ダンス ダンス ダンス 浅草&ラテン編

 「谷中五重塔」の話を聞いた帰りに浅草をぶらつく。ここも銀座同様インバウンドの外国人が溢れかえっている。商店街の一角のホテルの前に人だかりができ、そこから軽快な音楽が聞こえてくる。近づくとお祭りではないのに路上で着物姿の男女がダンスにふけっている。

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聞いてみると、毎月サルサを踊るイベントを開いており、飲み物付き千円で誰でも参加できるらしい。浅草と言えばサンバであるが、最近はサルサまで押し寄せてきているのか。着物姿で腰を振る姿を見ていると妙な感覚に襲われる。

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外国人の観光客も参加しており、流石下町の日本人に比べその動きは様になっている。

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7月のパリは日が長い。西部の16区と7区で朝からアール・ヌーボーアール・デコを満喫した後、日没まで充分に時間があるので、3区マレ地区の宿まで地図を片手にブラブラと歩くことにした。途中、下町らしき街角の路上で数組の男女がダンスにふけっているのに出会った。周りを見回すと一軒のカフェの中でバンドが演奏中で、通行中の人が音楽に合わせて踊り始めたようだ。

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店の中では客の子供も踊っている。

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スペインの聖地サンチャゴ・コンポステラの街角では、アフリカから来たのであろう数人のストリートミュージシャンの演奏にあわせて女の子が路上で踊っていた。"三つ子の魂百までも"?流石フラメンコの国と思った事を思い出す。

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私の好きな写真なので何度も使っている。

 

スペインはパエリア発祥の地バレンシアでは、販促の一端であるがスーパーマーケットの売り場でダンス。

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ポルトガルリスボンでは、リスボン守護聖人アントニオにちなむ聖アントニオ祭に遭遇した。大震災以前の面影を残すアルファマ地区の狭い広場や路地では人混みでごった返す中でダンス ダンス ダンス。

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日本でも、突然街中で踊り出しても異様でない時代がやって来たようだ。

 

その後、電動カート?に乗った一群に出会った。嘗て見られたマリオ姿ではない。街の風景としては面白さがあるが、目の当たりにしてみると危なっかしさが気になる。

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と、無目的で街を歩いていると思いがけないものに出会える。

 

 茶道裏千家に関係するビジネスコンサルタントの山崎武也さんが著書「持たないぜいたく」(三笠書房)で

「写真などに撮っておいて、後から見るというのは、直接に見て体験することではなくなる。懐かしく思うときには、大いに役に立つかもしれないが、茶道のその場にいて何かを感じとる機会を逸している。」

   と、述べられている。私は現地で感じた事を、後日誰かに語りかけたいと思ったときの為に写真を撮っている。

 

私のスモールジャーニー

8日、両国の江戸東京博物館で行われた探検家"関野吉晴"さんのトークイベントに出かけた。

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関野さんといえば,人類がその発祥の地アフリカから、世界各地へと拡散していった経路を、人力にこだわり逆ルートでたどる旅「グレートジャーニー」で知られており、てっきりその話が聞けると思っていた。氏によると、その後も世界各地へ旅を続けるうち50代に入り、海外はともかく自分の足元を知っていないとの思いに至る。自分の生地墨田区木下川(きねがわ)が被差別の地であったことを知り、今では少なくなった皮鞣しの工場に飛び込み、海外からの出稼ぎ労働者と共に働いたそうだ。主催者の関係もありトークはこの経緯が主たるものであった。ちなみに、もう一人の出演者は一週間前まで紛争の地シリアで活動し、直近の現地情報を持ち帰られたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんであった。期待に応えるトーク内容ではなかったが、思いかけずも良い機会に巡り会えた。

体力・気力の減退を感じ、今年はとりあえず国内でおとなしく過ごしているが、実は私も予てから足元をもっと知りたいとの願いから、ジャンルを問わず闇雲に様々なイベントに顔を出し、その途上で思いのままの街歩きをしている。受動的な活動ではあるが、上半身(頭脳)には自信の無い私には、多少自信のある下半身(フットワーク)に頼る日々を過ごしている。

 

