熊野市から賀田へ

昨日は宿への到着が遅く、夕食に時間をかけた結果睡魔に襲われ、昨日分を今日の朝に書いています。

 

昨日は本宮大社からバスと電車で熊野市にやって来た。新宮の乗り換え時間は一分。走って駅に駆け込んだが途中で財布を落としたのに気付き、取りに引き返す。跨線橋を上がり降りし発車時刻を相当オーバーしたが、駅員が運転手に連絡してくれ、結果間に合った。本数の少ない駅で何故この様なダイヤを組むのか。

宿の前は七里御浜でその先には雄大な太平洋が拡がっている。日の出を拝むべく早起き。高齢者に早起きは全く問題ない。好天のおかげでばっちり。

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5月にご縁ができた方々に再会するに当たって、折角だからもう一度"伊勢路"を今度は逆方向に歩くことにした。今日は賀田まで六つの峠越え。伊勢路の峠道は大半が歩きには問題のある石畳。雨による道の保護のための昔の人の知恵であり、有り難く歩かせていただく。この地方は雨が多い上植林で地上が日陰となっており石は苔むしている。その為下りにはバランスを崩すとスリップし転倒する。前回の経験から出来るだけ脇の地肌部分を選んで歩を進める。見つからない場合ははすに構えジグザグ歩き。お陰で今日のところは転倒は免れた。でも雨に会えば転倒は覚悟しなければならない。前回転倒を避けようとストックを折ってしまい今回は残りの一本。それが効を奏して片手がフリーに成ったのもよかったようである。

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所によっては木の根のオブジェが生命力を感じさせる。

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今回は余裕をもってちょっと寄り道。長大な猪垣を見るべく観音道へ。名の通り道端には観音様。果無峠より古いようで嘗ては三十三体であったであろうが、少なくなっているようである。

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猪垣は山肌に延々と続き、住民と猪の戦いの跡が忍ばれる。
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嘗て中国の皇帝の命で不老長寿の妙薬を求めてやってきたと言われている徐福を祀ったお宮へと参詣道から海に向かって下って行く。
赤い鳥居が目に眩しい。
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 途中で見掛けた風景。母と子のキャッチボールを眺めるお婆さんの向こうには光る海。昭和の風景が残っている。

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宿近くに残っている築百年を越す小学校跡。入口脇には二宮尊徳像。時代の流れで幼稚園からり老人の施設に変遷している。屋根の上には東大の藤森教授の建築を思わせる草。

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南海地震津波に備え道路には水防門。

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苦しいながらも道程を楽しみながら、今日も無事宿に到着した。

熊野市~賀田  晴れ  22.5km