河崎は、伊勢のまちを支えた「台所」

河崎は、勢田川の水運を活用して伊勢神宮門前町山田・宇治への物資の荷揚げ・問屋・陸送の仲介で16世紀から川の港として栄え、「おかげまいり」の参宮客に物資を供給する「伊勢の台所」として全国に知られた商人町であった。戦後、陸上への輸送手段の転換により徐々に衰退が進んだが、昭和49年の七夕水害を契機に"街並み保存"の動きが生まれ、現在では「NPO法人伊勢河崎まちづくり衆」を主体としたまちづくりが進められている。

方苦しい話はここまで。五月に「熊野古道・伊勢路」を歩くにあたり、出発地である伊勢の情報を収集していた際に「河崎」を見かけ、伊勢神宮は当然ながらそれを陰で支えて来た"まち"を是非見てみたいものと思いスタート前日に訪れた。所が当日の火曜日は定休日の上生憎の雨で、大半の店は閉まり人通りも無く生活のにおいが感じられなかった。そこで今回は伊勢をゴールとし再訪する事とした。注意深く火曜日を外して。

JR伊勢市駅からスマホの案内を頼りに徒歩で15分、河崎本通りに辿り着いた。

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道路沿いに嘗ての威勢や繁栄を伺う縁となる 古い町家や蔵が数多く残されている。店を覗き、まちの人に声をかけながらぶらぶら歩きながら見たこと、聞いたこと、感じたことを私ながらの言葉で紹介する。

昔ながらの姿を残した無国籍料理「河崎2丁目食堂」。地元の人が気軽に立寄る雰囲気の店。

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この通りで最も間口の広い町家「村田邸」 。嘗ては一二を争う大問屋であったのではなかろうか、中には多くのお宝が残されているのではと勝手に空想が広がる。残念ながら現在表は閉じられたままであるが、なんとか街並みの一部として生き返らせてもらいたい。

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居酒屋「虎丸」。石倉をモダンにアレンジしオーナーのセンスを感じさせる。入口が路地を入った所と言う演出が憎い。魚料理の居酒屋で、まちの人に何処かいい所と聞くとこの店を一番に挙げる。夕食をと考えたが、場所柄らしく木製の板に"今日は不漁のため休みます"の表示。残念。

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 脇道を入った所にある店も蔵を使っているが、こちらはイタリアンcafe&バル「町家バル」。準備中で中は見られなかったが、雰囲気のあるイタリアンの店とのこと。和洋のアンバランスのバランスを味わいたかった。

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美容院「コワフュール千代」も町家をリフォームしたもの。初めは何の店か考えこんだ。イメージの不一致がかえって存在を際立たせる。脇道の向かいには嘗ての道標が残されており「すぐさんぐう道」とある。

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乾物屋「大長」は道路の両側に町家と蔵を構える大きな問屋らしいが、この前も今回も表は閉まっており営業継続中なのか不明。扉いっぱいにかかれた屋号が嘗ての威光を誇っているようだ。

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五月訪問の時雨宿りさせてもらった「和」は水曜日が定休日で閉まっていた。自分の趣味で集めた骨董を集め、無料休憩所として場所を提供している。なりわいとしてはどうなのかもう一度会ってじっくりと聴いてみたかった。

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このまちの中心である「伊勢河崎商人館」は改めて紹介する。緩くカーブしていた本通りはここでクランクしており街並み景観にアクセントを与えており、その影響なのか右側の屋根の微妙な変形が気になり後々まで記憶の尾をひく。

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 街並みも「河崎・川の駅」まで。蔵を活用した小さな博物館。前部は道路に合わせて後から付け足したのかここでも屋根の変形が見られる。

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まちを支えた裏側の勢田川に出る。河川の整備によりきれいになっているが、まちと川の関係性が薄れてしまったのは止むをえないとしても残念。

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河崎の町家や蔵の特徴は

・妻入り二階建てー平入りの伊勢神宮に遠慮してとも言われている。本当かな?

・白い破風板に墨を混ぜた魚油を塗った下見板張りの壁ー粋ですね!

・屋根には頂部の飾り瓦と隅の隅蓋ー洒落ている!