今月に入って、

前々回紹介した哲学者井上円了没後100年の哲学堂祭に自転車で中野区の哲学堂に出かけた。私にとっての哲学は「疑問を感じたら取り敢えず考える事」と理解した。

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インバウンドの取り込みに京都との比較をされながら苦悩している奈良の対応策を語るシンポジウムで日本橋奈良まほろば館(奈良のアンテナショップ)へ。永年奈良を拠点に活動する英国人クリエイティブディレクター安土龍さんも参加。今では3人と奈良の絶滅危惧種の舞妓の菊愛さんもお出まし。

 

今話題の「誠品生活日本橋」へ。台湾の書店が2006年から売り上げの低迷する書店の生き残り策として、海外を含めて展開している複合セレクトショップ「誠品生活」を、横浜の有隣堂と組んで日本橋に出店した。書店をキーにしながらも、モノ,コトを導入し本の消費に繋げるとし、台灣のお茶屋やガラス細工の工房まである。蔦屋もモデルにしている。

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地元の練馬区立美術館でアメリカの絵本作家エドワード・ゴーリーの展示会のギャラリートーク。この作家を初めて知ったが、あの"キャッツ"も描いている。緻密なペン画の凄さを味わった。メジャーな美術館ではないが、結構話題性のある企画を展開しており、しばしばペダルを漕ぎながら出向いている。

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表に出ると金属製のオブジェに美術館の建物。今度こそとカメラに収めたが、残念な結果に終わった。

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神田の湯島聖堂で行われたシンポジウム「時層する東京と社寺会堂」に出かけた。嘗て、賑わいを呈していた駿河台/湯島台/本郷台を宗教は異なるものの神田明神/湯島天神/上野/ニコライ堂/湯島聖堂等を緑の回廊で繋ぐことにより賑わいを取り戻そうという研究会である。東大/東京理科大といったアカデミー中心の為かやや難解で、地元との結びつきに疑問を感じた。当日配布されたパリ中心市街地の規制図は詳細は分からないが、こんなものが必要となんとなく理解した。

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あの司馬遼太郎の「街道をゆく」の写真展に併せて、その撮影者の小林修氏と司馬さんの担当者であった村井重俊氏のトークショーがあり六本木の東京ミッドタウンへ。週刊朝日の小さなモノクロ写真を大判のカラーで見ると圧倒的な迫力で迫ってくる。司馬さんのファンであった私にとって、知ることのなかった氏の実像や裏話も披露され楽しい時間を過ごす事が出来た。

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 台東区生涯学習センターに向かう。「江戸から学ぶ」連続講座で、今回は「江戸の音を観る 谷中編」と題し、幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった「谷中五重塔」の来歴を寛永寺の方からお聴きした後、元NHKアナウンサーの平野啓子さんご自身の脚本による「五重塔」の語りに耳を傾けた。

 

築地の朝日新聞社で最近「ナポレオン 」三部作を出版された歴史小説佐藤賢一さんと、京都生まれの「京都ぎらい」(新書大賞受賞)の井上章一さんの対談を聞く機会を得た。佐藤さんは正面から、井上さんは斜めからナポレオンを語られ、佐藤さんの著書を読みたくなる衝動に駆られた。因みに、佐藤さんの名は本屋で見かけたくらいであり、私は井上さんの話を聞きたくてでかけた。

 

内幸町はイイノホールでの指定都市市長会シンポジューム「文化芸術立国の実現に向けた指定都市の役割」に参加した。横浜市京都市、札幌市の市長による文化政策のPRの場であった。プロデューサーの残間里江子さんは、基調講演で当日の大半のシニアの出席者に向けて、「シニアは前線で活躍できないかもしれないが、積極的に出かけそこで感じて下さい。そして、それを語りかけてください」といったような事を述べられていた。

 

銀座のギャラリーgggでグラフィック作品に取り囲まれてパール・アレキサンダーさんのコントラバス生演奏に身を浸すことができた。

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と、延々と近況を述べてきたが、こんな調子で持て余す時間を過ごしている。書きながらワイドショーを脇見していて一句浮かんできた。

           さくらより  サクラ(偽客)が目当ての  桜の会            四季

才能ナシ!

