フランス版「通り抜けできます」

テレビで南フランスの都市Nimesニームを紹介していた。古代ローマ時代の街で嘗ては織物の街として栄えたそうだ。因みに、あのジーンズのデニム発祥の地だそうだ。その名はserge de Nimesニームの綾織りから来ているそうだ。

そう言えばフランス第二の都市で"美食の街"として知られるLyonリヨンは絹織物の街でもある。昨年、"Le Puyの道" の出発地に向かう途中TGVを途中下車して立ち寄った。観光客はソーヌ川沿いの旧市街で美食を味わう事を目的とするが、私は港湾地区の再開発面白いとの情報が動機である。

観光案内所で偶然旧市街にも"トラブール"と言う面白いものがあると聞いた。街区内の建物を貫ぬく所謂屋内路地?である。

嘗てフランス内陸部では河川や運河が主要なインフラであり、リヨンもソーヌ川、ローヌ川によって絹織業が栄えた。河川の港と織物の作業場を結ぶ運搬路としてトラブールは造られた。

f:id:peregrino:20190705151056j:image

観光ツアーが有るらしい

街路を横断する事によりショートカット出来るし、屋内の為雨に濡れない。旧市街地に入ったがどこが入り口か分からない。やっと其れらしき標識を見つけたが何が書いてあるか理解できない。試しに横の緑色のドアを押してみた。

f:id:peregrino:20190705151655j:image

ドアが空き前方に通路が延びている。多少不安があったが前へと進む。

f:id:peregrino:20190705151753j:image

途中、上部が開けた小広場がある。明かり取りなのか換気口なのか。

f:id:peregrino:20190705151847j:image

あちこちに扉があり、現在も住宅等のアプローチ路として使われているようである。

f:id:peregrino:20190705151813j:image

そして、無事反対側の街路に出た。なんと言うこともない寄り道であったが、嘗て職人たちが原料の糸や製品の織物を担いで行き交っていた風景を思い浮かべると結構面白い小旅行であった。

 

京都先斗町や東京の銀座にも屋外であるが面白そうな路地が残っている。何故このような路地ができ、どのような人が往来していたのかを想いを寄せながら立ち寄ってみるのも街歩きの一興である。

 

リヨン訪問については改めて 述べてみたい。

f:id:peregrino:20190705154337j:image

こんなオフィスビルで仕事をしてみたいと思いませんか

 

一年金受給者 日常の文化的生活 part2

毎月第三水曜日には主要な都営のミュージアムに高齢者は無料入場できる。因みに欧米では美術館と博物館を総称してミュージアムと呼んでいる。別々に呼称する日本との認識の違いはーーチコちゃんに聞いてみようか。

 

 その日に合わせて地下鉄とバスを利用して恵比寿ガーデンプレイス東京都写真美術館に向かう。電車や歩行での移動と異なった視点やスピード感で街を眺められるバスを時々利用する。

毎年楽しみにしている"世界報道写真展"を開催中である。日頃の報道では見られない鮮烈な映像が大きなカラー写真で展開され、世の中の動きに改めて立ち会うことができる。

 f:id:peregrino:20190620085329j:image

パンフレットの写真は大賞受賞の作品である。メキシコ国境の一場面である。多くを語らなくても伝えたい事が伝わってくる。

別の階では以前紹介した「楽園へのあゆみ」のユージン・スミスのフォトエッセイ「カントリー・ドクター」が展示されていた。

f:id:peregrino:20190620085345j:image

プロの写真家の作品には及びもつかないが、撮影するときの心構えみたいなものは少しずつ学んでいるつもりだ。

写真美術館と言えば昨年パリで滞在した宿の向かいにヨーロッパ写真美術館があった。前庭が日本人の作庭家の作品である事に、方々で出会った日本人芸術家の活動を改めて認識したのを思い出す。

f:id:peregrino:20190621083917j:image

裏道を南へ歩き目黒に向かう。次の目的地は東京都庭園美術館である。 "キスリング展  エコール・ド・パリの夢"を開催中。キスリングに就ては特段の関心は無い。残念ながら予想に違わず私の嗜好には合わなかった。しかし、女性には愛好家が多いのかおめかししたシロガネーゼらしきご婦人方が多く見かけられた。

