7月3日 何処で 何を

2014年7月3日

「北の道」巡礼後10日間のバス旅を終え、MadridのBarajas空港から10時50分の便で帰国の途に着く。最後の写真は空港内のスターバックス。コーヒー注文時に名前を聞かれNoboruと伝えたが、渡されたカップにはNovodoとあった。

f:id:peregrino:20200701141327j:image

因みに、「北の道」巡礼の45日間の旅での出費は約35万円であった。格安航空券、超安価な巡礼宿そしてノングルメの結果だ。

 

2015年7月3日

Sevillaをスタートした「銀の道」37日間の巡礼を終え、6月28日電車、バスを利用したスペイン周遊へとMadridを後にした。 Zaragozaを経て5日間のBarcelona滞在最終日、訪問予定のガウディ作品の〆は彼の大スポンサーの邸宅であるグエル邸である。財力を示す豪華な内装である。

f:id:peregrino:20200701141638j:image

屋上には細かく砕いたタイルが張りつめられた煙突が立ち並び、ガウディの世界が展開する。

f:id:peregrino:20200702184909j:image

しかし、最も印象に残っているのは薄暗い階段で出会った怪しげな手摺のシルエットであった。

f:id:peregrino:20200701141814j:image

午後、バスでTarragonaに入り宿に荷物を置き街に出る。BC3Cにローマ人により築かれ、人工100万を有した。その後、西ゴート、イスラムと様々な民族が出入りしてきた。今なお多くの遺跡を目にすることができる。就中、私にとっては石の文化のそれにはワクワクさせられる。

旧市街を取り囲む城壁には住宅等の新しい建物が寄生している。

f:id:peregrino:20200701141930j:image

シルク・ローマの残された外壁 にも嘗ての繁栄の跡が伺われる。

 f:id:peregrino:20200703142943j:image

海辺の円形競技場とは地下道で結ばれており、当初の全体像がよく残されている。

f:id:peregrino:20200703095224j:image

f:id:peregrino:20200701142115j:image

他の遺跡にはローマ街道が縦貫していた。

f:id:peregrino:20200701142247j:image

大聖堂前の建物の足を踏ん張った石積みには思わずみとれてしまった。

f:id:peregrino:20200703095132j:image

その側の建物には何処かの建物から失敬してきたと思われる石材が顔を覗かせていた。

f:id:peregrino:20200701142504j:image

兎に角ブラブラと街歩きをしているだけで愉しめる。Barcelonaに行く機会があれば是非足を伸ばして訪れることをお勧めする。歩いて回れる上、観光客が少ない。

夕食後宿で休んでいるとドーンドーンと音が聞こえてきた。外を見ると花火が上がっている。大急ぎで駆けつけ、しばし日本の夏を偲んだ。

f:id:peregrino:20200703095937j:image

 

自身バックパッカーであり,旅行ガイドブック出版社「ロンリープラネット」の創始者であるトニー・ウイーラーは「旅は安ければ安いほど体験が豊富になる」と言う。

                              「旅の効用」 ペール・アンディション/草思社

 

ウオーキングのお供であったTBSラジオの「久米宏 ラジオなんですけど」が突然放送終了。歯に衣着せぬトークは聴取者を増やしていた。本人は終了の理由を個人的事情と説明しているが?    

 

6月26日 何処で 何を

2014年6月26日

5月23日,フランスとの国境の町Irunに別れを告げ、スペイン北部の巡礼路「北の道」を西へ西へとひたすら830kmを歩き32日目の6月23日にSantiagode Compostelaに辿り着いた。後は乗り物を足としてのご褒美の旅である。スペイン王国成立の地Valladolidを経て昨日学術都市Salamancaに入った。そして今日は標高1,117mの要塞都市Avilaに向かう。

訪れた街では住民の生活を体感する為必ず市場に向う。そこで午後のバス便までの時間、昨日に続く街歩きの途中市場に立ち寄る。牧畜が盛んな国だけに加工品を中心とした多くの肉屋が点在する。

f:id:peregrino:20200625112431j:image

そして、内陸の都市でありながら魚屋も多く、新鮮な魚がそのままの姿で並ぶ。

f:id:peregrino:20200622103752j:image

その並べ方も美的でお国柄が伺われる。

f:id:peregrino:20200622103901j:image

 下拵えは日本の様な包丁での丁寧なものでなく、鋏を使ったおおざっぱなものには驚かされた。

f:id:peregrino:20200622103921j:image

 

