塩の道トレイル

昨年熊野古道を歩いた時、途中の宿で高齢のご夫婦と同宿した。日本全国を車で出かけ、途中の駅近傍の駐車場に車を置き数日間歩き、元の駐車場に電車で引き返しながら旅を続けているとのこと。夕食の時「今迄で一番良かったところは」と尋ねたところ「塩の道」との答えが返ってきた。その時その名前に生活感を感じ何となく次はここかなと思った。

"塩の道"は嘗て塩を海辺から内陸に運ぶ生活上重要な道で全国各地に存在したが、一言で「塩の道」と言えば、昨年末大火に見舞われた糸魚川松本市を結ぶJR糸魚川線沿いの道である。懐かしいフォッサマグナをたどり、北アルプスの大パノラマを楽しめるという申し分のないトレイルである。安曇野では採れたての山葵を味わうこともできる。今回の選択に間違いないと思う。

19日 (金)から24日の六日間で約120kmと比較的楽な歩きであるが、年齢を考えゆったりと楽しんでくるつもりである。

私なりのアンテナに引っかかった事柄を、例により写真とともに毎日書き留めて行くつもりなので、興味のある方はバーチャルトレイルでご一緒下さい。

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ノラやクルや

            Inquiring about a Missing Cat

    Have you not seen a stray cat?

    Are you not keeping a lost cat?

It is a tom-cat,one and half year old, was around 8 to 9 pounds.   中略

If "Nora " returns home safely, 3,000 Yen will be offered to the person who gave the information.

It will be greatly appreciated.           「ノラやノラや」 内田百閒 (「ノラや」中公文庫所収)

飼い猫ノラが行方不明になり、悲嘆に暮れて新聞に折り込み広告を入れたが効果なく、出入りの植木屋の助言を入れてさらに外国人向けの折り込みを考えた。特に猫が好きというわけではなかったが野良猫の世話をする内に可愛さに絆され、昭和31年から歿年(46年)の前年まで失踪の顛末と後に住み着いたクルについて文章を発表し続けた。百間先生はまさに"猫派"の鏡である。

南蛮を放浪中も方々で猫に出会ったが、家猫は殆ど見られず野良猫を地域の人たちが面倒を見ている。従って人懐っこいが毛並みは余り綺麗ではない。

ポルトガルの南端の港町で失踪した猫のお尋ねのビラを見かけた。写真付きのためもあり極めてシンプルなものだったが、ポルトガル語版と英語版があった。この街は紀元前から大西洋・地中海海上交易で栄え、今では国際的なリゾート地となっている。

ヒョッとしてこの迷い猫の遠い先祖は大航海時代に船に乗って世界へと羽ばたいていたのかもしれないと妄想する。

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ポルトガル/ Lagos/20130608

 

 

いることの幸せ

何かをすることによって幸福感を得ようとする。しかし、幸福感が得られるのは、それだけではないと思うのです。何かをするのではなく、いるだけで幸せを感じられる場合もあるでしょう。「することの幸せ」でなく、「いることの幸せ」です。            「コブのない駱駝 」 きたやまおさむ  岩波書店

 私のロングトレイルは2012年の四国遍路で始まった。その目的は、よく言われる"自分探し"の旅ではなく、3年にわたるひざ痛のリハビリ結果の検証と頑張った結果の納経帳の朱印収集であった。幸い完歩ができ、高野山を含む89の朱印が集まった。しかし、回数を重ねた遍路から朱印の重ね押しで真っ赤になった納経帳を見せられるにつけ複雑な気分に陥った。

その後何かでサンチャゴ巡礼を知り、色々と情報を集め無謀にもその秋に一人でスペインに旅立った。その目的は ここでも精神的なものではなく、趣味のウオーキングを手段とした自分流の観光旅行であった。最初のうちはユックリと歩きながら見る田舎の風景やマイペースで味わうキリスト教文化に感動しきりであったが、日を重ねるにつけ新鮮さが薄れてきた。その反対に巡礼者や地元の人々との日常的な触れ合いに心地よさを感じるようになった。国籍、言語、宗教、文化等々異にしながらも共に時間を過ごすだけで不十分ながらもコミュニケーションが図れる喜びである。これは「なにかをして」得られたというより、「そこにいる」事により得られるものであると感じた。

昨今の世情を思うたびに身体のどこかで誘惑の虫が蠢きだす。

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フランス人の道  Carrion de los Condes 20120914

 

roho/赤

陽気につられ最近外出の機会が増え、異なった形で美術品に出会う機会を持った。

一つは、東京都美術館の「バベルの塔」展。ブリューゲルの"バベルの塔"を目玉作品とした展示会であったが、意外にも大きさは約60×75cmと小さい作品であった。しかしその中に緻密に描きこまれた建設中の様子や建設中にもかかわらず居住者の様子に改めて気づかされ、この作品を観る目が変わった。藝大との共同で制作された拡大レプリカや動画等多様なテクニックでハッキリと見て取れる。因みに絵の中には1,400人の人物が描かれているが、身長170cmとすると建物は高さ510mと推測されるとのことである。

二つ目は、練馬区立美術館の「19世紀パリ時間旅行」。フランス文学鹿島茂氏のコレクションを中心にオスマン男爵による「パリ大改造」前後のパリを絵画、版画、地図、図書等で紹介している。当日は鹿島氏によるギャラリートークがあり、作品の説明は当然として貴重なコレクションの収集にまつわる苦労話が興味深かった。観光旅行から離れて別の視点でパリの街を味わうべく、久しぶりにパリを訪れたくなった。