f:id:peregrino:20190620085408j:image

 これまで、この美術館には何度も訪れているが、アール・デコの空気に包まれて過ごせただけでも来館の価値は充分にあった。

f:id:peregrino:20190620094540j:image

帰路、目黒道路脇に小綺麗な公園を見かた。"白金台どんぐり児童公園"とある。児童公園にしてはやけに広い。後で調べると面積は6,000㎡強である。平日の午後5時前であったせいか大人、特に高齢者が多く子供の姿はチラホラである。高齢者向けの健康遊具は目に入るが子供遊具はーーあったあった。 

どう見ても私には大人の公園に思えた。

f:id:peregrino:20190620094623j:image

然るべき作家の作品らしきファニチャーも見かけられる。流石港区!と感心すること頻りであった。決して港区役所に何かを言いたい訳では無く、我が家の近くにもこんな公園が有らまほしと思っただけである。

f:id:peregrino:20190620094643j:image

 

ところで、最近持て余す時間にかまけてジャンルを気にせず本を乱読している。そばに置いて気の向いた時に手に取りたいと思う本は書店で購入するが、本棚の収容力も考慮して大半は図書館のお世話になっている。今ではネットで在庫を確認でき、最寄りの図書館にない本は他の図書館から取り寄せてくれる。更に新着案内も毎日届く。予約しておけば余程の人気のものでない限りそんなに待たなくても手にすることができる。最近読んだ本で年初に亡くなられた橋本治さんの「草薙の剣」を興味深く読んだ。高齢者が自分史を振り返るに当たっての物差しとして格好の読み物と感じた。

f:id:peregrino:20190620094707j:image

内容につき私が説明するよりもと思い、少し長くなるがカバーに書かれた文を記す。

 

これは、橋本治の「平家物語」である。

10代から60代まで、10歳ずつ年の違う男たちを主人公に、彼らの父母、祖父母間でさかのぼるそれぞれの人生を、戦前から平成の終わりへと向かう日本の軌跡のなかに描き出す。敗戦、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブル崩壊、二つの大震災、みな懸命に生きながらも親と子は常に断絶を抱え、夫婦はしばしば離婚する。人生はつねに、思い描いたことの外にある。ーーごくふつうのリアルな日本人の心の100年を描いて、読者をさまざまな記憶で強く揺さぶりながら、戦後日本のゆきついたさきとして現代のありようを根底から問い返す。橋本治、◯生の長編小説。作家デビュー40周年記念作品。

(◯は田の下が幸らしき漢字であるが、不肖私には読めない為辞書を調べたが見つけられなかった)

 

一年金受給者 日常の文化的生活

 この所の年金騒動で私に分かったことは「年金制度は決して破綻しません。年金保険料の納入、税金の投入が継続する限りは。あとは、各自が破綻しない様自助努力に励んでください」ということであった。

 

暮らしのセイフティネットをもはや国家に期待できないという不安を、人びとはつのらせている。セイフティネットは自前で準備するしかない、と。

             濃霧の中の方向感覚   鷲田清一/晶文社  (削がれゆく国家  中日新聞   2015/01/12)

 

昼食後、地下鉄最寄り駅の豊島園駅に向かう。「練馬区にあるのに何故豊島園なの?」と揶揄する向きもあるが、千葉県にありながら東京ディズニーランドと言うfake遊園地と違い、嘗て豊島氏の一族が築城した旧練馬城の跡地に立地したと言う立派な謂れのあるfact遊園地である。

