出会った橋ーフランス人の道–1

2012年3月30日に四国88番札所大窪寺で結願。そして、その8月31日西仏を隔てるピレネーの山道を一人歩を進めていた。

帰京後の4月6日新宿紀伊国屋書店で「聖地サンティヤゴ巡礼」を目にし即購入した。その後、もっと情報をとガイドブック「Camino de Santiago」をアマゾンでネット購入する。

4月26日、サンチャゴ巡礼関連資料を入手すべく駐日スペイン大使館に出向く。

5月12日/5月19日/6月9日/6月16日流通経済大学NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会主催のサンティアゴ巡礼の連続セミナーに参加する。

6月5日、新宿武蔵野館で米西合作のサンティアゴ巡礼がテーマの映画「星の旅人達」を観る。

6月23日,経験者の話を聞きたいと、上記NPO法人実施のカミーノ相談会に参加。

バカンスの明ける9月決行を決断し、具体的な行動計画をたて準備を開始する。

7月2日,パスポート取得申請。

その後、HISで格安航空券を、パリ/モンパルナス〜サン・ジャン・ピエ・ド・ポールのチケットをSNCFで、パリ深夜到着に備えBooking.comでホテルをネット予約。巡礼後のご褒美グラナダ訪問のアルハンブラ宮殿の入場とホテル予約。NPO法人からクレデンシャル(巡礼手帳)を取得。

四国遍路でピリオドと思っていたが、1週間後に偶然目にした一冊の本が残り火を燃え上がらせた。

 

  「フランス人の道」のスタート地サン・ジャンは標高170mのフランスの美しい村。8月30日,ナポレオンがスペイン遠征で通った道を1,300m登り標高1,450mのLeoeder峠に到着。早速暴風雨のお出迎えで避難小屋に退避。そこから500m下って標高950mのRoncesvallesに辿り着く。

予想通り腰にきたが、今後の出会いへの期待感が先行きの不安感を上回った。

2日目の9月1日、バスク語で「橋の村」を意味するZubiriに到着した。村の入口のArga川に架かるRabia橋を渡り村に入る。「狂犬病の橋」とも呼ばれる中世ゴシック様式の橋である。それなりのいわれがあるらしいが、残念ながら体調が順応していない私には、単に道路の続きにしか思えなかった。標高数百メートルの微高地を上下しながら乾燥した空気の中を進むこのルートには大きな川は見当たらず、どうも橋は主役の座にはつけないようである。

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ところが、2日後に主役級の橋に出会った。「王妃の橋」で町の名もそのままのPuente・la・Reina王妃の橋である。

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町の出口のArga川に架かる橋で、その名の通りその姿は優雅さを漂わせている。中世の佇まいを背景に一人静かに眺めていると、その時代の世界に入り込んで行けそうである。11世紀にこの地を治めるナバーラ王の妃が巡礼者のために架けたと言われている。当時、橋は少なく川を越えることは危険を伴っていたこともあり、今日に至るまで「王妃の橋」として語り伝えられてきたのであろう。

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続く

 

僕たちは絶えず過去の記憶を編集しながら生きています。新しい経験を加えるごとに、僕たちはこれまで意識の表層にあったいくつかの出来事の記憶をしまい込み、逆にこれまで思い出したことさえない過去のエピソードを引っ張り出してくる。

僕たちの記憶というのは、巨大な倉庫に膨大な作品群をしまい込んでいる美術館のようなものじゃないかと思います。

(中略)

 僕たちが誰かに向かって「自分についての物語」を語るというのは、いわば自分がキューレーターになって「自分の個展」を開くようなものではないかと思います。

      「街場の親子論」 内田樹×内田まん/中公新書ラクレ

 

 ウオーキングコースで出会う旧内田家住宅のケヤキは、今や目一杯に葉を茂らせています。

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近づくと暑苦しいまでの緑です。でも、強い生命力を感じさせてくれます。

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冬には、葉を全て落とし小枝だけの丸裸でした。この姿も又違った意味での生命力を感じさせます。

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