Avilaの街はヘラクレスが建設したとの伝承があるが、実はローマ帝国の植民都市が起源で、全長2.5kmの城壁に囲まれ、88の塔と9の門からなっている。現在のものはローマ時代の石塀の上に築かれたもの。一時はイスラム教徒に占領されていたがレコンキスタでとり返した。戦乱を繰り返しながら出来上がった国の歴史を実感する遺構である。

f:id:peregrino:20200622103950j:image

城壁の上は遊歩路と成っており、歩きながら周囲の雄大な景色を楽しむ。近景の建物の上部にはお馴染みのコウノトリが巣作りをしており、遠景には広大な荒野が展開している。

f:id:peregrino:20200622104037j:image

強い日差しが描く城壁の地上絵はリアルな城壁と共に楽しめる景観となっている。

f:id:peregrino:20200625115245j:image

中世に建てられたゴシック様式のカテドラルは要塞の様な外観を呈しており、当時の時代背景が窺える。堂内に入ると白地に赤の地元産石材に包み込まれる。今まで経験したことのない祈りの空間を体験できた。

f:id:peregrino:20200622104229j:image

 

2015年6月26日

Silledaの宿を出ると「銀の道」は200m以上の谷を一気に下り一気に下る最後の難所。並行して疾るスレンダーな構造の高速道路は周りの自然とすっかり馴染んでいる。

f:id:peregrino:20200622104120j:image

Auteiroの宿に着くと石積みの外壁が迎えてくれた。石の文化の国で巧まずしてアートになっている。石垣フェチの私には嬉しい歓迎である。

f:id:peregrino:20200622104405j:image

宿ではアメリカからやってきたと言う72歳 の女性に出会った。Sevillaからここまで990kmの道を54日間かけて一人で歩いてきたと言う。明日はいよいよ聖地Santiago de Compostelaだが、特段の気の高ぶりも無く淡々として会話に応じてくれた。

f:id:peregrino:20200622105011j:image

前後しながら歩いてきたフランスの男性は若い男女と話し込んでいる。言語の障害も有りそこに素直に加われない私に歯痒さを感じる。

f:id:peregrino:20200622104500j:image

明日には後期高齢者37日の頑張りで1,010kmの「銀の道」と別れを告げる。

 

めいめい"旅"についての哲学と叙情詩を持つ。

それは料理や、恋や、夕焼けとおなじように徹底的に個人的で偏見である。

無邪気でありながらそれゆえに深刻である。

他人につたえようがないから貴重であり、無益だったとしても、だからこそ貴重なのである。

若き日に旅をせずば、老いての日に何をか語る。

そういうものですよ。

                          (「いい旅とは何だろう」より  1974年初出)

                                                  「開高健のパリ」       開高健/集英社

6月19日 何処で 何を

2014年6月19日

海沿いに進んで来た「北の道」もゴールも近くなり内陸部へと進む。Vilalbaの宿を早朝の6時に出立する。GALICIA地方は石の文化で木製と見える道路脇の柵も薄く割いた石である。

f:id:peregrino:20200616152917j:image

途中、ゴールまで100kmの地点を通過した。巡礼路では100km歩けばそのルートを巡礼したと認証される為、その近辺の標識はある意味重要なポイントである。ところが、このコースはマイナーな為か具体的な数字は失念したがSantiago de Conpostelaまで1,000,○○○mとシンプルな標識である。一桁まで表記されているのを見て、このアバウトなスペインとのアンバランスに思わず笑ってしまった。

