来するのだろうか。
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いよいよ終着松本市。嘗ては手まり作りが盛んであったのであろうか。
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松本と言えば旧開智学校。展示物のなかに物騒なポスターがあった。決して最近のものではない。戦時中のものである。
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城に向かう途中に「池上百竹亭」と言うオープンガーデンに出会った。多くの文人と交流のあった故池上喜作翁の邸宅が市に寄贈されたものである。庭の一角に気になる石碑があり、五輪を模した図形の中に「無」「何」「有」「壽」とある。「何処にもないような寿」と言うめでたい意味に解釈できるそうだ。
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松本城は国宝であるが大地震で持たないかもしれないとの調査結果が発表された。城を出て繁華街に向かうともう一つ城に出くわした。城主は古本屋らしい。

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商店街の一隅で嘗ての造り酒屋が「蔵シック館」として市により公開されていた。財力を反映した建物で、入ったすぐの土間の吹き抜けには度肝を抜かれる。

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今回のロングトレールも今日まで。異常気候と体力の衰退でいくつかのトラブルはあったが、なんとか無事完了できた。小さな民家の「ゲストハウス東家」で一晩過ごし、明日は法事のため広島に向かう。

どうもお疲れさまでした!

安曇野点景

信濃大町安曇野市穂高  22km  晴れ

大町市は大きな街のためかローカル色のある宿が見つからずありきたりの駅前旅館。宿の人や他の泊まり客とのコミュニケーションもなく早めに寝込む 。

相変わらずの晴れであるが、地形の関係で道路が日陰となり、おまけの背後から風が吹き付け何時もより歩が進む。ところが雲が出て全体的に霞み、北アルプス表銀座のパノラマは迫力を欠く。今日は専ら身の回りで目についたものを書き連ねる。

田んぼに影を落としている屋敷の重層した屋根が気になった。平面構成を見てみたい。

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日本最古の新明造りの仁科神明宮。本殿は国宝との事であるが、勿体なくも目にすることができない。拝殿でその姿を想像する。
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池田町のマンホールに“てるてる坊主”の絵。その由縁は調査未了。
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何にでも頼り、ついには“吉祥仁王さまの下駄”に願いを託す寺。

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井上真央の朝ドラ「おひさま」の撮影に使われた等々力本陣。“とどろき”ではなく“とどりき”だそうだ。欄間のモチーフは勿論「山」。
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宿につき風呂・洗濯を済まし、近くの大王わさび農場へ。一面黒いネットで覆われ、腰を低くして覗きこまないと山葵は見えない。熱に弱いのだそうだ。私も熱に悩まされているが誰も配慮してくれない。水は冷たく澄んでおり、縦の水路から畝の間の横の小水路を経て、隣の縦の水路から排水されるシステマティックな水流が形成されている。
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テレビを見ていると、このエリアが三日連続の真夏日だとか、全国二位の最高気温だとか騒ぎ立てている。

 

やっとペース回復か

白馬~信濃大町  25km  晴れ

まずは昨夜の宿の紹介。オーナーは神奈川県のかたで30代で起業しほぼ30年。私の個人的実感として素泊まりの一人旅は歓迎されないようであるが、この宿は一人旅特に安全を気にする女性のそれ大歓迎を謳い文句にしている。建物はペンション風であり、備品・設備に至るまでご主人のセンスが徹底されているが、残念ながら宿泊者がついて行けないのか、あちこちに注意書が見受けられた。ドミトリーであれば二食付きで5,800円で写真の夕食と朝食(パンとスープがつく)。コストパフォーマンス抜群。全てご主人一人で調理。
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同室者は千葉の人で車であちこち一人旅。朝早く目覚めご主人推薦の姫川源流の親海湿原とオリンピックをのジャンプ台へ車で案内してくれた。一人旅同士の良いところである。
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雪山のパノラマをゆっくりと眺めながら歩き始める。
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墓石の黒いのが気になった

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至るところに石仏がある。昔の旅人はそれを道しるべにし安全を祈願しながら歩いたのであろう。
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建物の外周に大きな格子が組んである。推測するに稲を干すための柵であろう。
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大町の市街地に昔の塩問屋の建物を活用した「塩の道ちょうじや」と言う博物館がある。明治22年の大火で建て直しているが大きな財力を思わせる素晴らしい建物である。
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展示物に「ボッカ輸送規約」とあり、特急便として生魚を糸魚川から大町までのいくつもの峠越えのある80kmを24時間で運ぶとある。実際歩いてきたものとしてはとても信じがたい。アマゾンもびっくりである。

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ところで今日は計画の24kmを歩ききった。ほぼ平坦の道であったが、影を求めて道路を右へ左へと移動し、最も暑い昼過ぎは風通しの良い日陰で休息を取った効果があったのか。

 

農家ゲストハウス

小谷村瑞穂集落~白馬  11km  晴れ

昨日の宿「梢の雪」は滋賀県から来た30前後の若者と建物のオーナーが共同で経営している。

到着して休んでいると夕食の食材の野草採集の誘いがかかり、宿周辺の草むらへ出かける。その後皆で夕食の仕込みを済まし、温泉に出かける。車で20分で姫川温泉へ 。なんと昼間に悪戦苦闘の末たどり着いたところである。日帰り入浴であるが多くの入浴客で賑わっている。宿に帰り皆で夕食の準備完了。食事はいろりを囲み話が弾む。

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オーナーの蘊蓄の深い話は興味深い。寺の庭を思わせる囲炉裏の灰の模様にも一言二言。
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ところで同宿は富山からやって来た若者で、転職の合間のインターバル期間との事。何と軽トラでやって来た。後は名古屋から来た女性教師の二人連れ。

今朝は近所の養鶏場に出掛け地鶏の玉子確保。
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朝食は縁側で新緑を愛でながらの卵かけご飯。

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出発は九時半と遅く、これが後の行程に影響する。

今は田植え時で峠近くの田んぼでもその作業が見られる。この数日間まれに見る暑さで日中は屋外では軽く30℃を越えている。彼らは仕事であるが私は遊び。

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熱中症の不安と今までにない弱気が襲ったが、やっとの事で南小谷駅までたどり着いた。駅舎に入るとそこには何と畳敷の休憩所。えい、ままよと近くの店でビールを買い込み二時間後の電車まで昼寝。

目的地の白馬までの切符を買ったが、車窓に雪山のパノラマを目にしたとたん一つ手前の駅で飛び降り、最後の力を振り絞り宿まで歩いた。
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途中で見かけた中学校は、教育県長野らしさを感じさせるものであり、道路脇の石仏群は街道筋の点景として心を和ませてくれた。

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今日の宿は白馬の麓の整然とした街並みの続くみそら野の「風の子」。そろそろ眠気が襲って来たので続きは明日に。