閑話休題本郷三丁目で下車し、春日通りをぶらぶらと国立現近代建築資料館へと向かう。「世界のANDO」の"安藤忠雄 初期建築原図展"が開かれている。 

f:id:peregrino:20190620081150j:image

1970〜80年代の作品の図面と模型が展示されている。空間の発想はもとより、平面図に断面図/アイソメトリック図等を重ね合わせ三次元性を高めた精緻で美しい図面はそのダイナミックさに感覚を揺さぶられる。クライアントも同じ様な感覚に陥っていたに違いない。

f:id:peregrino:20190620083609j:image

光の教会  1989年

来場者には 建築を志す学生が多いが、海外からの若者もチラホラ見かけられる。

f:id:peregrino:20190620083639j:image

久しぶりに安藤作品の原点に触れた様に感じたが、個人住宅や教会が大半である事からも一般の人にも楽しめる展示であると思った。入場は無料である上、希望者にはカラーの立派な図集も提供された。税金で賄われているとは分かっていても、文化庁の太っ腹に感じ入った。

 再び春日通りを歩き上野公園に向かう。不忍池畔に出ると、梅雨間の強い太陽光の下で青々とした蓮の葉が一面に広がり、都心にありながら壮大な景観自然を楽しめる。

f:id:peregrino:20190620083711j:image

お山に登ると今を盛りのインバウンドの雑踏に呑み込まれる。次に向かうは東京国立博物館である。特別展"国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅"は混雑を避け今回はパス。特別企画"奈良大和四寺のみほとけ"と題して奈良北東部の岡寺、室生寺長谷寺安倍文殊院の国宝、重文の展示を行っている本館に直行する。

f:id:peregrino:20190620083738j:image

肩書きが付けば素直に納得する私であるが、京都の仏と何となく趣の異なる奈良の仏に暫く魅入る。手元で時々眺めてみたいと思ったが、例により理由不明の撮影禁止。本館には何度も訪れているが、時々展示替えがあるのでゆったりとした内部をぶらぶらと回遊する。ふと目にとまった異様な仏像。ネパール?のもので阿修羅像の流れの様に見える。説明は兎も角その異様な姿の面白さにパチリ。ガラス越しであったが撮影可であった。

f:id:peregrino:20190620083812j:image

次なるは、国立西洋美術館。企画展"松方コレクション展"を開催中である。此処でも常設展示場の日本・フィンランド外交関係樹立100周年を記念して開催中の"モダン・ウーマンーフィンランド美術を彩った女性芸術家たち"へ。19C後半から20C初頭の女性作家の絵画や版画の展示に向かう。メジャーな芸術品を見続けていると、余り目に触れることのない作品には何か肩の荷を降ろした気持ちになる。 

f:id:peregrino:20190621163243j:image

多々有る名画の中でチョット特有の色使いで描かれた怪しげなボナールの一点が妙に気になった。

f:id:peregrino:20190621072308j:image

コルビジェ設計の世界文化遺産とあって建物自身も鑑賞の対象となっている。エントランスホールの高い天窓の僅かな光が荘厳さを醸し出している。一般的に美術館の展示室の天井は高い。いかし此処ではある意味極端に低い。しかし、それが窮屈さを感じさせず作品をより身近なものに感じさせる。流石である。 

f:id:peregrino:20190620083916j:image

国立西洋美術館と言えば"ロダン" であり、美術館の内外に著名な作品が展示されている。その中でバルザックの像が目に留まった。

f:id:peregrino:20190620083943j:image

昨年、パリでバルザックの家に立ち寄った時にもバルザックの像に出会った。その時は何となく眺めていたがヒョットするとあれもロダンの作品だったかも知れない。説明があればそれに従った評価をしてしまうその程度の鑑賞眼の私である。 

f:id:peregrino:20190620084051j:image

バルザックの家のバルザック

とは言え充実した半日を過ごし家路についた。

 

因みに、一定年齢以上のシニアは東京国立博物館国立西洋美術館の常設展示場は入場無料であり、都営地下鉄、バス はシルバーパス保有(年間20,500円)。気が付けば家を出て帰宅するまで財布の紐を解くことは無かった。

 

 

 

 