 

 

 

 

 

 

キャンパスのギャラリー 海外編

スペインのサラマンカ大学は中世に創立され、ヨーロッパで三番目、スペインで現存最古の大学で ある。旧市街を歩いていると俯き加減で足早に歩く人に出会う。東京の本郷辺りで出会う空気感で、スペインの他の都市では見かけない風景である。建物の壁面に何か書いてある。universita...の文字から大学施設と思える。街そのものがキャンパスである。

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街中の建物の壁面に何か書かれているが、universita...の文字から大学関係施設らしい。街そのものがキャンパスである。

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一番の見所は15Cに建てられた講義堂「エクスエラス マヨーレス」。世界遺産であるが日本に見られる人垣は無いので心ゆくまで見つめていられる。スペインルネサンスプラテレスコ様式イスラムの影響も見られる。「まちのシンボルのカエルを見つけると幸せになるよ」に誘われて目を左右上下に泳がす。右側の十字状の所の頭骸骨の上に鎮座していた。幸せは別として、無事成田に降り立つことが出来た。

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中に入ると古色蒼然とした講義室。知識の宝庫である図書館。そして、プラネタリュームまで

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 ポルトガルの大学都市コインブラポルトガル最古の大学で中庭を囲んで校舎が並ぶ。

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何と言っても「ジェアニア図書館」は圧巻である。中には入れないし撮影は禁止。でも・・・・・

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元宮廷の広間は「帽子の間」と名付けて学位授与など儀式の間となっている。

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一時期世界をスペインと分け合った国を実感した。残念ながら名物の黒マント姿の学生には出会わなかった。

 

ポルトガル南東部のエヴォラ大学には天正遣欧少年使節が宿泊したそうで、コインブラ大学に次ぐ歴史を持つ。教室入り口のサインはなんとなくポルトガルを感じさせる。

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内部の壁面はポルトガルでは欠かせないアズレージョで装飾されていた。

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そして、コインブラでは果たせなかった黒マントとの出会いがここで果たせた。

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パリはセーヌ川の左岸はカルチェラタンソルボンヌ大学が静かに佇んでいた。

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ここも街そのものがキャンパスである。壁に貼られたビラは何を訴えているのかは分からないが、何かを訴えている気持ちは伝わってきた。

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パンテオン前の広場の巨大な顔は何を見つめているのだろうか。

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ところで、先週紹介した慶大旧図書館の設計者である曽禰中條建築設計事務所の曽禰達蔵氏

について、東大名誉教授の建築家藤森照信さんのコメントに出会った。

事務所を開いてからは多くの作品を手がけているが、中でも重要なのは明治25年慶應義塾大学図書館で、ゴシックをよくした曽禰の力量を見て取ることができる。

ゴシック様式は中世キリスト教会とともに隆盛したことから、その後も長く今日までキリスト教会の定番と化している中で、図書館のような普通の施設でこれだけ充実したゴシック様式は日本では珍しい。

尖塔アーチはじめディテールまでゴシックで統一しているが、ただし多くの教会のように中世のゴシック様式の素直な継承ではなく、赤煉瓦の中に石を混ぜるなどして華やかさを演出している。

             「近代建築そもそも講義」藤森照信+大和ハウス工業総合技術研究所/新潮社

キャンパスのギャラリー

先月初旬、慶応義塾三田キャンパスを訪れた。これまで公開講座、講演会、展示会等機会を見つけては多くの大学を訪れている。本来の目的以外に、歴史の古い大学が多く建物を含めた独特の雰囲気が楽しめるし、学生達に混じって歩き回っていると気分が若返る。今回は"建築プロムナード"と題した一般の人に開放したキャンパス内の建築特別公開のイベント参加である。同学アートセンターの学芸員によるガイドツアーで通常公開されていない施設も公開された。

事前説明の後、正門として位置付けられているガラス張りの新しく立派な南校舎のピロティを潜り、創立50年を記念して1912年竣工の重要文化財「図書館旧館」(図中B)に向かう。

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英国のクイーン・アン様式でゴシック様式の一種。前に立つとロンドンの街角を感じさせる。関東大震災をくぐり抜け100年以上の年月を経た建物であるが、改修工事を終えたばかりとあって、外壁の赤褐色の煉瓦が眩しいばかりである。

