足元の出会い

広島カープセリーグ優勝がほぼ確実になるや地元の過熱ぶりがTV報道され、その中でカープ坊やをモチーフにした強烈な赤色のマンホール が目に入った。

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 広島市のHPを覗くと観光資源の一要素としてか、幾つかのエリアで千羽鶴、もみじ、鯉といった市ゆかりの絵柄のマンホールが敷設されている。当然ながらカープ坊やは球場周辺に展開されている。さすが広島、いまや地元球団が地域文化?となっている。(因みに私の出身地は広島。優勝決定おめでとう)

 最近、マンホール蓋学会とかマンホールカード発行等静かにマンホールブームが進んでいる。かく言う私も歩き旅の途上で自然に下がる視線に出会ったマンホールをカメラに収めている。

かつて、マンホールは機能一点張りの味気ない路上の汚点のような存在であったが、今や各地で図柄や色彩等で工夫がなされ景観形成の一要素として活用されている。

関心の持ち方はデザイン、図柄の意味合い或いは訪問の証等で今流行りの納経帳的なところがある。

私にとっては訪れた土地を仮想再訪問するブックマークでもある。

 

スペインでも当然ながらマンホール を見かけるが、殆どが大量生産の均一デザインのものであり、たまに独自のデザインのものに出会っても図柄は地名と紋章程度で着色もなく、残念ながら後日の記憶再生に繋がり、デザインを楽しめるほどのものには出会わなかった。

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最近出会ったマンホールは熊野古道のものである。偶然出会ったものだけなので数は少なかったがここに紹介する。「伊勢路」のスタートは伊勢市であり図柄はおかげ参り。伊勢神宮では踏みつけるには畏れ多い。

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 熊野市の先の御浜町は年中みかんがとれる気候温暖をうたっている。地のオレンジ色は錆ではなくみかんの色ですね。

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 和歌山の御坊市では市の花のハマボウ、小菊と市の木クロガネモチをあしらっている。この図柄は地元の人向けで観光客にはイメージが繋がらない。

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 かつて日高別院の寺内町で栄えた御坊市もその遺産を観光資源として生かす為の整備が遅れており、記憶に残ったのはうだつの陰にひっそりと残されていた鏝絵だけであった。

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和歌山市と言えば紀州藩西条八十作詞の「鞠と殿様」の紀州手毬が描かれている。カラー版もあるとか。

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途中で出会った地元の人にマンホールの写真を見せ、「知ってますか」と尋ねても知っている人はいなかった。普通の生活をしている人には足元の出会いはまだ訪れていないようである。

 

 

 

ガウディを訪ねて15-カサ・バトリョ 20150702

 カサ・バトリョは当時の都市建築である。日本では一階にあたるgroundfloorは貸店舗、二階にあたるfirstfloorは自邸、そしてsecondfloorから上を住宅として賃貸していた。エントランスを入ると右手に賃貸住宅用のエレベーターと階段がある。さらに奥に進むと自邸のエントランスホールがあり、恐竜の背骨を思わせる専用の階段がメインフロアへと誘う。

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階段を登りグラシア通りに面したトリビューンに向かうとおなじみの眺め。波打つ開口部の建具そしてブルー系統の色ガラスでデザインされたステンドグラスはファサードからインテリアへと 「海」の物語を展開する。骨に見え奇異に感じた開口部の方建て?を間近に見るとお馴染みの植物それも可憐な花が絡み付いている。

窓は部分的に開閉可能で下部の腰の部分には換気口がもうけられている。

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窓の取っ手は模型で握り具合を確認しながら決めたと思わせるなんとも言えない形をしている。

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 賃貸住宅を繋ぐ階段は緩やかに波打つ鉄のフレームと表面が歪で青で着色されたガラスが連続し、静かな海を思わせる。

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 中央部には青色のタイルで覆われた吹き抜けがある。先ほどの外壁の換気口→吹き抜け内の開口部下部の換気口→吹き抜けと空気の流れを作る換気システムの肝である。これはイスラムが持ち込んだスペインの優れた居住システムである。巡礼中も方々の宿でも経験したが、パティオのチェアーに座って緩やかに流れるそよ風に身を任せていると、40度を超す屋外の灼熱空間を瞬時に忘れさせてくれる。

この吹き抜けには更に採光上の工夫がなされており、より多くの光を取り入れるため上に行くほど広くなっている。更に、海のイメージの青いタイルには光沢を持たせ、下に行くほど白っぽい色とし、差し込んだ光を反射光で隅々まで行きわたらせるべくデザインの裏に何気なく仕掛けが施されている。

