出会った橋-ル・ピュイの道-16
6月6日の目的地は16世紀に要塞化された街Navarrenxである。周囲を取り囲む空堀と城壁で堅く守られている。この街も「最も美しい村」と言われて、確かにそれに値する街と感じるが、次々にこの称号に出会うと、その効能は薄れてゆくように感じる。
城壁の中には円形劇場を小型化したと思われる遺跡が残され、さらに1世紀まで遡る歴史を物語っている。
Amazonで入手したガイドブック「Maim Maim Dodo」で宿をチェックしていた時、唯一日本語が通じると言う日の丸マークを見つけた。 ここNavarrenxの”L’Alchimiste-Accueil benevole de pelerins"である。辞書を頼りに「錬金術師がボランティアで営む巡礼者の為の休養施設」と読み取った。歴史のある巡礼宿のようだ。宿泊を決めた。
中庭ではホストを中心に先着のグループが盛り上がっていた。差し出された薬草を煎じた飲み物を飲み干すと、疲れが一気に吹き飛んだ。
ホストの話によると嘗て日本人が共に働いていたが帰国してしまったのだそうだ。申し訳ないが日本語は通じないと言う。コミュニケーションは別として久しぶりに日本語に触れてみたかっただけであると返す。
しばらくすると奥に引っ込むと日の丸の鉢巻、そして日本刀を携えて現われた。精一杯の”日本”でもてなしてくれた。
この宿で最上と思われる部屋が提供された。錬金術をイメージさせるかのような演出が施ていた。
夕食はホスト手作りの料理であるが、そこにも”日本”盛り込まれていた。残念ながら「良い方法」の意味については確認出来なかったが、隣の料理にはフランス国旗も添えられておりご主人の日本人である私に対する気持ちは十分に通じた。因みにGR65はこの巡礼路”ル・ピュイの道”のトレッキングルートのナンバーである。
食後は6月と言うのに暖炉の火が燃え盛る部屋で全員が輪になって話し込んだ。部屋に戻った時には12時を越えていた。
翌朝、いくばくかのドナスティ–ボを箱に入れ宿を後にした。2時間位歩くと今回の巡礼の終着地を思わせる残雪のピレネー山脈が目の前に展開した。戦乱の歴史の一端を思い起こさせる野外展示物にはしばしば出会う。
小さな街で突然通学中の日本人親子に出会う。ご主人はフランス人らしいが、こんなところまで来ても日本人の居住者に出会う時代になったのだ。狭くなった世界を痛感する。
6月7日の宿は小高い丘の上にあった。予約の取れた次の宿との関係で12時過ぎには到着した。建物の前で一人ビール片手に、なんと言うこともない雲の群れを眺めながら長かった旅を思い返しながら時を過ごした。
7時から建物前に長々と横たわるテーブルで一同揃っての夕食である。緯度が高いせいかこの時間でもこの日差しである。
フランスの夕食は”前菜-メイン-チーズ-デザート”である。この地方のものと思われる多種類のチーズが盛り込まれたトレーが回ってくる。目の前に回ってきたものを残りの人数を睨みながら切り取る。フランス人は日常に食べつけているのであまり食べない。私は”bon appetit”の言葉に甘えて一通り食す。一番美味しかったチーズはヤギのチーズでこの辺りの地方の主な産物とのことである。最近は店で真空パックをしてくれるのでこれは帰国時に買い求めねばならないとチェックを入れる。
続く
「フランスでは365日違うチーズが食べられる。」とよく言われますが、正確には2年半以上違うチーズが食べられます。(中略)カマンベールチーズ、ロックフォール、ボン・レヴェックなど村の名前がそのまま 付けられたチーズが多く、それぞれの土地に昔から根付いた食べ物であることがよくわかります。
「フランスの小さくて温かな暮らし365日」荻野雅代・桜井道子/自由国民社