サクラダ・ファミリアに思う

 6月7日にサクラダ・ファミリアの建築許可がおりたとのニュースに、如何にもスペインらしいと思ったが、日本でも似たような事はよくあると自省した。現在はバルセロナに合併吸収されているサルマルティーの役所に1885年に建築許可を申請していたが、回答が無いまま現在に至っているとの事である。多くの人がいつ完成するのか気にしていたが、ガウディ没後100年に当たる2026年完成予定と発表された事により明らかになったのであろう。資金不足による中断やガウディの突然の死(1926年/73歳)、そしてスペイン内乱による貴重な図面の焼失や石膏模型の破壊を乗り越え、ついに完成の時を迎える事となった。

f:id:peregrino:20190613182200j:image

ガウディが別れを告げたサクラダ・ファミリア   ガウディのすごい建築/洋泉社MOOK

f:id:peregrino:20190613182213j:image

完成の姿   GUDI   Casa/BRUTUS

f:id:peregrino:20190613181040j:image 

ところで、"完成させずに建設を続けることこそ意義がある"との意見があると聞くが、私も微力ながらその意見に組する。

2012年,サンチャゴ巡礼にチャレンジし、一ヶ月余一人で黙々と歩き聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラに到着した。周りでは目的を成し遂げた喜びでわき返っていたが、私は何かを成し遂げたと言う達成感は無くある種の虚しさを感じていた。巡礼途上の経験や出会いがあまりにも強烈であったせいか、それと希薄な信仰心のせいか。その気持ちが尾を引いて、その後飽く事無く四回巡礼の旅に出た。しかし、未だに達成感が得られていない。

1987年、初めてサクラダ・ファミリアを訪れた。当時は数本の尖塔と地下の礼拝堂は形をなしていたが、聖堂は露天の建設現場で全く宗教空間の体をなしていなかった。そして、2015年に再度訪れた時には、外観は建設中の姿を呈していたが、聖堂内部は既に立派な宗教空間と成っていた。

f:id:peregrino:20190613180826j:image

f:id:peregrino:20190613180422j:image

f:id:peregrino:20190613180458j:image

神々しい佇まいに見惚れる一方、微かな寂しさを感じた。

 

道中 is Life。

ゴールを切る達成感の中に Life があるんじゃない。

道中だよ。道中 is Life だよ。

 

目的地も、目的も、それほど大事なものじゃない。

出て帰る、その間にある時間がどんなだったのか、

それが、ほんとうに大事なことなのかもしれない。

            他人だったのに。  糸井重里 / 株式会社 ほぼ日

 

石垣を読む

 テレビでお城の石垣の話をしていた。上にゆくほど反り返る勾配を描いている。この線形には二つの意味があり、一つは敵が登りにくくし敵の侵入を防ぐ、二つ目は内側からの圧力を外部に逃して石垣に強度を加えるためと言う。結果として美も生み出した。

f:id:peregrino:20190529130512j:image

熊本城(借り物です)

では、その線形はどのようにして割り出したのか。石垣の上下端に縄を垂らして出来た曲線を反転したとの事。そこで、ガウディがコローニア・グエル教会堂設計の際に行なった「逆さ吊り実験」(紐に重りをぶら下げて出来た自然な弧が描く曲面を上下逆さまにして、荷重を合理的に分散する形態を求める実験)を思い出した。

f:id:peregrino:20190527181202j:image

地下の礼拝堂は実現していたが、残念ながら上部の教会堂は未完のままであった。

f:id:peregrino:20190529125747j:image

ガウディは名も無き日本の職人のアイデアからヒントを得たのではないか?

 

お城に限らず、石垣を見かければついついシャッターを押してしまう。改修のなった東京都現代美術館の外構は石垣に取り囲まれている。

f:id:peregrino:20190527181229j:image

周囲の雑然とした街並みから隔離する石垣。石垣で造られたまちマチュピチュのインティワタナの丘に登る道の擁壁によく似た石組みを見かけた。テレビ番組で見ただけで、強い訪問願望が有りながら未だ実現していない。

f:id:peregrino:20190527181301j:image

石を切り出した際に出来た傷?も一服の景色としている。

f:id:peregrino:20190527181327j:image

東京には珍しく整然とした街並みで整備が進む日本橋。その中のビルの地階ロビーにも、石垣が違和感無く取り込まれている。

f:id:peregrino:20190527181402j:image

 f:id:peregrino:20190527181456j:image

そして、最近オープンしたMUJI HOTELのレセプション。箱はオフィスビルを店舗+ホテルにリノベーションしたものだが、内装の石垣には100年前に使用していた都電の敷石を内装材に活用している。花丸印!