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写真では青が感じられないがこれで良い

 

上の階は倉庫や物干しの共用スペースとして増築された。今ではその用途が想像 出来ないが最も感銘を受けるスペースとなっている。その形態は屋根を支えて高い階高を確保する為の構造上の要求と屋根のデザインから生み出されたパラボラアーチである。

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 更に屋上に上がる階段が二箇所あるが、この裏階段とも言えるものが全くおろそかにされていない。

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 屋上にはお約束の宇宙人が並んでいる。これも機能から生まれたデザインか。

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 見どころは色々あったが、捻くれ者の私にとっては階段が最も興味深かった。

 

 

 

ガウディを訪ねて14-カサ・バトリョ 20150702

嘗ては、建築に携わっているものは誰もが一度は実物を目の当たりにしてみたいと思っていたガウディの作品も、今やバルセロナ観光の定番コースとなっている。特に市街地部の主要作品は時間別に入館者を制限しており、運が悪ければ外から見上げて次へとなりかねない。そこで、今回心ゆくまでガウディワールドに没入したいと思い、予約可能なものは十分に余裕を持って予約を入れておいた。時間帯も一般の観光客、特に団体客が他の行動をしている朝一と夕方最終を優先的に選んだ。

朝一の9時を目指してカサ・バトリョに出かけた。すでに人だかりができているが人数は少なめで団体客も見かけない。

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あの姿形からガウディが一から設計したと思われがちであるが、1877年に建てられた店舗兼住宅の増改築を繊維業者である実業家から依頼されたものである。(1904〜1906)  5階建ての直線的かつ平面的な普通の建物をあそこまで変貌させた、まさにガウディマジックである。そのいきさつがまたすごい。

カタルーニア経済の黄金期を支えた資産家はその証として有名建築家に邸宅の設計を依頼した。その一環として右隣に「アマトリェール邸」、数棟先に「モレラ邸」が建設された。それを見た施主は負けじとガウディに改築を依頼した。この経緯を知った上で現地に立つとあのデザインはむべなるかなと納得させられる。しかし隣家との調和は忘れていない。

 上部二層を増築し内外装を改築している。ファサードから「骨の家」とも「あくびの家」とも言われているが、デザインテーマは「海」である。じっくりと眺めてみると、青を基調としたカラーコーディネーションや見上げた時の波のイメージはまさに「海」である。

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外壁の破砕タイルは 廃材を利用しており、ガウディ作品の色々な場面で展開されているエコ精神の見事な実践である。

ファサードの強烈なインパクトを受けると、当時は無視されがちであった裏側の壁面はどうなっているのか見てみたくなる。二階の自邸部分はテラスに通じており、そこから建物の裏側を眺めることができる。表に比べおとなしいデザインであるが、ガウディらしい装飾が施されている。そのテーマは何故か「海」ではなく「お花畑」のように感じられる。 

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上層部

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 テラス階

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 プランター

 

同じ通りに面した高級アパートメントホテルのファサードの改修を伊東豊雄氏が手がけている。ガウディへのオマージュなのか「海」のイメージである。

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ガウディを訪ねて13-コロニア・グエル教会20150701

前方のゲイトにむかう。金属板に数カ国語で教会を意味する単語が切り抜かれており、ここにも当然の如く「教会」の文字が並んでいる。正面に廃墟のような佇まいが目に入る。

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グエルの依頼で1898年に ガウディは設計に着手した。しかし、後年グエルの病気と資金不足により計画が頓挫し、1914年にガウディは建設途上で手を引くこととなった。当初のスケッチによると尖塔が空に向かって建ち上がっているが、目の前にはその面影は全く無い。

入口を求めて 右側の半地下に下りるとそこはカタルーニアヴォールトが怪しく交錯する前廊部分である。

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左に目をやると石の枠組みの控えめな入口があり、上部には場に不似合いとも思われる色鮮やかな破砕タイルのメダイヨン

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 一歩聖堂の中に足を踏み入れると石切場にでも迷い込んだと思わせる想像を絶する空間が展開し、暫くの間無言で立ち竦む。

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 切り出したままの玄武岩を無造作に建て込んだと思われる柱は一見危うささえ感じさせ、その緊張感がたまらない。しかし、ガウディ独特の幾何学的アイデアに基づく架構である。