 

食事処を聞いた時に二番目にあがったのが川向こうの寿司屋「伊な勢」 。ネーミングがいい。伝統ある民家をそのまま使った趣のある店。少人数相手の為要予約。次の機会に。

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 途中で見た案内図は情報よりも点景としての存在であった。

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思い入れが大きいだけに最後に私なりの勝手な苦言・提言

・鉄道駅から徒歩15分で途上に案内のサインが無く分かりにくい。案内のサインの入ったタイルの敷設等の工夫が必要。

・趣のある建物が残っているが街並みとしての景観インフラの整備(ペイブメント/電柱/サイン等)が追いついていない。

・未利用の建物が多く残っており街並みとしての連担性と生活感を損なっている。(年配者と若年者の将来展望に対する考えの差が埋めがたいとの事) 

 

伊勢市から東京へ

夜行バスで無事バスタ新宿に到着。疲れのせいかトイレ休憩時以外は全くの熟睡。

昨日伊勢市に到着後前回食べ損ねた伊勢うどんを食すべく店を探す。店の人に地元で評判の店を聞くと、親切にも連れて行ってくれた。店の名は「長兵衛」と言って参道から路地に入った所。残念、定休日。所でこの辺りでは路地のことを"世古"と言うらしい。前回泊まったゲストハウスで聞くと別の店を教えてくれたが、参道に面した老夫婦でやっているあまりパッとしない店。テレビのグルメ番組で取り上げられたのが自慢らしく、あちこちに書き散らしている。どこも味は変わらないかとそこで食べたが、疲れた胃に優しい食感で味の方はまあまあであった。

神宮さんにご挨拶をと外宮に向かう。平日にかかわらず大賑わい。地方の団体客が稲刈りも終わったとやって来たのか。本来の信仰心を持ってやって来るのはこういった人達であろう。若い女性のグループも多い。この連中はやたらとあちこちに手をかざして喜んでいる。新しい信仰形態の"パワースポット巡り"であろう。かく言う私は遥拝はそっちのけで建物を見てしきりに感嘆している。

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域内に敷かれた白と黒の石の意味を監視している衛士?に聞くが納得行く説明が得られない。

 

勢田川沿いの古い家並みの「河崎」に向かう。"伊勢の台所"と呼ばれた嘗ての問屋街で豪邸や蔵が残っている。それを生かして若者たちが街並み再生に頑張っている。後日改めて紹介する。

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ラーメンがしきりに食べたくてスマホで検索し、駅近くの「蔵 de ラーメン」なる店を見つけた。名前からチョットとは思ったが、出かけてみるとこれが蔵を利用して各地の味噌を使った味噌ラーメン専門の洒落た店で、味もボリュームも満足できた。

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最後に私なりの簡単な総括。9日間17の峠越えで腰から下はガタガタ。寒さ暑さの変化も激しかった。歳を経るに従っての体力気力の低下を痛感。こうした旅を何時まで続けられるか。

歩行距離          約170km

歩数                 約370,000歩(約40,000歩/日)

最高地点          伯母子岳 1,344m

最大登り下り   果無峠越え  200m↗︎1,114m↘︎100m

 

以上ご同行有難うございました。

 

 

 

 

 

 

紀伊長島から伊勢市へ

 いよいよ最期の歩きで、嘗ての紀伊と伊勢の国境であった「荷坂峠」(242m)を越える。紀伊の殿様の意向はここまで及んでいた。熊野街道本道は「ツヅラト峠」(357m)越えであったが、江戸初期に殿様の領地視察の為なのか、峠越えの楽な荷坂峠が開削され本道となった。世界遺産はツヅラト峠道で殆どの人はそちらを歩く。私は5月に歩いたので今回は荷坂峠を歩いた。登り口手前に花札ならぬ「猪鹿庁」。裏で多くの犬が飼育されていたので、多分農作物被害対策本部に違いない。

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更に進むと至るところでみられるフェンスがのこにもある。設置費の九割は公費が出るそうだ。

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更に進むと立派な猪垣が残っている。

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更に進むと幹に傷が入った松が立っている。鹿が角を研ぎ自分の縄張りとしていると説明書がある。

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「沖見平」と言う展望所があり、今回最後と思われる海の眺めが楽しめた。
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下りの途中で出会った閉鎖中の"ラブホテル"がありメンバー料金の表示があった。
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遂に歩きのゴールである「梅ヶ谷」駅に到着。駅舎もなく只ホームのみの駅である。伊勢市に向かう為2~3時間に一本の電車を一人でぽつんとホームで待つ。
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紀伊長島梅ヶ谷駅  晴れ  7.5km