f:id:peregrino:20190527181603j:image

 

創業者の井深大は、「人材石垣論」を唱えている。

いしがきのいしは、ブロックのようにすべて四角い石だとすぐに壊れてしまう。ごろごろの石や丸い石、四角い石もあって、でこぼこの組み合わせこそが強い。だから、「こいつは生意気な奴だ」と思っても、我慢して使うことが必要だ。すると組織は強くなる。

         「奪われざるもの」清武英利/講談社+α文庫

お急ぎの方

24日、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞磯崎新氏への授与式がヴェルサイユ宮殿で行われた。その数日前、氏の「東京は首都たりうるか」と題するトークイベントが開かれ、市ヶ谷の法政大学に出かけた。時の人という事もあり大盛況であった。"消す"と言う言葉に始まり、赤坂御用地内で準備が進む上皇の住居仙洞御所は、返還はされたが米軍の保養地として未だオフリミットとされている沖縄北部の旧米軍基地にと言う提言で締めくくられた。因みに氏は現在沖縄に居住されている。

 

休憩時間にロビーに出てトイレを探していると、金属を細工した人型が壁面からのぞいていた。瞬時にトイレの所在を認識した。壁面に描かれたピクトグラムより分かりやすい。

f:id:peregrino:20190527152631j:imagej

別のトイレは奥まった所にあるトイレに導くように白い壁面に青と赤のピクトグラムと長い矢印が描かれていて自然に導かれて行く。

f:id:peregrino:20190527163025j:image

f:id:peregrino:20190523165136j:image

日本では、トイレは多くの場合通路を奥に入った所に入り口があり、しかもできるだけ密やかに上品に知らせたいとの配慮から分かりにくいサインとなり易い。

ミュージアムやギャラリーにおけるサインには流石と思わせられるものを見かける。東京ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTは抑え気味な照明を配慮したサイン。

f:id:peregrino:20190523170645j:image

内装がアール・デコ様式の東京都庭園美術館は重厚な仕上がりで。 

f:id:peregrino:20190523165543j:image

DNPgggはグラフィック芸術のギャラリーである。

f:id:peregrino:20190523170731j:image

そして、最近オープンしたMUJI HOTEL。如何にもMUJlである。

f:id:peregrino:20190527173329j:image

 海外で見かけ印象に残るサインは、スペインのサラマンカで非常事態に飛び込んだバルのユーモア溢れるものである。

f:id:peregrino:20190523165954j:image

f:id:peregrino:20190523170023j:image

そして、四国遍路の途上の寺でトイレ出会ったトイレ。これも一種のサインであろうか。

f:id:peregrino:20190523170113j:image

 

ギンザ・グラフィック・ギャラリーgggに立ち寄った。「井上嗣也 Beginnings」と題する企画展を開催中で、ファッション界との関わりの作品の一点に目が止まった。何処かで出会った。

f:id:peregrino:20190529140049j:image

昨年6月、パリから電車でヴェズレーに向かった。ロマネスク美術の白眉が残されているサント・マリー・マドレーヌ聖堂訪問が目的であった。聖堂内に入り薄暗いナルテックスで後ろを振り返ると待望のタンパン。中央のキリストの衣に刻まれた渦巻状の襞に暫く見入った。

f:id:peregrino:20190529142247j:image

聖霊降臨」ヴェズレー   2018/06/11

 

タンパン中央のキリストの衣文。たばしる奔流のごとき襞の意匠は、神の超自然的な霊力を示すものか。      「フランス ロマネスクを巡る旅」 中村好文/木俣元一   新潮社とんぼの本

 

 

 