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 複雑なレンガ造の隔壁アーチ群で覆われた天井は、壁を形態上の制約から解放し有機的な空間を可能にしている。

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 その壁には水平方向に子供の絵の様なステンドグラスが並んでいる。これがなんと日時計の役割を果たしているのだそうだ。

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換気のためか一部が開閉可能となっており環境への配慮も感じられる。

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祭壇裏を巡る階段部分では構造材のレンガが装飾的素材としてあしらわれている。

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 一旦外に出て右側の階段を登ると平坦な屋上空間に出る。本来であればここにはスケッチに描かれていた聖堂伽藍が聳え立っていたはずである。その証しとしてか柱位置を示す円とそれを結ぶ線で床の上に未完の教会が描かれている。

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計画中断後、講堂として建設されていた地下部分が聖堂に転用され教会として完成された。そのせいもあり、空間の醸し出すプリミティブな印象がこの小さな教会をサグラダ・ファミリア教会と並ぶガウディの代表作と評される一因となっていると思う。

 

コロニア・グエル教会訪問において何よりも私にとって喜ばしかったことは、1時間以上に渡りこの空間と時間を独り占めにできたことであった。

 

ガウディを 訪ねて 12−コロニア・グエル20150701

モンセラットを後にし再びカタルーニア鉄道でバルセロナに引き返す。途中各駅停車に乗り換えコロニア・グエル駅で下車。自動の改札機とチケット販売機 だけの無人駅。前回、時間不足で断念し心残りであったコロニア・グエル教会にやっとめぐり合うことができる。

駅から歩道上に記された足跡を辿り教会のある街中に向かう。

コロニア・グエルはグエルが自分の繊維工場で働く人々に豊かな生活空間を提供しようと創り上げた理想郷である。コミュニティに不可欠の教会の設計はガウディに依頼した。コロニー自体の計画にガウディ本人は関与していないが彼の弟子が当たっている。

案内所に向かう前方に共同住宅が現れる。シンプルな佇まいであるが期待感が高まる。

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案内所でリーフレットを求めるとなんと日本語版が差し出される。喜ぶべきか複雑な心境である。

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 教会は勿論であるがコロニアについても大いに興味があったが、事前の情報が少なかったのでここで街に関する説明を聞く。近くの小綺麗なレストランで地元の人に混じって遅い昼食を済まし街歩きを始める。地元の人はちらほら見かけるが観光客は全く目に入らない。普通の観光客にとって教会以外は興味が無いのか。

 

スペインの有名建築家による邸宅も散見される。

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コミュニティに必要なコミュニティセンター、学校、劇場等々も備わっている。

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 学校と教職員宿舎

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 コミュニティセンター

 

そしてこれも欠かせない旧生活協同組合のワイナリーも忘れられていない。

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色々な建築家が関与しているにもかかわらず各々が自己主張せず、デザインモチーフ、建材そしてカラー等統一感が見て取れてそぞろ歩きの心を和ませる。まちづくりのベースにガウディの目指しているものが巧まずして取り込まれているのであろう。

そして、家並みの外れの緑の中に教会のサインを見つけた。 しかし、そこには教会らしきものが見当たらず、観光客らしき人影も見ることが出来ない。いや、一人いた。

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ここまでやって来た観光客の大半の方はこのコロニアについて知らないし、関心も示さないのでは無いかと思う。でも、少し時間の余裕を持ってブラリと横道に逸れてみてはいかが。私もグエルが目指した理想郷の生活の一端に触れるべく、もう少し余裕を持って訪ねてくればよかったと思った次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

獣害?

テレビで動物による農作物への被害対策につきレポートしていた。被害額は全国で年間200億円に及ぶとの事。特に猿はどんな物理的対策も効果がなく、最近はIT化対策まで考えられている。南アルプス市では群れの中の一匹を捕まえGPSを取り付けて放し、群れが近づくのを察知すると花火や叫び声で追い払うと言う。一定の効果はあるが電池の持続時間の関係で、絶えず対応できない悩みがあるそうだ。

動物による農作物の被害は、人が動物の生活圏に入り込んだため食料が不足しだし、動物達が食料を求めて人間の生活圏に出没しだしたためと言われているが、最近は高齢化により農山村の荒廃が進み山と集落の境界が曖昧となり、良質の食料が得やすい集落に出かけてくると言われている。