三番目は、スペイン大使館で催された美術史家池田健二氏のセミナー「サンチャゴ巡礼ー二つの道のロマネスク」。私も経験した「フランス人の道」「北の道」に点在するロマネスク様式の数々の教会の味わい方を紹介され、再会の懐かしさと共に知識不足の為見過ごしたものを知るにつけ、改めて歩きたくなる強い誘惑に駆られた。大使館地階のホールに向かう廊下には、シンプルであるがスペインをイメージさせる数枚の銅版画が展示されていた。赤い壁に掲げられた赤い正方形に丸を描いた一作品は、 あの熱い空気を思い出させた。

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マイルストーン

旅行することの意義は、一人一人の人間が、そういった「他人の目」から全く自由な立場で、離れた土地の現場に直接ふれ、自らの五感で、そこからおのがじしの「一次情報」を採取する点にある。また現地の人びとと直接交流することにある。頭でわかることと、躰でわかることとは、全く別物である。自在に旅することの有難さ(あるいは旅することの有難さ)は、じつにこの点に関わっている。

本棚に永年眠っていた「比較旅行学」(林周二/中公新書/1989)のまえがきの一文である。

昨年末、大河ドラマで全国区となった九度山から町石道を歩き熊野古道小辺路」に入った。町石道は女人禁制の高野山で修行中の弘法大師が母に逢うべく慈尊院へと通った道である。道筋には今でも身の丈よりも大きな町石という里程標が残されている。

ヨーロッパにもかつてローマ帝国の軍勢が往来した道筋にマイルストーンなる里程標が残されている。しかし多くの人は物理的な里程標というよりも、「画期的な出来事」「スケジュール上での重要な節目」として認識している。

サンチャゴ巡礼の「銀の道」で"もの"としてのマイルストーンに出会った時の感動は、事前情報の確認ではなく、新たな発見のそれであった。その大きさもさることながら、2000年に亘る風雪?に耐えてきたその姿、そしてその表面に確認できる?かつて世界史で出会った人名や事象の数々。

マイルストーンは三次元にとどまらず、四次元の里程標であったのだ。この発見は私の旅の大事な収穫であった。

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紫雲木

 今年の桜は花散らしの雨にも負けず、今だに我々を楽しませてくれている。今朝も石神井川沿いの我がウオーキングコースを頭上の花々や川面の花筏を見やりながら歩いた。

桜と言えば南米原産のキリモドキ属ノウゼンカズラ科のジャカランダ(紫雲木)は南半球の桜と言われ 、オーストラリアでは春を告げる花と言われている。正確には日本ではの但し書きが必要かもしれない。その和名が表すように花は淡い青紫色で、その様は雲のたなびきに似て、その風情は色違いの桜を思わせる。

日本にも持ち込まれており、熱海市では歩道や公園に植えられ,「ジャカランダ遊歩道」と名付けられているそうだ。しかし世界三大花木と言われている割には殆ど知られていないのではないか。

私もポルトガル放浪中に出会って初めて知った次第である。かの大航海時代にブラジルから持ち込まれたそうで、今ではポルトガル中南部で街路樹として多く見られる。6月初旬で気温も高く、原色が多用されているまちの景観の中では、少しばかりアンバランスさを感じさせなかったでもないが、異国を長旅中の日本人である私にとっては、その出会いはなんとない懐かしさと共に暫しの安らぎをもたらしてくれた。

ポルトガルでは日本ではあまり馴染みのない花々に出会ったが、その中でもジャカランダは最も印象に残っている花である。 

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シエスタ それは自然の要求

 暑い!

壮烈にアツイ!シエラ・ネバダ山脈にはまだ雪はあるものの。

それは暑いというよりも、むしろ熱いのであって、アチチの方の熱さである。直射日光の下では約四〇度近く、日蔭では二七度ほどである。

しかしそれも大体午後四時から八時頃までであって、午前中及び午後九時以降の日没後は風は涼しく頗る過ごしやすい。だから、どうにも耐えがたい時刻は、どうしても昼寝(シエスタ)をせざるをえない。

                                                        グラナダの夏  堀田善衛(エッセイ集「スペインの沈黙」1979)

氏がグラナダ滞在の6月頃に書かれたエッセイの一部である。私は2015年6月4日、「銀の道」のアンダルシア州北隣のアストレマドゥーラ州のメリダ(ローマ帝国都市の世界遺産)の先をイタリア人のルチアーノと歩いていた。二人で歩いていたにも関わらず熱さのせいか,コースを誤り1時間以上炎天下を放浪した。やっとの事でコースに戻り途中のBarに辿りついた。手元の温度計で外気温を測ると午後1時で40度を超えていた。体力よりも気力が萎えて、全員一致で残りの1キロをタクシーで向かうことに決した。

氏の言う涼しさは日陰に入らないと享受できない。しかし原野?を歩いている時には滅多に木蔭には巡り会えない。やっと出会えても丸めた身体が納まるくらい。その中に倒れこみ涼風に身を任せてしばらく微睡むが、瞬く間に予定した休憩の時間が過ぎる。先に進まねばと強烈な日差しの中へ踏み出す。

われわれは風が吹くと涼しいという固定観念がある。そうはいかないのだ。それから、室外がかくまでに熱くなると、外へ出るのではなくて、外へ入るという感じになる。   「  スペイン430日  」堀田善衛

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