札幌とほぼ同じ北緯43度でありながら、暑い日差しの為道路のアスファルトにストックが減り込む。大きくNONと書かれた幟が 目に入る。巡礼路のルート変更に反対の幟らしい。穏やかな巡礼路に穏やかならざる出来事に心のざわつきを覚える。

f:id:peregrino:20200616152956j:image

宿で一人の若い女性に出会った。ブラジルから一人でやってきて、途中からスペイン人のグループに加わって行を共にしている。今日は食事当番の為先行して宿に入り、買い出し調理を済ましたところだそうだ。話が進むうち何と日系三世でHAYASHIさんと言う。そう言えば何となく風貌に日本を感じ、思わず話し掛けたのだろうか。

f:id:peregrino:20200616153023j:image

2015年6月19日

北へ北へと歩いて来た「銀の道」は数日前から西へと方向転換し、ポルトガルとの国境沿いの山道を進む。

f:id:peregrino:20200616153124j:image

暑さと登りを考慮し5時45分にLubianの宿を出て7時30分に峠に立つ。函館とほぼ同じ北緯42度であるが暑さは生半可ではない。38度を超えている。日差しが強い為か影がくっきりと際立つ。それらしい記念写真を撮る。

f:id:peregrino:20200616153206j:image

山道を歩いていても日本の様に野生の動物に出会う事は稀であるが、牧畜が盛んな為色々な家畜と出会う。牛の後ろ姿に何となく色気を感じる。

f:id:peregrino:20200616153252j:image

昨年の夏のブログを思い出す。8月30日に同じ写真をアップしている。区の美術館で開催された「坂本繁次郎展」で出会った牛に、ふとスペインで出会った牛が重なった。その事を書いていた。

f:id:peregrino:20200616153332j:image

2016年6月19日

東京藝術大学の美術館で開催の「バーミアン大仏天井壁画展」に出かけた。2001年にイスラム国によって破壊された天井壁画を藝大が原寸大で完全復元をした。現地に持ち込むに当たって一般に公開されたもので貴重な機会に恵まれた。皆、首の痛さを忘れて静かに天井を見入っていた。

f:id:peregrino:20200616153453j:image

f:id:peregrino:20200616160326j:image

動画で映し出されていた現地の様子からはあの様な悲惨な出来事は微塵も感じられなかった。

f:id:peregrino:20200616153540j:image

その日の早朝、ウオーキングに出かけた時に見た空はいつもと違っていた。

f:id:peregrino:20200616160750j:image

 

そそくさとした、あっさりとした関係、何らコミットしない付き合い。これは旅人にとって最高の願望の一つだが、このことを意識する人はほとんどいない。

                「旅の効用」  ペール・アンディション著・畔上司訳/草思社

 

 

 

 

 

 

 

6月12日 何処で 何を

2013年6月12日

 9日、「ポルトガルの道」のスタート地リスボンに帰りつき、いよいよ明日は日本に向かう。今日はテージョ川を渡りバスで40分のAzeitaoに向かう。目的はお土産購入を兼ねた装飾タイルのアズレージョ工房と1834年創業のワインメーカー訪問。アズレージョ工房では思いもかけず絵付けを経験できた。

f:id:peregrino:20200610084933j:image

蜘蛛の巣の張った薄暗いボデガ には時の移ろいを感じさせる巨大なワインの醸造樽が並ぶ。

f:id:peregrino:20200610160158j:image

今日はリスボン守護聖人である聖アントニオを讃える聖アントニオ祭の前夜祭。バスでリスボンに帰着後パレードを見学すべくメインストリートに向かう。ポルトガルの民族衣裳が続く中、何と法被姿のヨサコイの一団が現れる。暫く日本を離れていたせいか喜びと共に些かのサウダーデを感じる。

f:id:peregrino:20200610085253j:image

主会場のアルファマ地区ではワインで出来上がった多くの人々がダンス、ダンス、ダンス。

f:id:peregrino:20200610085459j:image

別名「イワシ祭り」と言われ、あちこちで鰯を焼く煙が立ち上がっている。単なる塩焼きであるがパンに挟んだサンドイッチは絶妙の味である。

f:id:peregrino:20200610085640j:image

一度は諦めていた憧れのポルトガル訪問を実現し、その上予期していなかった最後の夜を過ごせ、この上無い記憶を刻めた。

 

