フランスの最も美しい村ーVezelay2

南の扉口を入ると薄暗いナルテックス(玄関の間)。前方にイスラムを思わせる濃淡二色の石組みアーチの身廊が延びる。

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振り返ると中央扉口の裏にタンパンが浮かび上がる。これこそがロマネスク彫刻の白眉とされるタンパンらしい。

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近づいて見上げるとまさに「 聖霊降臨」である。そして、キリストの波打つ衣は日本の仏像を思わせるが、揺れ動いているかの錯覚を起こさせ、外部中央扉口の「最後の審判」 には感じられなかった圧倒感を覚える。12Cの本物のロマネスクと19Cの創作の違いは私でさえ見分けがつく。

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何時の時代のものかは知れぬが扉の金物装飾も興味を引く。

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列柱の中間部と頭部の180余に及ぶ柱頭彫刻は第二の見所となっている。 "ヘタウマ"を思わせる表現が見るものの心を和ませ、ついつい見入ってしまう。そのモチーフは旧約聖書の諸場面や聖人の物語そして神学的な寓意等多彩である。例えば、「粉挽男たち」

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左がモーセ、右がパウロ、挽臼はイエスで、「旧約」の教えを「新約」にかえているところ。

悪魔や不思議な動物も現れるが<修道士の悪夢から生まれた>と言われている。ゴシック以降、悪魔の幻影より死の現実を恐れるようになり、その奇異さは影を潜め怪物彫刻は精彩を欠くと言われている。

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そして、古代ギリシャを起源とするアルカンサス(葉アザミ)も見受けられる。因みに一万円札にも使われており、息の長いデザインモチーフである。

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残念ながら一つ一つ心ゆくまで鑑賞していると帰りのバスを逃してしまう。

 

12Cの火災後の修復の為か内陣付近の柱はゴシックに見られる細い柱を束ねた形になっている。

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一部の壁や柱にはいつの時代のものか壁画の痕跡も見られる。

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祭室の前には珍しく祈りを捧げる人も見られる。

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教会の繁栄は聖遺物にかかっている。此処にはマグダラのマリアの遺骨の一片があり、多くの巡礼者を集め、そのお蔭で立派なタンパンや多くの柱頭彫刻が作られた。

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しかし、13C末真贋論争が起こり裁定の結果巡礼の姿が消え、修道院は急速に衰退したとの事である。

次週に続く

 

 

フランスの最も美しい村ーVezelay

Vezelayヴェズレーについては昨年の6月11日に現地からブログをアップした。しかし、今回改めて訪問記録を残しておく。何故ならば、単なる美しい村であるに留まらず、フランスのロマネスクを語る上で避けて通れぬのみならず、フランスの四本の主要巡礼路のひとつ「リモージュの道」のスタート地であるからである。

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当初、巡礼の出発点ル・ピュイに向かう途中に立ち寄る予定であった。ところが、家を出る数時間前のHISからの電話でエア・フランスのストで日本出発が1日遅れる事を伝えられ訪問を諦めざるを得なくなった。しかし、この機会を逃すと再度のチャンスは無いとの思いから出発までの残された時間で急遽訪問を可能とするべくプランの見直しを行なった。結果、巡礼路完了後訪れる予定であったモネゆかりの地ルーアンとジヴェルニーを無念の思いで諦める事とした。一連の大聖堂シリーズはモネ作品で最もお気に入りで、兼ねてからルーアンに一泊して時間が経つにつれ刻々と変わるノートルダム大聖堂を眺めていたいとの思いがあった。

SNCFフランス国鉄の時刻表によると土曜日以外は1日1便パリからの日帰りが可能。4月〜6月決行中のストに備え現地で調整の為予定日を何日か設定し取り敢えずのスケジュール変更を完了した。

6月11日の朝、リヨン駅近くベルシー駅からスタートし、途中で国鉄バスに乗り換え、更に最寄国鉄駅のSermizelles Vezelayで更にシャトルバスに乗り、約3時間かけてやっとの事でヴェズレーに到着した。小高い丘の麓のバス停から400人強の人が住む村の中を世界遺産のサント・マドレーヌ大聖堂に向け緩い坂道が延びる。因みにマドレーヌはかのマグダラのマリアとの事で聖母マリアではない。

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道の両側の家並みは中世の面影を残している。有名観光地でありながらバカンス前という事もあり観光客もまばらでゆっくりとタイムトリップを楽しめそうである。帰路の電車の関係で滞在時間はたっぷり6時間。