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エントランスを入ると正面の階段踊り場に鎧姿の武将とペンを手にした女神の図柄のステンドグラス。ラテン語で「ペンは剣よりも強し」と記されている。現在は「塾史展示室」として整備中で見学はここまで。

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外に出ると壁面上部にお馴染みのペンマークが目に入る。1885年頃"洋服派"学生が教科書にあった「ペンは剣に勝る力あり」をヒントに考案したものが後日公式に認められたとのことである。

斜め向かいの管理部門の入る1926年竣工「塾管局」(図中D)と1937年竣工「第一校舎」(図中I)は竣工時が異なるが、共に図書館旧館と同じ設計事務所であることもありデザイン的調和への配慮が窺われた。

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白壁で仕上げられた第一校舎エントランスホールの吹き抜け階段はガイドさんのお勧め。

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正門まで戻ると広場の両脇にプリッカー賞槇文彦さんの 1980年代の作品「図書館」(図中E)と「大学院校舎」(図中H)。大正昭和の建物が違和感なく建ち並んでいる。。 

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大学院校舎 に入り右に目をやると階段が目に入る。階段は途中の踊り場から更に上に続いている。しかし、よく見るとなんと壁の描かれた騙し絵?である。槇さんのいたずらか。ガイドさんは全く説明しない。興味がないのか、それとも気がついていないのか。

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 高台に海鼠壁の建物がある。1875年に開館した日本初の演説会堂で、福沢諭吉がここで聴衆を前に演説をしていたそうで、重要文化財に指定されているそうだ。

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彫刻家イサムノグチの彫刻も散見される。そして、南館(図中L)の屋上庭園には東宮御所の設計者谷口吉郎さんがイサムノグチさんの協力を得た談話室「ノグチルーム」が「旧ノグチルーム」として保存されている。

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建築にあまり関心をお持ちでない方には申し訳ないが、非常に充実した時間を過ごすことができた為、長々とした紹介となった。

帰路、脇道を歩いていると延々と続く白い土塀に出会った。表札には「三井倶楽部」とあった。

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先日、箱根駅伝で耳にする東洋大学の創設者で哲学者井上円了の没後100周年記念「円了デー」講演会

に参加すべく同大白山キャンパスに出向いた。限られた敷地に新しい建物が建ち並ぶ 。

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正門となっている8号館のガラス壁面に周囲の街並みが映り込んでいた。

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路面のギャラリーその2

聖地 サンチアゴ・デ・コンポステラは北緯40度で日本で言えば札幌あたりであるが、6月と言えどその日差しは強烈である。

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 頭上の茂みから漏れくる光を日本では木漏れ日と表現し、熊野古道に描かれた陰影は墨絵を思わせる。

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しかし、スペインの日差しは強烈で、茂みの間を突き抜けてくる感じで、地表の印される陰影は単色でありながらピカソ、ダリ、ミロの作品から受けるインパクトに通じるものを感じる。

そして、パリは北緯49度で更に高緯度の為なのか日本での印象に近いものがある。ブローニュの森やパレ・ロワイヤルを歩いていると印象派の世界に浸ることができる。

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と、生半可な知識で勝手な思い出に耽る。

マドリードの街を歩いていて面白いものに出会った。木陰の上に描かれた金色の文字。直射と反射のコラボである。

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フランス人の道のアストルガでは、2000年前ローマ人が描いたモザイク画に太陽が何か上書きをしている。

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 マドリードの真昼の日影と北海沿岸の早朝の日影。似通ったモチーフでありながら面白い対象を見せている。

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マドリードのマヨール広場に立つフェリペ三世騎馬像は実物の数倍の影。王の威厳をより強く訴えてくる。

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トレドの街の入り口に立つドン・キホーテの作者セルバンテスは自分の影に向かって何か語りかけているようであった。果たして何を・・・・

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そして、太陽の助けを借りて描いた自画像?

