読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シエスタ それは自然の要求

 暑い!

壮烈にアツイ!シエラ・ネバダ山脈にはまだ雪はあるものの。

それは暑いというよりも、むしろ熱いのであって、アチチの方の熱さである。直射日光の下では約四〇度近く、日蔭では二七度ほどである。

しかしそれも大体午後四時から八時頃までであって、午前中及び午後九時以降の日没後は風は涼しく頗る過ごしやすい。だから、どうにも耐えがたい時刻は、どうしても昼寝(シエスタ)をせざるをえない。

                                                        グラナダの夏  堀田善衛(エッセイ集「スペインの沈黙」1979)

氏がグラナダ滞在の6月頃に書かれたエッセイの一部である。私は2015年6月4日、「銀の道」のアンダルシア州北隣のアストレマドゥーラ州のメリダ(ローマ帝国都市の世界遺産)の先をイタリア人のルチアーノと歩いていた。二人で歩いていたにも関わらず熱さのせいか,コースを誤り1時間以上炎天下を放浪した。やっとの事でコースに戻り途中のBarに辿りついた。手元の温度計で外気温を測ると午後1時で40度を超えていた。体力よりも気力が萎えて、全員一致で残りの1キロをタクシーで向かうことに決した。

氏の言う涼しさは日陰に入らないと享受できない。しかし原野?を歩いている時には滅多に木蔭には巡り会えない。やっと出会えても丸めた身体が納まるくらい。その中に倒れこみ涼風に身を任せてしばらく微睡むが、瞬く間に予定した休憩の時間が過ぎる。先に進まねばと強烈な日差しの中へ踏み出す。

われわれは風が吹くと涼しいという固定観念がある。そうはいかないのだ。それから、室外がかくまでに熱くなると、外へ出るのではなくて、外へ入るという感じになる。   「  スペイン430日  」堀田善衛

f:id:peregrino:20170404120854j:image

国境/Border/frontera nacional

 久しぶりに堀田善衛の著書を読んでいる。「スペイン430日  オリーブの樹の蔭に」と題する1977年〜1978年の約1年3カ月のスペイン滞在中の日記である。時は、フランコ将軍死去に伴い民主化への移行の時期である。しかし通貨がペセタからユーロに変わった以外は、私のスペイン放浪を追体験をする上で殆ど違和感を感じない。読んでいくうちに次の様な記述に出会った。

しかしスペイン本土からジブラルタルへは入れない。入るつもりならば、一度モロッコに渡ってそこから船で行くか、あるいはロンドンへ戻った上で、飛行機でしか入れない。歴史の因縁とはおかしなものである。         

 驚きを覚え、その背景を知るべくWikipediaで"ジブラルタル"を開いてみた。ざっくり言うと、占領と租借の違いはあれジブラルタルはかつての香港の様な位置付けであると私なりの理解をした。1704年のイギリスの占領以降両国の間で帰属についての駆け引きが続いている。1964年、その帰属をめぐって住民投票が行われた結果イギリス帰属が選択され、スペインは対抗措置として国境を封鎖した。1985年には封鎖は解除されたが、氏のスペイン滞在はまさにこの時期であった。

一昨年マラガからアルヘシラスへバスで向かう途中、国境付近のバス停のに寄った。EU加盟国同士の国境であったが、そこには高さは低いものの金網のフェンスが巡らされていた。

イギリスはついにEU離脱の手続きに入った。今後この壁は高くなるのか低くなるのか。

今にして思えば時間に追われる旅ではなかったので、チョット寄り道をしておけばと悔やまれる。

f:id:peregrino:20170329110509j:image

手本は二宮金次郎

 私の知る金次郎は薪を背負い本を読みながら歩いていた。ところが最近の金次郎は腰を下ろして本を読んだり、本は脇に抱えて歩いているそうだ。オリジナルの姿は"歩きスマホ"を誘発するとの教育的配慮?からとも言われている。このでんで言えば今後は卒業式で"蛍の光"は歌われなくなってしまうのではなかろうか。暗いところで勉強すると"視覚障害"を誘発するとの理由から・・・

昨年の晩秋二度目の熊野古道"伊勢路"を歩いた。曽根と言う海に面した集落を歩いていた時、立派な木造建築を見かけた。出会った人に聞くと廃校となった小学校で、今は幼稚園と郷土資料館として利用されているとのこと。近づいて行くと、入り口の前には小学校時代に設置されたと思われる二宮金次郎像が建っていた。田舎町の為交通量も少なく、高齢化も進んでいる為か本来の姿のまま歩いていた。

私はそれよりも、屋根の少し波打った棟瓦に並んで生えていた草木にこの町が歩んできた歴史を感じていた。

単調な道を歩き続けていると、時にフット頭の中が真っ白になっていることがある。何かをしながら歩くのは危険かもしれないが、何もしないで歩くのにも危険を感ずることがある。

 

f:id:peregrino:20170323200237j:image

mugan/国境

 「視えない共和国」(沢木耕太郎ノンフィクションIV「オン・ザ・ボーダー)を読んでいて、最近頻出している国境問題について思いを致した。我が国では国境は全て海の上にあるため、辺境の地に出かけてヴァーチャルな国境を思い浮かべることにより確認する事になる。