Le Japonの宿 L'Alchemiste

国内の書店で入手可能なサンチャゴ巡礼のガイドブックは "フランス人の道"の「聖地サンチャゴ巡礼」(ダイヤモンド社)のみである。そこで、巡礼に出かけるにあたってはアマゾンで探すこととなる。従って運良く見つかっても英語版、ドイツ語版、フランス語版でしかも版も古い。

フランスの"Le Puyの道"はフランス語版。辞書を片手に悪戦苦闘しながらルートの確認や宿の選定をする。宿の情報にはコミュニケーション可能な言語が国旗で表示されていてその中に唯一の日章旗を見つけた。以前紹介した"フランスで最も美しい村"Navarrenxの宿L'Alchimiste-accueil benevole de pelerinと言う11人収容のボランタリーの宿である。何はともあれこの宿は見過ごせないと宿泊決定。しかし、宿泊がずっと先の為日本からの予約は不可。

f:id:peregrino:20190514152148j:image 

巡礼29日目の6月6日、三日間連続の30km超えの歩行の後に無事到着。一週間前にOffice de tourismeから予約を入れてもらったので無事ベッドは確保済み。

入り口を入るが人影が無い。奥の方で人声がするのでその方向に進むと、数人の巡礼者がパラソルの下で談笑している。

f:id:peregrino:20190503145511j:image

年輩の男性が声をかけてきた。取り敢えずザックを降ろし椅子に座れという。テーブルの上にはハーブティーが用意されており、取り敢えずウエルカムドリンクだとグラスを差し出される。

f:id:peregrino:20190503145549j:image

日本語が通じるとのことでこの宿を選んだと言うと、以前日本人がボランティアで手伝ってくれていたが、既に帰国したとのこと。しかし、奥に入って再び姿を現した時には何とサムライになっていた。日本語は殆ど通じないが何よりのおもてなしであった。

f:id:peregrino:20190503145751j:image

ネコもボンジュールとばかりに姿を見せる。

f:id:peregrino:20190503145848j:image

何時ものように指定された部屋に荷を置き、シャワー、洗濯の後街歩きに出かける。教会のミサに参列して宿に帰ると既に夕食の準備が出来ていた。料理の一つに日本語で"良い方法"とある。意味不明であるが気持ちは十二分に伝わってくる。

f:id:peregrino:20190503145938j:image

各自料理を皿に盛り付け隣の部屋で思い思いの場所に座を占め雑談しながらゆったりと晩餐を愉しむ。フランスの夕食ではお喋りが不可欠でこれが延々と続く。我が日本人が最も苦手とするところである。しかし、毎晩続くと慣れとクソ度胸でお付き合いできるようになる。

既に6月に入っているがまだ暖炉には火が入っている。その前で主人が深々と頭を下げ宿泊者に感謝の意を表する。

f:id:peregrino:20190503150159j:image

残念ながら日本語は話せなかったが、まさしく"Le Japonの宿"であった。この宿で一番いいと思われる大きな部屋が単独で提供された。壁面には枯れた樹木を使った手作りのオブジェが飾られていた。

f:id:peregrino:20190503150239j:image

「おもてなしは決して日本の専売特許ではありません」

翌朝、部屋の片隅に何気無く置かれた箱に、感謝の気持を込めたユーロ紙幣を押し込み、一人静かに宿を後にした。

 

改装なった江戸東京博物館の「江戸の街道をゆく〜将軍と姫君の旅路〜」に出かけた。唯一撮影可能であり、最も目を引いた展示物は薩摩藩島津家の女乗り物「黒漆丸十紋散牡丹唐草蒔絵女乗り物」であった。因みに重量は約70kgと思いの外軽量である。

f:id:peregrino:20190516092206j:image

f:id:peregrino:20190516092237j:image

施された装飾にフランスでの一夜を過ごした部屋のインテリアが思い浮かんだ。

東京都美術館の「クリムト展」では、ジャポニズムの影響が強く伺える装飾にも通ずるものが感じられた。

f:id:peregrino:20190516093926j:image