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途中から小雨がぱらつき始め、前方に大聖堂の四角い鐘塔が現れやがて教会前の広場に至る。ファサードは一般的な教会のイメージと異なり上部はアシンメトリーでデザインに統一感が感じられない。9C聖母に捧げる女子修道院として麓の川岸に創建されたが、ヴァイキングの脅威から逃れる為丘の上に移転し、その後12Cにバジリカ様式のロマネスクの新教会として建設された。しかしながら、その後13Cに完成したゴシックの仮面?と、19Cの修復の痕跡として今の姿形になったらしい。でもこれはこれで10数世紀に亘る歴史を感じさせられ別の趣がある。因みに聖堂の正面は基本的に聖地エルサレムに向かって西向きに設けられているそうだ。

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更に近づき中央扉口上部のタンパンを見上げる。タンパンを始め教会の内外に展開する装飾は、案内者がこれを使いながら非識字者の巡礼者へ聖書や聖人の物語を語って聞かせる為のものであった。その為もありこの大聖堂は「石の聖書」とも呼ばれている。

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テーマは「聖霊降臨」と聞いたが聖書に疎い私でも図柄?が違うと感じられるし、なんとなく新しさも感じる。その疑問は堂内に入って解決した。下に目を移すと柱の足元に三匹のネズミ。スペインでも思いがけないところでサルやカタツムリ、更には宇宙飛行士に出会ったが、真偽は分からないので私見であるが職人の遊びである様だ。

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いよいよ左側の南扉口から堂内に入る。      ・・・・・前置きが長くなったので次週に続く

 

フランスの最も美しい村ーSt.Jean Pied de Port

6月8日のラストウオークについて昨年の9月1日にアップしたが、目的地のSt.Jean Pied de Portサン・ジャン・ピエ・ド・ポーも美しい村であった。サンチャゴ巡礼の銀座通り"フランス人の道"のスタート地点であるが、フランスの主要巡礼路四本のうち三本のゴール地点として、この村でフランス人の道に接続している。

白い外壁に赤や緑の雨戸のバスクの伝統的な景観を楽しみながら、15Cに建造された村の入口サン・ジャン門に到着。 
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街のメインストリート"シタデル通り"を進むと"フランス人の道"の出発点の"ノートルダム門"に至る。
時間の関係で巡礼者は見当たらず観光客 も疎らである。
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今回はその日のうちにパリに入る為、途中で右折して駅に向かう。
ローマ街道の一部としての起源を持ち、17Cには要塞都市として城塞が築かれ、近世はフランス領バスクの地方中心として繁栄したが、現在は人口1,500人強の観光地である。
6年前の2012年に四国遍路で膝故障のリハビリを確認し、サンチャゴ巡礼にチャレンジすべく期待と不安でこの地に立った時のことを思い出す。日本人にとってはマイナーな旅である為情報は極めて少ない。「聖地サンチャゴ巡礼」(ダイヤモンド社)、アマゾンで入手した112ページのガイドブック「Camino de Santiago」(John Brierley)、そしてインターネット。
取り敢えず"友の会事務所"なる所で斡旋された宿に荷を置き街歩きに出掛けた。不慣れな所に来たせいか通りを行き来するが何となくという感じ。教会の鐘楼に開いた穴のノートルダム門は珍しく印象に残っている。
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 城塞に残されている石垣も興味深いが、明日からの巡礼を思いながら眺めるピレネー山脈が気になる。暗雲が立ち込めている。予想通り峠越えは荒れ模様で小さな避難小屋への非難を余儀なくされた。
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夕方、出発に当たってのノートルダム教会のミサに参列。何が語られているかは分からなかったが、気持ちの上での準備は出来た。
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宿に戻るとベッドの上に見知らぬ荷物が置かれている。男女共用の部屋に並ぶ二段ベッドであり、場所が指定されているものと思っていたが、ベッドの上に私物を置いていないと空きと見做される。情報不足による前途多難を思い知った。
翌朝、曇り空の下を一歩を踏み出した。
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吉村氏は「ユネスコ世界遺産に登録されたサン・ジャック門とバスクの街並みを楽しめる村」と言っているが、残念ながら私には楽しむ為の余裕を持ち合わせないままの二度の訪問であった。
 
早2月に入り、東の空の明けの明星の側には三日月が戻っていた。
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フランスの最も美しい村ーNavarrenx

 ゴール真近、29日目の6月6日(水)。3日連続の30kmオーバーのウオークで宿泊地であるNavarrenxナヴァランクスに到着した時は既に6時半を過ぎていた。だが、迎えてくれた並木が疲れを忘れさせた。

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現在の要塞都市は16Cにできあがったが、その端緒は1Cまで遡るとの事。前回のMontreal同様新都市"バスティード"である。周囲は全長1,657mに亘る堀と城壁が巡らされ函館の五稜郭を思わせる。

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吉村氏は「スペインとの国境に近いピレネー山中に位置する村」と素っ気なく紹介しているが、ピレネー山中から丸太を運び出すオロロン川の河港として栄えた事も踏まえると期待を抱かせる。宿に到着後、先ずは街の全貌を把握すべく今は緑地になっている堀に降り街を一周する。