 熊野古道は動物の生活圏を出入りしながら歩くためこうした現場によく出くわした。丸山千枚田でもネットやワイヤーで鹿の農地への侵入を防いでおり、なんとか対策となっているが田植えをしていた人に聞くとこれでも完全に被害は防げないと悩みを打ち明けた。

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昔は猪による農地荒らしに悩んでいたらしく、石垣を延々と築いて侵入を防いでいた。今でもその遺構として「猪垣」があちこちに見かけられる。

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"クマ出没  注意! "の貼り紙を見かけた。日付が昨年だったせいもありこんな所にもでてくるのだ程度で、あまり緊張感は沸かなかった。

又々テレビだが、"にっぽんトレッキング100"で知床半島の歩きを紹介していた。場所柄ヒグマが見かけられ、そんなところを時に笛を吹いて歩いて行く。ここはクマの領域であり我々はそこを通らせてもらっているのだから「すみませんがしばし道を譲ってもらえませんか」と笛で知らせているのだといったようなことを言っていた。クマが出るのではなく人が出るといった方が当たっている。

 スペインの巡礼路ではたまたま鹿や兎が道路を横切る程度で猿は見かけない。 だから猿に会いに日本にやってくる。日本の様に豊富な緑や水がなく、野生の動物にとって住みやすいところではないようだ。しかも集落の周辺にも農地は見かけられず、人と動物のせめぎ合いは無いようだ。

牧畜は盛んで柵を張り巡らし各種の家畜を自然の中で育てている。イベリコ豚然りである。巡礼路はその中を突っ切っており鉄製の扉を開け閉めしながら、シャトルグリッド(大型のグレーチング)を渡り歩きながら進む。ある時低いワイヤーの柵をまたいだ時股の部分に電気が走った。

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かつては羊毛の供給地として多くの羊が飼われており、牧草を求めて国内を羊の大群が移動していた。羊の通った農地は荒れ果て、街中は糞で溢れかえっていた。しかし、牧畜は国を支える産業であった為誰も文句が言えなかった。

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田舎を歩くと保安の為どこの家も複数の大型犬を飼っており、側を通ると通り過ぎるまで大声で吠えかかる。時には放し飼いの大きな犬が道路の真ん中でこちらを睨んでいる。ウオーキング中に噛み付かれた事があり犬は苦手であるが、恐る恐る道路の端に避けながらすり抜ける。以前紹介したイタリア人は犬が大の苦手で、放し飼いの犬に出会うと全く動けなくなる。本人には申し訳ないが大の男が犬に怯える姿を眺めると胸がすく思いがする。

 

 

 

ガウディを訪ねて 11–モンセラット20150701

 ガウディの作品に触れた人は間違いなくあの発想はどこから来たのか知りたくなるであろう。その原点と言われているのが、バルセロナの北西60kmのモンセラット(のこぎり山)である。幼い頃から何度となく通ったそうだ。

、スペイン広場駅でセットチケットを手に入れカタルーニア鉄道に乗り込む。登山電車乗り換え駅で下車すると目の前に巨大な"のこぎり"が横たわっている。

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 中腹に"黒いマリア様"に会いたさに多くの信者?がやって来る修道院がある。

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 私の目的地は別の所にあり、急勾配のケーブルカーで上に向かう。ケーブルカーを出るとのこぎりの刃に当たる奇岩がせまって来るが、まだ期待していたものには巡り会えていない。自動車道を進むと途中から山道に入る。急なガレ道の登山モードで、まさかのサンダル履きが悔やまれる。

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 やっとの思いで尾根に辿り着く。眼前に迫り来る自然の造形物である奇岩群に圧倒される。私は表面的なデザインの原点をここに見つけようとしていたが、形そのものでなく自然物が持つ形以上のものを作品に表現しているのだと自分なりに理解した。どうもうまく説明できないので、勝手ながら他人の文章を引用させていただく。

「ガウディにとってもこの山は、単に造形として影響を与えられたというよりも、自然の摂理や自然の凄さを再確認させてくれる場所としてあったのかなと思いますね」 井上雄彦(ガウディと井上雄彦/Casa BRUTUS/マガジンハウスムック)

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誰もいない山上で時間を忘れて奇岩の造形美を堪能し、眼下に広がる麓の景色に心休まる思いがした。

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ふと気がつくと岩肌に人が張り付いているのを見つけ現実に引き戻された。

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下りは周りの景色を楽しみながら、汗をかきかき修道院まで徒歩で下った。ここにも祭壇等若き日の作品があったが見たいと言う強い関心は抱かなかった。