 

上里から紀伊長島へ

 始神峠登り口まで小一時間柴田さんとお喋りしながら歩く。あれも空き家、これも空き家。店もどんどん閉まる。しかし何故か理髪店は減らないそうだ。小学生も激減。いい話はない。若者は都会が良いのではない。古里には仕事がない。コネがきく公務員や辛い土木作業員くらい。

登り口に住む山口さん老夫婦は自前で休憩所を作りお接待をしており、多くの人や外国人がやって来ると言う。

今日の峠越えは147mの始神峠、113mの三浦峠、73mの一石峠と緩い登り下りのハイキング。途中の海辺の神社で昼食後の昼寝。波の音、潮の香りそして優しい海風。七時間で今日の宿に到着。町中の宿は経営者の老齢化で次々に閉鎖。今日の宿は古道から外れた釣り宿。

 

小辺路」は深い谷と紅葉であったが、「伊勢路」は石畳と海。途中で眺めた海を幾つか紹介する。

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松本峠から七里御浜を望む


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釣り客の集まる賀田の港


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八鬼山さくらの森エリアから


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始神峠より


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古里に向かう遊歩道から


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 紀伊長島魚まち江の浦橋

 

いよいよ明日は最期の歩き。

 

上里~紀伊長島  晴れ  18.0km

尾鷲から上里へ

昨日は「庄次屋」の柴田さんに再開すべく上里に到着したが、又々早く寝込んでしまったので以下昨日分を記す。

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 雨の中のお出迎え

 

久し振りの雨だが昨日でなくてよかった。今日の馬越峠越えは22の行程で昨日の八鬼山

越え63の1/3。濡れた石畳はつるつるでスケートリンク状態。遂に下りで二回転倒してしまった。幸い大事にはいたらなかった。

途中で出会った夜泣き地蔵は良く見ると単なる石である。こう言ったものが信仰の対象になる面白さを感じる。

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距離が短いためゆっくりと歩いたが、昼過ぎには「庄次屋」に到着した。前にも書いたが柴田さんは東京での仕事を終え今は古里にUターンし、地域振興に関わる活動を熱心かつ我慢強行っておられる。しかし土地柄住民の共感が中々得られず苦闘されている。たまたま私と生年が同じこともあり更には前職が同業種であることもあって話が合い色々と意見を求められる次第。ご本人手作りの料理と地酒で3時から四時間余り話し込んだ。

ご自宅は当然ながら総檜作りである。仄かに樹の香りがし気分を落ち着けてくれる。

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今日は書くことが少なく余談となるが、熊野市を朝出発の時自販機で飲み物を買った時「いってらっしゃい」と言ってくれた。そうすると夕方には「お帰りなさい」と言ってくれるのかと試してみたくなる。しかし小さな集落で求めた時は何も言ってくれなかった。田舎では機械も人見知りをするのかとつまらないことを考えたが、田舎では出会う人はちゃんと声をかけてくれる。

 

尾鷲~上里   雨  9.5km

賀田から尾鷲へ

昨日も眠気に勝てず、13日分を夜が開けて書き始めた。

宿は小さな港の釣り客相手の民宿。前回雨に見舞われ行程が遅れ、近所の店で紹介してもらい急遽宿泊した。食事と主人のキャラクターが気に入り、今回もお世話になった。

そこで夕食のメニューであるが

前列左は超厚切りの鰹とハマチの刺身(後日訪問する庄次屋柴田さんの電話でサービス)、一つとばしてぐる/いか/えびのホイル焼き、鰹の手ごね寿司、二段目は樹齢400年の栃ノ木の栃餅の汁、お代わり無しのイカの塩辛、カサゴの煮付け、ふろふき大根である。そして最後に煮付けのあらに熱いお茶をかけた昔からの漁師料理。目の前の海で取れた魚は歯応えが違う。朝食に焼き魚が出たが今朝船の上で絞めたもの。名前は失念した。
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今日は伊勢路最高の八鬼山(647m)越え。各峠にはほぼ100m毎に木製の現代版町石が設置されているが、ここは63から零へ減少して行く。平地で100mは走れば十数秒だが、急な石畳の登りとスリップに気を付けながらの下りは時間がかかる。トータル4時間かかったので、休みを考えれば3~4分の勘定。