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 城壁の石垣には築造に際し刻まれたものらしき痕跡も見受けられる。残念ながら意味は分からない。

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城壁越しに住宅の屋根が覗き見られる。日本の城と異なり領民も共に城壁内に居住していたようだ。現在も1,000人強の人が居住している。

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要塞内には何に使われたか分からないが建造当時の建物も残されている。

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住宅は屋根の端部が軽く反り上りメルヘンチックな佇まいである。ここでも残念ながら何故なのかは確認できず。

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ゴシックのサン・ジュルアン教会では巡礼者の守護者聖ヤコブに出会った。日本の修験道の開祖役小門に似た風貌である。

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ローマの遺跡らしきものも残されている。

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水曜日には市場が開かれていたらしいが、到着が遅かったために既に跡形なし。残念ながら生活の一端を伺うチャンスを逃してしまった。

 巡礼路で唯一日本語が通じるとして紹介されていた宿を予約した。日本人がボランティアで働いていたとの事であったが既に帰国していた。しかし運営者自身は日本語は話せなかったが、すっかり日本にはまっていた。

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この宿については後日詳しく紹介する。

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翌日宿を出て暫く進むと、眼前に残雪を頂いたスペイン国境のピレネー山脈が現れた。

 

ところで、先日BSプレミアムの「一本の道」シチリア編の再放送を観た。途中NHKの女性アナと案内役の地元の女性が広大な麦畑の中の雨上がりの泥濘の道に難渋する。案内役のイタリア人曰く「嘗て、ローマ人が森林を切り拓いたが、粘土と石灰の土壌のお陰で大きな恵みを享受続している。」

私も泥濘の道に度々悩まされたが、歴史的地理的背景を知らない私は只々黙々と歩き続けるばかりであった。

 

 

フランスの最も美しい村ーMontreal du Gers

6月1日。途中、美しい村Montreal モンレアルを通過する。モンレアルはカナダに渡ってモントリオールとなったらしい。吉村氏は「この地方最古の"バスティード"、近くにはローマの遺跡も残る」と素っ気なく紹介している。バスティードとは13〜14Cに造られた新都市で、一人の建設者が単一のユニットとして設計構築された。特徴はこれ迄訪れた自然発生的な要塞都市と異なり、整然としたグリッドパターンで構成されている。ローマ軍が進駐先で造った新都市を見習ったものらしい。街づくりに携わった者としては興味が湧く。

前方にそれらしき家並みが現れた

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しかし、近づいてみると整然とはしているが木造の比較的新しい住宅群である。出会った住人に聞くと新しく開発された住宅地との事。 

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石やレンガで造られた建物を見続けてきたせいもあり、又新しいコミュニティが垣間見えた事も有り、これはこれで面白いものに出会えたと暫くの間集落内をブラついた。

更に進むと直線的な道路に沿った家並みが現れた。建物はそれ程古くはないがここらしい。

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ハーフティンバーの中世のものらしき建物も現れるが、多くはもっと新しいもののようだ。インフラが計画的な為建て替えがし易かったせいなのか。人口は約1,200人。

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然し、現代の車社会には問題ありか。

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そして、ポルチコに囲まれた中央広場に到着。当初のポルチコは木造であったが、今は石造に変わっている。

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金曜日であるがポルチコ内部や広場では市場が開かれていた。曜日の取り合わせのせいか初めて広場で開かれた市に出会えた。地元の人に出会えて生活が感じられいいものだ。ドライフルーツをゲット。

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広場に隣接のゴシックのサン・フィリップ教会に入ると歌声が聞こえてきた。一人の男性がが指揮をし、周りで数人の男女が合唱している。石造りの教会内では独特の残響があり胸に染みる。

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当時の国境近くであったが領主は自らは要塞化する城壁は造らず、住民に税金等で建設させようとした。最終的には住民は城主に費用の拠出させたが、住民は受け取った金で街を飾り立てた為この街には城壁がない。

モンレアルを離れ次の村Lamothedeで教会に入るとここでも歌声が。祭壇の前ではMontrealで出会った一群が声を上げている。指揮者に聞いてみると、途中で出会う教会で歌いながら巡礼をしているのだそうだ。

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聴いた歌がいつまでも頭の中を駆け巡り、テンポが歩行に合ったせいかその後は知らず知らず口ずさみながら歩いた。

 

ところで、フランスの原発について興味深い記述に出会った。

ようするに、他に使いようのない土地、そうゆう所に見渡す限りのブドウ畑と、原発を造っている。仮に福島のような事故があっても、その地方のワインが飲めなくなるだけ。(中略) 何かあっても、日本のようになりません。                     