 モラエスリスボンで毎年行われている六月十三日のサン・アントニオ祭の夜を思い出した。下町の石畳の街路には特設のイワシ焼きの店が並び、宵ともなれば、鰯を焼く煙が町中に立ちこめる。人々は石畳の上に並べられたテーブルを取りかこみ、焼いた鰯をほおばり、ワインを飲む。(中略)

モラエスは孤愁の想いを故郷に投げた。なぜこうも故郷が恋しいのだろうか、鰯を焼いた煙がなつかしいのだろうか。モラエスは日本人の主婦たちの視線を感じながら暮れて行く神戸の街角に立ち尽くしていた  。         「孤愁 サウダーデ」       新田次郎藤原正彦/文藝春秋

f:id:peregrino:20200611082924j:image

 

2014年6月12日

Morosの宿を出て「北の道」を西へと進む。自動車道は整備されており、至る所を高架道路が谷筋を横切る。日本に比べスレンダーな構造で自然の景観に馴染んでいる。

f:id:peregrino:20200612083133j:image

街で見かけた金物屋さんは絵本で見かけた様な顔を覗かせている。

f:id:peregrino:20200612083301j:image

途中でルートを間違える。単調な風景に、チョット考え事をしてサインを見落としたらしく一山越えた北の港に出てしまった。地元の人に聞きながら何とかルート復帰。

午前中に宿泊地Soto de Luinaに到着。今日のアルベルゲは廃校を利用したもの。スーパーで買い出しをし、ビールを飲みながら昼食。

f:id:peregrino:20200612083331j:image

午後は芝生の校庭でのんびりと昼寝をする。夕食後ホスピタレイロがやってきて明日のルートを説明してくれた。スペイン語であったがおおむね理解できた。そして、9時過ぎに教室の蚕棚で眠りについた。

f:id:peregrino:20200612083358j:image

 

2015年6月12日

 Sevillaを旅立ち「銀の道」既に22日目。ロマネスク建築の宝庫Zamoraを後にする。時にはあれと思わせる景観に出くわすが、余り変化の無い大地を黙々と進む。

f:id:peregrino:20200610085749j:image

19kmの比較的短い距離をこなし宿泊地Montamarutaに入る。詳細な地図は持ち合わせていないのでお世話になるアルベルゲが見つからない。人通りも無い。出会った広場で何処かで見かけた様な像が建っている。暫くして思い出した。学生時代にカニ属として訪れた秋田は男鹿半島の"なまはげ"だ。

f:id:peregrino:20200610085819j:image

そして、空を見上げれば子育ての為にアフリカから帰ってきたコウノトリ。毎年同じ番だそうだ。鉄塔や教会の鐘楼等安全な場所に巣を作る。

f:id:peregrino:20200610085857j:image

やっと宿にたどり着き夕食の為バルに行くとお馴染みの風景。テーブルの片隅には堂々の現ナマ。

f:id:peregrino:20200610085950j:image

 

2018年6月12日

「ル・ピュイの道」の巡礼を終え9日にパリに戻る。14日の離仏までパリとその近郊を楽しむ。5〜6月はフランス国鉄はストの真っ最中。駅に出かけ運休予定の便を確認しながら当初の予定を変更し、長時間待った末チケットをゲットする。今日は三大ゴシック大聖堂のうちアミアン大聖堂に出向く。アミアン駅を出ると正面に1953年にオーギュスト・ペレの設計で建設されたRC造の高層ビル。このペレ塔はその筋では有名な建物。

f:id:peregrino:20200610090653j:image

 街中を進むとおめあてのアミアン大聖堂ファサードの全景も見事だが、やはり正面入り口上部のタンパン(短パンではない)が気になる。ゴシックのタンパンは出来はいいが、おもしろ味ではロマネスク には敵わない。テーマは「最後の審判」。偶然、工事中の鮮やかな赤のクレーンとのコラボ。

f:id:peregrino:20200610090257j:image

正面の彫刻群は"石の聖書"と言われ、深い意味は分からないが見飽きがしない。これは天使の内証話。

f:id:peregrino:20200610091121j:image

堂内も見所満載であるが、床のパターンは現代アートを思わせ私の一押しである。

f:id:peregrino:20200610091040j:image

大聖堂の裏には運河が巡らされた街並みが展開する。観光客は殆ど見当たらず静かな散策が楽しめる。

f:id:peregrino:20200610091235j:image

パリの北駅に戻ると駅前で前屈みのストリートファニチャーが迎えてくれた。

f:id:peregrino:20200610091323j:image

 

