出会った橋ーフランス人の道−3

9月17日,Leonでガウディのボディーネス館に出会い、9月19日には同じくガウディのアストルガ司教館に出会う期待に胸膨らませAstorgaに向かう。途中、聖ヨハネ騎士団の巡礼救護院のあったHospital de Orbigoで、水面が殆ど見当たらないオルビゴ川に架かるクネクネと続く長い橋に出会った。上流にダムが造られたためだが、川幅の広さからかつての水量豊かな川を思わせる。橋の建造は13Cであるが、交通の要衝という事からローマ時代以来戦いの場になっていたらしい。

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Astorgaの手前で鉄道線路を越える。跨線橋は巡礼者に配慮してか九十九折の斜路に造られており、眺めていると巡礼をモチーフにした絵画を思わせるし、周囲の景色に目をやりながら上り下りができる。

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9月21日のゴールはPonferada。町の名は、11Cにアストルガの司教が木の橋をこの辺り一帯で採掘されていた鉄で補強した"鉄の橋Pons Ferrata"に由来している。いいですね!

ローマ時代を起源とする要塞都市である。町の入口のBoeza川にはデザインされた新しい橋の脇にローマ時代?の橋が残されており、その対比を愉しみながら街へと入って行く。

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 12Cのテンプル騎士団の城塞に入り街を眺めていると前方に小さな橋が目に入った。これが町の名の由来の橋である。町の入口で出会った橋の印象が強かったせいか申し訳なくも特段の感動は覚えない。

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明日はこの橋をわたってつぎの宿へと向かう。

 

9月23日,ピレネー越えと並ぶ難関と言われる1300mのO Cebreiro峠越えである。上空を高速道路A-6号線が横切る。日本の高速道路を見慣れているとその橋脚の細さに一瞬危うさを覚える。しかし、暫く見つめているとスレンダーな構造体がうまく自然の中に溶け込んでおり、美しささえ感じる。

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その後、無事峠越えを果たした。しかし、先に進むにつれピレネー越えに劣らない強い風雨がおそいかかる。道路の脇の岩にしがみ付いて強風が弱まるのを待った。嘗ては、多くに巡礼者が巡礼中に命を落としたと言う話を強く実感した。Hospital da Condesaの宿にたどり着いた後の部屋の様子が、その時の様子を物語っている。

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続く

 

2015年5月16日に四国遍路をきっかけにアップしたこのブログも5年を越え今回が400回となった。我ながらよく続けてこれたものだと思う。その後、サンチャゴ巡礼、熊野古道、塩の道と飽きもせず一人歩きを続け、旅先から毎日発信し続けた。旅先での様々な出会いや感動を他の方と共有したいとの一方的な願望からであった。旅から帰ってからも 日記として、更にはボケ防止にと週一回金曜日にアップし続けてきた。

今後どこまで頑張れるか・・・・・・・拙い文章力の私ですが、後期高齢者の戯言と思い、あいつどうしているかなと思った時には覗いてみてください。

 

因みに、私のニックネームは巡礼者を意味する"peregrino"です。ブログを書く上での基本となるタイトルは何処にも出ていませんが"野面積み"です。

第1回で次の様に書いています。

 

「作文が苦手な上、歩きの移動なので、満足の行く結果は望めませんが、取り敢えず考えたことや感じたことをそのまま石垣の野面積みのごとく文章にしてみようと思います。」