                                                              "すごいトシヨリBOOK "   池内紀  毎日新聞出版

天空のロマン

今回は星の話

正月は2日午前4時半、何時ものように早朝のウオーキングに出かける。玄関を出て東の空を見上げると鎌のようなシャープな三日月と薄黄色のキラリと光る一つの星が目に入った。空を眺める事はよくあるが、なんとなくといった感じで、特段の感慨も抱かなかった。しかし今回は暫くの間見とれていた。 

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冷え込んだ冬空に寄り添うように佇む姿は一片のドラマを感じさせた。

月は月であるが星は何者か。ウオーキングを終えインターネットで調べると、なんと明けの明星の金星であった。そして、夕方に現れると宵の明星で一番星とも呼ばれるとある。そう言われればそうだったと改めて納得した。今でも空を見ることがあるが、いつの間にか眺める事は無くなった。

学術的な解説が続くが読むに従って心に抱いていた感動が薄れるのを感じスマホを閉じた。

翌朝、再度の出会いを期待して空を見上げた。あれ!なんと彼らの間が広がっているではないか。

月が左下方に移動していた。

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更に翌朝、月の姿が見えない。周りを見回すと月は更に左下方に大きく移動していた。

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そして、5日の空からは月は姿を消していた。ドラマは終わったのだ。因みに三日月と明けの明星の間のやや暗い星は木星で、二人の出会いと別れを静かに見守っているようだ。

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天空に演じられたドラマをしばしの間味わうことができた。天体現象としてこのドラマは繰り返されるのであろうが、今度はいつ演じられるのか調べる気持ちはない。ある日突然に出会うのを期待しながら、空を見上げながら今後も早朝のウオーキングを続けて行く。

 

同じ頃、偶然にも原田マハの短編「星がひとつ欲しいとの祈り」を読んでいた。そして

    少し身体を伸ばして、文香は窓の向こうに広がる空を探るように眺めた。

    いちばん星をみつけるには、まだまだ陽が高いけれど、そうしたかった。

と結ばれていた。

 

訂正:先週の国境の日の出はBragancaではなくMonsarazでした。

 

 

 

 

 

 

 

平成最後の年明け

明けましておめでとう御座います

無事、平成最後の年明けを迎えることができました。恒例の歩き初めから今帰ってきました。

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毎朝のウオーキングコースの折り返し点の公園の初日の出です。初日の出に限らず、日の出を眺めていると、体内に活力が漲ってくるのを感じます。ここ数年国内外のロングトレイルを歩いてきましたが、今だに思い出される日の出があります。

 

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太平洋の日の出  2012/03/01

初のロングトレイルは"四国遍路"。高知の民宿久百々から38番札所金剛福寺迄の往復48kmを日帰り往復の為早朝出立の際に出会った日の出である。大海原から昇る朝日ではなかったが厳かさを感じた。

 

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異国の日の出  2012/09/06

初の国外でのロングトレイル。サンチャゴ巡礼路"フランス人の道"のスペインはRogronoで出会った日の出。暑さ対策と巡礼宿アルベルゲのベッド確保の為暗い内から歩き始める。しかし、西に向かって歩く為知らぬ間に日が昇っていることが多い。

 

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国境の日の出  2013/06/07

サンチャゴ巡礼路"ポルトガルの道"を歩き終え、ポルトガル各地をバスで回る為ポルトガルに引き返した。北東部、スペインとの国境近くの村Monsaraz出会った日の出。水面の広がる辺りは隣国スペイン。2年後にあの辺りを歩いたが、その時にはそんな事は思いも寄らなかった。

 

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北の海の日の出  2014/06/16

サンチャゴ巡礼路"北の道"。北海沿いを歩く巡礼路の為海との出会いが多い。Santa Gadiaの静まり返った北の海に降り注ぐ朝日に暖かさを感じた。

 

 

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荒野の日の出  2015/06/03

サンチャゴ巡礼路"銀の道"。灼熱の巡礼路も早朝は快適である。Casar de Caceresの乾き切った荒野の向こうに人間の存在が朝日に浮かび上がってくる。

 

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日本の夜明け  2016/11/12

熊野古道"伊勢路"。広大な熊野灘を前に熊野市の七里御浜に佇む。宿の管理人の勧めに従い日の出前の浜に出かけた。雄大な日の出は「これぞ日の本の日の出」を実感させた。

 

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バスクの日の出  2018/06/09

フランスの巡礼路"ル・ピュイの道"。パリに向かうTGVに乗車する為日の出前の暗い細い道を急ぐ。自動車路に出て猛スピードで通り過ぎる車を気にしながら道路脇を進む。突然背中に温かいものを感じた。振り向くとまさに朝日が顔を出す瞬間であった。太陽のエネルギーを受けながら最後の歩きを続けた。

 

本年も気の向くままに書き続けますので、気が向いた時に覗き見てください。