出会った橋ー四国遍路-3

3月6日,二十八番札所から三十六番札所に向かう。宇佐市のはずれで内ノ浦湾が大きく入り組んでおり、三十六番札所は対岸の横浪半島にある。遍路が始まったと言われるとき以来1200年にわたり渡し舟がお遍路さんを渡していたが、昭和48年に宇佐大橋が架橋された。その先は横浪スカイラインに繋がっている。この橋、直線が合理的と思うが何故か大きく迂回している。何か理由があるのだろうが未確認である。しかし、手前の橋の下から同じ橋を覗き見るとなんと無く絵になる。

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渡り始めたところで、暫く治まっていた腰痛が発症した。札所まで約1kmに近づいていたので、我慢の一念で歩き続ける。そして目の前に学校が現われた。明徳義塾高校とあり元横綱朝青龍の出身校であった。そこから40mの登りが待ち構えていた。やっとの思いで札所の青龍寺に辿り着いた。朝青龍のシコ名はこの寺によっているそうだ。宿の国民宿舎は少し下ったところであるが、宿の迎えのバスが止まっているのを見かけた。先日のフェリー乗船を除いて遍路道から数百m足跡が消えることとなった。

 

3月8日,内陸部を進んでいると上空をを高架道路が横切っていた。下には水面が無いがこれも橋である。四国横断自動車道である。下を潜りながら大学のワンダーフォーゲル部で四国を自転車で一周した時の事を思い出した。

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当時の四国は道路網が未整備で当然なことながらこの様な道路は無かった。そして、幹線道路を走っていても舗装がされているのは市街地内、橋上、トンネル内ほんの限られた部分のみで、自転車とは言え大変な旅であった。今では、立派な道路が景観の一部に溶け込んでいる。道路一つ眺めていても昔日の感に堪えない。

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続く

 

歩いていれば、記憶が消えることはない。世の中を見ることは、自己を探究することと同義だ。歩いて行けば、とても簡単に世の中に出て行けるし、自己の中に入り込むこともできる。ジャン・ジャック・ルソーは歩いている時にこそ瞑想できると考えていたので、こういう文章を残している。「立ち止まれば考えが止まる。心が動くのは、両脚を連動する時だけだ。」

            「旅の効用】ペール・アンデション/草思社