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路面のギャラリーその1

NHKBSプレミアム関口知宏のヨーロッパ鉄道旅」の再放送にチャンネルを合わせる。鉄道と徒歩と移動手段は異なるものの、私の旅のスタイルに似ているからだ。今週は懐かしいポルトガルが舞台。海岸線に沿って街並みが展開し、その前面に広大な砂浜が広がるリスボンの北部の漁師町ナザレ。

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早朝、静まり返った遊歩道を散策していて砂浜を覆う日影についつい立ち止まってしまう。まるで砂浜に描かれた束の間の巨大絵画である。作者と目される朝日の方向に眼をやった。そして気がついた。なんと砂浜に描かれているのはナザレの街並みである。昼間に眺めていた景観は一気に吹っ飛び、この景観が私にとっての"ナザレ"としてインプットされた。

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遊歩道の前方に眼を移すと、海岸に向かって伸びる路地とその間に建つ建物の縞模様の連続がこの街の構造をイメージさせる。

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砂浜に踏み入れ水際に向かって進むと、朝日でありながら強い光に浮かび上がった砂の起伏を横切って伸びる三又の刻印が縦横に伸びている。

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周りを見渡すと名も知らぬ海鳥の群が飛び交っている。そうか、これは朝日と鳥達のコラボ作品であったのか。

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長時間の歩行で疲れたり、単調な景観が続く時ついつい視線が下がる。そのせいか多くの路面の印象、特段ラテンの強い陽射しが生み出す陰影が強い印象となって刻み込まれる。

巨大な水道橋で知られるマドリード北部のセゴビア。その水道橋、そばに立つと物理的な巨大さに圧倒される。しかし、私はその足元に延々と続く明暗の連続は、その背景となっている数千年の歴史に想いを及ばせた。

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更にマドリード北部の城塞都市アビラ。街を取り囲む長大な城壁ウオーキングコースのゴールでは地上の大きな城門が迎えてくれる。道行く人はその城門を潜って地底の街に戻って行くと、つまらない妄想をしてしまう。

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スペインのアンダルシア地方のロンダには最も古い闘牛場が残されている。強い陽射しが生み出す強烈な陰影。sombra(最も高価な日影席)からは今にもオレー!と声が聞こえてきそうである。

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トレドを南に下ると風車の村コンスエグラ。荒涼とした荒野に佇む風車を眺めていると、どこかでドン・キホーテに出会えるのではないかとの想いに及ぶ。

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続く

まちなかのギャラリー 路面編

テレビを見ているとどのチャンネルに回しても(古い)ラグビーのワールドカップの話題である。その中で、ラグビーを愛する全ての人々の幸せを祈願すべく、丸ビル外溝部に「丸の内ラグビー神社」を建立し、話題を呼んでいるとのトピックスに出会った。京都の下鴨神社境内のラグビーとゆかりの深い「雑太社」の神様をお祀りしていると言う。私の注意を引いたのは由縁や効能では無く、賽銭箱の上に吊るされたラグビーボールを模した金色の鈴であった。

以前、東京都美術館の広場で周囲の建物を映しこんだ球形の金工オブジェに出会い、興味を覚えた事を思い出した。そこで、後日この楕円の表面には周囲の建物がどの様に映り込んでいるのか丸の内に出かけた。

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ゴールポストとバーで構成された鳥居を潜りお参りをした後、頭上のラグビーボールに眼を移したが、その位置のせいもあり地上の様子しか写っていない。麻縄で鈴を動かすと球形の上の方に前面のビルが現れるが、いざ撮影すると上部になんと無くそれらしきものが確認できる程度である。

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周りの人が不審そうな眼で見ているので残念ながら断念した。そして、地上に視線を移した時、舗装面を横切る帯状のガラス面が眼に入った。夜間の照明と思い近づいて見ると、なんとそこにははっきりと周囲の建物の欠片が映り込んでいた。

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そして、さらに先に眼をやると大きなガラス面が眼に入り、そこには周囲の建物の姿が大きく映り込んでいた。

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当初の目的は果たせなかったが、それに代わる収穫があった。

 

もう1つ、市ヶ谷の番町を歩いていた時、先日紹介した錯覚を活用した道路舗装に出会った。狭い幅員の坂道で下り方向でのスピード制御を狙ったもので、路上のペイントがいかにもブロック設置に錯覚させる。

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ところが、振り向いて上り方向に眺めるとそのブロックの高さが異常であり、かえって危険性さえ感じさせる。交通量が少ない為うっかり確認し損ねたが、多分下り一方通行であったと思う。

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