旅は家に帰ったところで終わる。いや終わるはずである。ところが帰ったところから新たに始まる旅もある。旅先で受け取ったパンフレットやチケットのたぐいを整理したり、撮った写真をプリントしたり、あるいは家族や友人に話をしたりすることで、あらためて旅をしなおすという部分があるからだ。

                「旅のつばくろ」     沢木耕太郎/新潮社

 

先々週紹介したサンチャゴ巡礼のテレビ番組を見ながら改めて旅をし直した。アル中再発?

本日特別定額給付金が振り込まれた。よく考えれば究極の借金か。

ウオーキング中にカラスのしつこい襲撃に遭う。ゴミ出しの変化の影響か。

 

6月5日 何処で 何を

2013年6月5日

ポルトガルのバス旅は続く。スペイン国境近く、巨石にしがみつく家が立ち並ぶ村Monsantを早朝バスで発ち、Lisboaを経由し長駆城壁に囲まれた古都Evoraに向かう。歴史地区ではローマ人が造ったコリント様式の美しい姿の神殿が迎えてくれる。

f:id:peregrino:20200604160653j:image

前の公園の一番眺めのいい場所には、日本人彫刻家北川昌邦氏の彫刻「波立つ海の中に光る満月」。

f:id:peregrino:20200604164907j:image

作品自身のみならず、異国での日本との出会い、そして永い時の隔たりを超えた美の出会いに良い記憶を刻むことができた。

12〜13Cのロマネスクからゴシック過渡期の大聖堂にはあの天正遣欧少年使節も訪れている。ここにも日本があった。

f:id:peregrino:20200604160745j:image

ルネサンス様式のエヴォラ大学のインテリアには白い壁に映える見事なアズレージョ

f:id:peregrino:20200604160853j:image

そして、16C初期のマヌエル様式の装飾が美しいサン・フランシスコ教会。そこには、なんと5000体もの人骨で壁や柱を埋め尽くされた人骨堂。修道士達の黙想の場として造られたそうだが、なんと表現すれば良いのか戸惑いを覚えた。

f:id:peregrino:20200604160932j:image

様々な時代や文化が城壁の中に同居する町全体がミュージアムである。

 

2014年6月5日

 「北の道」はスペイン北部をカンタブリア海沿いを西へ西へと歩く。大まかなスケジュールは有るが、宿は予約なしでその日の調子で決める。昨日はガウディの奇想邸(エル・カプリッチョ)を訪れ気分が良かったせいもあり、明日のことを考え予定を越えて小さな町Sedioまで足を伸ばした。

今日の予定は34km先のLlanes。朝食を摂ったバルの経営者は中国人でドイツ、イタリア、スイスを渡り歩いてきたと言う。寿司も握っている。どんな田舎でも度々中国人に出会う。

坂を登りきると海が一望に開ける。

f:id:peregrino:20200604161303j:image

f:id:peregrino:20200604161411j:image

殆ど人と出会わず、あまり変化の無い巡礼路を進み予定通りLlanesに到着。宿のアルベルゲの場所を尋ねるが聞く人によって違う。やっと辿り着くと何と閉鎖されている。近くのペンションでチェックインしたが、手元のメモにはNo goodとある。長距離を歩いたせいか夕食抜きで寝込む。10時過ぎに目覚め買い置きのものを口にして再び寝込む。

 

2015年6月5日

「銀の道」はハードな歩きが要求される。今日の宿は巡礼路の途中から7km寄り道しなければならない。早朝Carcabosoの宿を出てローマ橋を渡り歩を進める。

f:id:peregrino:20200604161557j:image

途中で前後して歩いていたイタリア人Lucianoと出会う。ローマ時代の遺跡のあるCaparraから電話すると宿から車で迎えに来るとの事。ラッキー!