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登りの躓きと下りのスリップでつんのめったりしりもちをついたりはあったが、幸い転倒は避けられた。

平地に降り立ち県の熊野古道センターに向かった。所長さんは本日宿のお世話になる川端さん。5月には入院中であったがお会いしたく、訪問は今回の歩きの目的の一つであった。山歩きがお好きでサンチャゴにもご夫婦で数回行かれており、特に永年地域の歴史研究を続けておられ本も書かれている。更に私と同い年。私と共通点が多い。

センターは残念ながら古道から離れ、車利用の観光客向けのものである。総檜の立派な建物である。展示物も良かったがあえて苦言を呈させていただくと、本来の世界遺産の目的である"保全"に対するものとか、地域住民の過去からの関わりが見られず、私としては疑問符がついた。デイビッド・アトキンソンさんも同じ感想を抱かれると思う。ごめんなさい。

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現代版曼荼羅

表の芝生で若者たちがゲームをしていた。スエーデンの薪を使った遊びらしく、木の国に相応しいものと普及を図ろうとしているのか。

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所長の車で宿「アルベルゲ三帰来」へ向かう。スペインのアルベルゲがお気にりとかでご自宅の一部を一日一組提供されている。運良く今日は独り占め。
ご厚意でご夫婦のお住まいで共に食事をさせていただき、共通の話題で時間を過ごさせていただいた。有り難うございました。
お住まいは当然総檜。高い天井に頑丈な柱梁。今では大きくなられたお孫さんのための屋内滑り台。そして強力な暖房の薪ストーブ。

うっかり許可をいただかなかったが、ご叱責を覚悟でアップさていただいた。御免なさい。

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 賀田~尾鷲  晴れ 20.5km

 

 

 

熊野市から賀田へ

昨日は宿への到着が遅く、夕食に時間をかけた結果睡魔に襲われ、昨日分を今日の朝に書いています。

 

昨日は本宮大社からバスと電車で熊野市にやって来た。新宮の乗り換え時間は一分。走って駅に駆け込んだが途中で財布を落としたのに気付き、取りに引き返す。跨線橋を上がり降りし発車時刻を相当オーバーしたが、駅員が運転手に連絡してくれ、結果間に合った。本数の少ない駅で何故この様なダイヤを組むのか。

宿の前は七里御浜でその先には雄大な太平洋が拡がっている。日の出を拝むべく早起き。高齢者に早起きは全く問題ない。好天のおかげでばっちり。

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5月にご縁ができた方々に再会するに当たって、折角だからもう一度"伊勢路"を今度は逆方向に歩くことにした。今日は賀田まで六つの峠越え。伊勢路の峠道は大半が歩きには問題のある石畳。雨による道の保護のための昔の人の知恵であり、有り難く歩かせていただく。この地方は雨が多い上植林で地上が日陰となっており石は苔むしている。その為下りにはバランスを崩すとスリップし転倒する。前回の経験から出来るだけ脇の地肌部分を選んで歩を進める。見つからない場合ははすに構えジグザグ歩き。お陰で今日のところは転倒は免れた。でも雨に会えば転倒は覚悟しなければならない。前回転倒を避けようとストックを折ってしまい今回は残りの一本。それが効を奏して片手がフリーに成ったのもよかったようである。

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所によっては木の根のオブジェが生命力を感じさせる。

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今回は余裕をもってちょっと寄り道。長大な猪垣を見るべく観音道へ。名の通り道端には観音様。果無峠より古いようで嘗ては三十三体であったであろうが、少なくなっているようである。

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猪垣は山肌に延々と続き、住民と猪の戦いの跡が忍ばれる。
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嘗て中国の皇帝の命で不老長寿の妙薬を求めてやってきたと言われている徐福を祀ったお宮へと参詣道から海に向かって下って行く。
赤い鳥居が目に眩しい。
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 途中で見掛けた風景。母と子のキャッチボールを眺めるお婆さんの向こうには光る海。昭和の風景が残っている。

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宿近くに残っている築百年を越す小学校跡。入口脇には二宮尊徳像。時代の流れで幼稚園からり老人の施設に変遷している。屋根の上には東大の藤森教授の建築を思わせる草。

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南海地震津波に備え道路には水防門。

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苦しいながらも道程を楽しみながら、今日も無事宿に到着した。

熊野市~賀田  晴れ  22.5km