100年早かった智の人

一昨年伊勢神宮を後にし「伊勢路」「中辺路」和歌山県田辺市の滝尻王子まで歩き、バスでJR紀伊田辺に出た。田辺市平成の大合併で市域はほぼ紀伊半島を横断する形で、40km強の「中辺路」がすっぽり入っている。はたして地域の一体性は保たれているのか疑問を感じた。

宿で南方熊楠の旧居の所在を知らされ、名前は聞いたことがあるが何者であるかはよくは知らず出かけてみた。 旧居の一隅には南方熊楠顕彰館も建っており、氏に関わる資料が展示されていたが、小規模なこともあり隠花植物の収集を中心とした生物学者との理解の域を出なかった。

亡くなった年が私の誕生年であるとか、その年齢がほぼ自分の現在の年齢といった些細な縁を感じ、もう少し氏の事を知りたいと帰宅後図書館で関連図書を借り出した。単なる生物学者ではなく博物学民俗学にまで幅広い活動をし、森羅万象を探求した「研究者」とされ、昭和天皇に進講した凄い人であった。そして神社合祀反対を通じた自然保護運動までしている。

上野の国立科学博物館南方熊楠生誕150周年記念企画展開催を知り、ギャラリートークの日に合わせ出かけた。

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平日の夕方にもかかわらず来場者で賑わっていた。講師の顕彰会学術部長の田村氏の話を聞き南方熊楠が何者であったのかやっと理解に達した気がした。

「研究成果そのものよりも、広く資料を収集し、蓄積し提供しようとした<情報提供者>であった」

今回はピンボケの 話に終始してしまった。そこでおまけを二つ!

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展示のホログラムによる"南方熊楠曼陀羅"  

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冬の"上野の桜"