ローマ街道沿いの遺跡は十分整備されていないが、それはそれで歴史を感じることができる。残された凱旋門マイルストーンに嘗ての姿を思い浮かべる。

f:id:peregrino:20200604161747j:image

f:id:peregrino:20200604161638j:image

f:id:peregrino:20200604161723j:image

既に30km以上歩いていたが、世話好きのイタリア人のお陰で、お迎えの車で宿に向かうことができた。Grazie Grazie である。

 

2018年6月5日

フランスでは巡礼路にGiteと言う巡礼宿がある。民営と公営があり一泊二食で€30〜40,素泊まりで€10〜20。相部屋であるが蚕棚ではない。スペインのアルベルゲに比して高額であるが快適である。今日の宿はOffice de tourismeで予約済み。以前紹介したパン屋さんが営むGite-Boulangerie Brousse。夕食は別の場所のパン屋の店で調理し宿に運んで来る。美味である。背後に立つ親父のドヤ顔。

f:id:peregrino:20200604161951j:image

時々流してくる左の女性の目線が気になる。東洋人が珍しいのだろうと冷静な判断を下す。流石パン屋さん、デザートは絶品であった。

f:id:peregrino:20200604162028j:image

食後は皆で揃って後始末をする。

f:id:peregrino:20200604162112j:image

 

図書館は28日から予約済みの図書貸し出し開始。 10冊返却、5冊借り出し。

資産運用の現状チェックで銀行に出向く。一安心。

練馬区立美術館オープン。企画展「ショパン200年の肖像」をゆったりと愉しむ。  

 

 

5月29日 何処で 何を

2013年5月29日

27日,は「ポルトガルの道」のゴールSantiago de Compostelaに無事到着。28日,ご褒美のポルトガル遊覧に向け往路徒歩越えの西葡国境を電車越え。「ここにポルトガル誕生すAqui Nasceu Portugal 」のポルトガル発祥の地Guimaraesを経て、バスでスペイン国境の城塞都市Bragancaに向かう。下り前方に行き止まりの上りの枝分かれ道路が現れる。ブレーキ異常の祭の緊急避難路か?

f:id:peregrino:20200525073439j:image

新市街地に到着すると前方に城壁に囲まれた1187年建造のj旧市街地が展開する。

f:id:peregrino:20200525073519j:image

教会の隣には12Cに建てられ現存最古のかつての市庁舎。小さいながら風格あるロマネスク様式。

f:id:peregrino:20200525073608j:image

城壁の上の遊歩道 を巡ると、スペインへと繋がる壮大な景観が眼のあたりに展開する。

f:id:peregrino:20200525073652j:image

2014年5月29日

飛行機の延着で空港から「北の道」のスタート地Irunに向かうバスの姿は無い。咄嗟の判断で鉄道の駅に向かう。近くにいた人に事情を話すと、間もなくIrunに向かう電車が出ると言う。礼を言い大急ぎでチケットを買い電車に乗り込む。危機一髪でスケジュール通りスタート地に立つことが出来た。

Irunは大西洋を望むフランスとの国境の町。宿にチェックイン後ちょっとフランスまでお散歩と洒落こむ。道なりに進むと川に出会う。そのまま進み川に架かる橋を渡るとそこはフランスであった。

f:id:peregrino:20200525073829j:image

 異国に踏み込んだと言う実感が無い。ふと見かけた建物の壁のFRANCEの文字に教えられた。

f:id:peregrino:20200525074150j:image

再度スペインに引き返し目の前の道路標識を見る。HENDAYAはさっき訪れたフランスの町のフランス語標記。下のHENDAIAはそのバスク語標記。そうです、ここは西仏を跨ぐバスク地方である。因みに赤い斜線は町の出口を示す。その背後にEUのSPAIN。

f:id:peregrino:20200525074219j:image

2015年5月22日(先週記述ミスした)

昨日、Madridからバスで「銀の道」のスタート地Sevillaに入る。宿を出てGuadalquivir川を渡り、灼熱のアンダルシアの地を北に向かって歩き始める。