私の国境経験ではソヴィエト連邦崩壊前の東西ベルリンのそれが最も印象に残っているが、最近ではサンチャゴ巡礼において別の意味での経験をした。「フランス人の道」でのピレネー山中でのうっかりすると見過ごしてしまいそうな国境の石碑。「ポルトガルの道」では国境の川に架かる鉄道橋脇に張り出したやっと一人が通れるくらいのテラス状の歩道を恐る恐る渡る。「北の道」のスタート地ビスケー湾奥のイルンを西に向かって歩き、街中の普通に見かける橋を渡るとフランス。ここはご存知の西仏を跨ぐバスク地方で今では国境となっているが、隣の国にやってきたとの自覚が感じられない。人や車が日常活動として頻繁に行き来している。

しかし道路標識を見た途端に別の所に国境がある事を思い起こさせられる。標識はスペイン語或いはフランス語とバスク語の両表記である。カタルーニャ地方でも同様に見かけられた。スペインでは国内にヴァーチャルな国境があるようである。 しかし住民は心の中でははっきりとした国境を持っているのであろう。

ちなみに日本国内でも・・・・

f:id:peregrino:20170315210337j:image

宇宙大の思考

 南方熊楠の生誕150周年を記念して行われた「宇宙大の熊楠」と題したシンポジュウムに出かけた。南方熊楠賞を受賞された明治大学野生の科学研究所所長の「地上の自然」及び占星術研究家の「熊楠の星をめぐって」の基調講演の後パネルディスカッション。事前に危惧していた通り私の理解力を超える内容であった。聴講者の多くは私のような普通の高齢者と見受けられたが、時折あちこちで反応のざわめきが起こっていた。私の見立てでは在京の和歌山県出身者であろうと自らを慰めた。

中途半端ながら南方熊楠に関心を持つようになったのは、熊野古道歩きで最後の宿泊地田辺市南方熊楠邸を訪れたのがきっかけである。晩年の25年を過ごし隣の顕彰館と共に研究、情報発信の拠点となっている。管理されている熊楠さんと縁のある女性の方と暫く話し込んだ。話しているうちに名前は知っていたが、それ以上のことは殆ど知らない。もっと知りたいと思った。

周囲は土塀に囲まれた瀟洒な住宅地である。土塀は古い瓦を土で塗り込めたものであり、古い寺院で見かけるものであったが、どこか雰囲気が違う。奈良や谷中で出会ったものは何らかのデザイン性が感じられたが、ここのものはその気配が感じられない。何となく気になった。

今回、改めて考え"宇宙大の思考"でも潜んでいるのだろうかと変なこじつけをしてみた。

f:id:peregrino:20170309175111j:image

花の命はみじかくて

 かつて江戸・東京の染色産業の中心であった落合・中井地域で先月末「染の小道」と題するイベントがもようされた。中井駅周辺の店舗の入口には様々なデザインの暖簾が掲げられ、裏道には"和"に関連する小物を扱う出店が並ぶ。産業を支えた妙正寺川には反物がたなびき、水面がうっすらと色付いている。着物姿の男女が古い町並みのラビリンスを行き交う。世情を反映してか多くの外国人の姿が見受けられ、それも着物姿が目につく。

決して華やかなイベントではないが、まち全体の空気が"和"で染め上げられていた。

近傍の「林芙美子記念館」に足を延ばす。著作に「私の生涯で家を建てるなぞとは考えてもみなかったのだけれども、(中略)生涯を住む家となれば、何よりも、愛らしい 美しい家をつくりたいと思った」と述べているが、匠に次々と注文を出し作り上げたとのこと。裏話を含めたボランティアガイドの説明は興味深いものであったが、私にとってはコース外の高台からの眺めが最も印象に残っている。

因みに昭和16年に竣工し終の棲家(昭和26年沒)となったそうだが、現代でも通用するモダンさを感じさせる住宅である。

f:id:peregrino:20170302102318j:image

 

君の名は

 先日発表されたサラリーマン川柳100選で「 久しぶり!  聞くに聞けない  君の名は」が目にとまった。ご存知、大ヒットのアニメと高齢化社会を絡ませた他人事とは思えない句である。高齢者にとっては"君の名は"には別の思いもあるが、当時の面影も無い有楽町はバーチャルな"我が聖地"。

ところで私にとっての"君の名は"の舞台はポルトガルでの岩の家で知られたモンサントに向かうバスの乗り換えのまち。バス停の一角に所謂イケメンの男が立っていた。周りの地元の人が私の首に下げたカメラを指差し彼を写せと囃し立てる。話している単語を繋ぎ合わせると「彼はポルトガルのサッカーリーグのスター選手」と言っているらしい。本人の同意を得てカメラを向けるとポーズをとる。いかにもスターといった身構え。乗り換えの慌ただしさもあり名前の確認は出来なかった。翌日、街中で出会った人に写真を見せて何者かと聞いたが、残念ながら知る人は一人もいなかった。今でも写真を見る度に気になり、声には出さないが君の名はと問いかける。ポルトガルのサッカーリーグは一部二部合わせて38チームある。今にして思えば田舎まちの出来事であったので、"おらがまちのスーパースター"であったのかも知れない。

f:id:peregrino:20170224180523j:image