Sevillaの北西9km、ローマの将軍スキピオがBC1Cに設立したローマ遺跡イタリカに出会う。トラヤヌスハドリアヌス、テオドシウスの生誕地とあり、現物の世界史に身を置く。

f:id:peregrino:20200525075733j:image

足元の敷石に何かの印が彫り込まれている。日本の城の石垣でも目にしたことがある。かつての石工の仕業か。

f:id:peregrino:20200525075838j:image

開口部から漏れ来るアンダルシアの強烈な日射し。日本の空気の暑さとは異なり、日射しの突き刺す熱さである。

f:id:peregrino:20200525075915j:image

一面に展開する向日葵は壮大な眺めである。名前にたがわず一斉に太陽に顔を向けている。

f:id:peregrino:20200525075952j:image

そして、強烈な日射しを甘受しながら荒廃した原野の一本の道を無言で進む。

f:id:peregrino:20200525080037j:image

2015年5月29日

この日の引き出しにあった記憶は下の二枚のみであった。葡萄畑そして、オリーブ畑。それ以外の記憶はない。

f:id:peregrino:20200525080135j:image

f:id:peregrino:20200525080201j:image

2016年5月29日

 フランス南西部で川と運河が地中海と大西洋を繋いでいる。その途上の"美しい村"Auvillarの宿の深夜。トイレで見かけた怪しい光はGaronne川中洲の原子力発電所。フランスでは冷却水として川の水を利用する為、原子力発電所は内陸部にも立地する。

f:id:peregrino:20200525080748j:image

農業国の為、広大な農地の中が進む道が次々と現れ、その中を歩くのは気分のリフレッシュにはもってこいである。

f:id:peregrino:20200525080354j:image

前方に今日の宿泊地Lectoureの大聖堂、の砲塔の鐘楼が望まれる。先史時代の首都から地域の拠点として栄えた街である。

f:id:peregrino:20200525080506j:image

市街地に入ると静まりかえった重々しい家並みにが歴史を感じさせる。

f:id:peregrino:20200525080622j:image

鐘楼の屋上から眺める甍の波、緑の農地、白い雲。心地よい風が吹き抜ける。

f:id:peregrino:20200529165841j:image

 堂内には見事なフレスコ画

f:id:peregrino:20200529170224j:image

 

 お知らせ

読者の方から下記のテレビ番組の情報提供が有りました。興味ある方は

NHK BSプレミアム  「聖なる巡礼路を行く〜カミーノ・デ・サンチャゴ 1500km」

    マドリード在住のアーティストがフランスのLe Puy-en-VelayからSantiago de Compostelaまで歩く

    6/2(火) 8:00-9:00 「宗教の道」  5/26(火)の再放送

    6/2(火) 20:00-21:00 「肉体の道」

    6/9(火) 20:00-21:00 「魂の道」

 

22日の夕方、郵便箱の夕刊の下にマスク。扱いに戸惑いを覚える 。

 

5月22日 何処で 何を

2013年5月22日

敗戦後、日本で体験できなくなったもの? ・・・徒歩で国境を越えることである。昨年はピレネー山脈の標高約1,300mで西仏国境を跨いだ。傍に石碑がひっそりと佇んでいた。今年は今日Minho川上の葡西国境を越える。

ポルトガル側は城塞都市 Valenca

f:id:peregrino:20200520153743j:image

一方のスペイン側のTuiは

f:id:peregrino:20200520154354j:image

嘗ての力関係のなせる技だろうか。しかし、今やEUと言う括りで星の輪の中の文字が違うだけ。

f:id:peregrino:20200520154814j:image

両国をつなぐ橋は正方形の籠。中は自動車路、籠の上は単線の鉄道路。そして、我々歩行者は籠の外にへばりつくやっと人一人歩ける幅のテラス状の通路。足元はメッシュ状で歩き疲れた足に冷たいものが這い上がってくる。自動車の通行で揺れがあり、鉄製の吊り橋を渡る感覚である。

f:id:peregrino:20200520141753j:image

ポルトガルの500kmを歩き終え、残すはスペイン側の 115km。まだなのか、もうなのか複雑な心境である。

 

2016年5月22日

一昨昨日は熊野古道熊野速玉大社参詣。一昨日は熊野那智大社をお詣り。昨日は難所と言われる大雲鳥越を歩き、本日は小雲鳥越を進み熊野本宮大社のお迎えを受ける。三大社とも三度目の出会いで、"伊勢に七度熊野に三度、愛宕さまへは月参"の喩えによると、身をもって信仰心の深さ?を証明できたことになるのか。

f:id:peregrino:20200520141921j:image

熊野本宮といえばJリーグでお馴染みの八咫烏

f:id:peregrino:20200521155811j:image

1889年の大水害で、中世以来熊野川中洲にあった社殿は倒壊し現在地に再建された。杉の樹叢の足元の苔むした石垣だけが旧社殿の面影を止めている。

f:id:peregrino:20200520142035j:image

宿の主人に薦められた地元住民の通う温泉で疲れを癒し、明日からの熊野古道の銀座通り「中辺路」歩きに備え早目に眠りについた。

 

2017年5月22日

 夜行バスで新潟県上越へ。電車に乗継ぎ19日早朝糸魚川に入り、「塩の道」を長野県の松本へ向け歩きだす。嘗て沿岸部と内陸部を繋いだ「塩の道」はあちこちで見られるが、この道のまたの名は「千国街道」。4日目の朝、白馬の麓の宿を出立する。道路の傍の水路を大量の雪解け水が音を立てて流れてゆく。その水を集めた水田には田植えを終えた稲の苗。水面には残雪の飛騨山脈

f:id:peregrino:20200520142240j:image

青木湖ではノンビリと釣り糸を垂れる釣り人。なんとも長閑な風景である。

f:id:peregrino:20200520142438j:image

宿のある大町の市街地の入ると「塩の道ちょうじや」の看板を掲げた博物館がある。建物は江戸時代の庄屋平林家。当時の牛方や歩荷の運搬道具や沿道住民の生活道具を展示。

f:id:peregrino:20200520142500j:image

 「歩荷輸送規約」なる興味深い説明があった。

f:id:peregrino:20200522100940j:image

古代からの流通路で、運んだものは塩/生・塩魚/諸貨物であるが、中世には文化も運んだとある。生魚は大急で糸魚川/午後4時−午後4時/大町/午後5時–午前7時松本。塩魚は並急で大町まで3日。塩は大町まで大急で5日。松本まで最速で120km/38h=3.2km/h。重い荷物を担いでの歩荷であれば中々のスピードである。因みに、私はこのコースを6日で歩いた。

 

2018年5月22日

 「ル・ピュイの道」はFigeacで三本の道に分かれる。川沿いの道を歩けるvariante du Cele GR651を選ぶ。2日目の早朝路上でカタツムリに出会う。他の巡礼路でも出会うお馴染みさんである。身の回りのものを担いでゆったりと進む姿は他人とは思えない。

f:id:peregrino:20200520143116j:image

Le Cele川の反対側には岩壁が延々と続く。いかにも脆そうな壁で落石が多発するのか至る所で注意書きが目につく。

f:id:peregrino:20200520144009j:image

しかし、意に介せず足元には教会や住宅が張り付いている。現在も使われているかどうかは分からなかった。

f:id:peregrino:20200520143259j:image

前方に人だかりがあり、その上方の岩壁には怪しげなものが張り付いている。

f:id:peregrino:20200522091535j:image

近づいてみると髭を生やした長髪の男が皆に向かって何か喋っている。近くの人に話しかけてみた。この男性は現代アートの作家で、ここで作品を制作しながら個人ミュージアムで展示している。自分達はバスの団体旅行中で、ここも観光の目的地との事であった。

f:id:peregrino:20200520143415j:image

バスから取り出されたテーブルの上にはワインやおつまみが載っており野外宴会が始まる。お誘いにより参加し、しばらくの間会話?を楽しむ。ロースピードの旅では思いがけない出会いが愉しめる

宿の人と話していると、鍾乳洞に行くことを薦められた。洞内へ入って暫く進むと集団に出会った。ツアーに参加して見学するらしい。撮影禁止であったが単独行中の貴重な写真である。

f:id:peregrino:20200520143455j:image

スペインのアルタミラと同様洞窟壁画が見所であったが、それは私の記憶の中に止められた。

 

特別定額給付金のお知らせが届いた。

報道番組で気がついた。マスクはまだ届いていない。