ラストウオーク
6月9日,OstabatからSaint-Jean-Pied-de-Portまでの22km弱のラストウオークである。到着後はそのままTGVでパリに入る。13時10分の電車を逃すと次の便ではパリ到着が23時を過ぎる。歩行に要する時間はガイドブックによると6時間40分であり、安全を見て6時前にはスタートしなければならない。5時半に起床し、昨夜作ってもらった朝食のサンドイッチをパッキングして部屋を出かけると、ここ数日前後しながら歩いた北フランスから来た同室の男が目を覚まし別れの言葉をかけてきた。
外に出るとサマータイムのせいもあり、暗闇ではないがまだ薄暗い。サインを見逃さない様に周りに目を配りながら歩を進める。暫く歩くと前方に私の好きのお気に入りの樹木のゲートが見えた。そこを潜っても何も変わりは無いと知りながら妙な期待感が湧いてくる。
何とトンネル状になっており期待感が高揚する。更に歩を進めると幹線道路に出た。歩道が無いためすぐ脇を高速の自動車が次々と走り抜ける。背後に微かな熱気を感じ振り返ると、一直線の道路の先から真っ赤な日の出。一昨年の熊野灘の日の出が甦り暫くの間無言で佇んでいた。
バスクの日の出
熊野灘の日の出
フランスでは乾ききったスペインとは異なり水と緑に恵まれ、日本に近い空気感が感じられる。バスクに入るとその感が一層強くなる。
再び脇道に入り幾つかの集落を抜ける。スペイン語とバスク人語併記のサイン、バスク十字ラバウルを掲げた住宅エントランス。
サンドイッチを齧りながら歩くと、前方から朝のしじまを破って羊の鳴く聲が響き渡った。物悲しい響きにつられて前方に目をやると貨物トラックがまさに動き出す所であった。側には数名の地元の人が佇んでいた。別れの瞬間であった。
城塞都市サンジャンのサンジャック門を潜ると懐かしい家並みが続く。6年前期待と不安を抱きながら立ったサンティアゴ巡礼の出発地である。時間の関係で荷物を担いだ巡礼者は見当たらないが年配の観光客がそぞろ歩いている。聖地サンティアゴ・デ・コンポステラでない事もあるが、何時もの如く何かをやり遂げたと言う感慨が無い。"此れから如何しようか"が頭を過る。
時計を見るとまだ12時前。結構頑張った様である。
TGVの座席に身を沈め暫くすると、"色々あったが今回も無事日本の地を踏めそう"と思いながら眠りに陥っていた。
長い巡礼なので歩行途上の記憶が薄れつつあるが、この日の事は未だに明瞭に思い出すことができる。
逆歩おじさん
5月28日、Moissacに向けて歩いていると前方から怪しげなおじさんが歩いてくる。ここ数日毎日の様に出会い声を掛け合う関係になっている。しかし、ある時は1人で逆方向から現れ、ある時は女性と共に私の前後を同じ方向に歩いている。
不思議に思い、ある時その疑問を解くべく話しかけてみた。
フランス南部から女性3人とやって来たとの事。年齢と女性同伴を配慮してか独自の巡礼スタイルで楽しんでいる。車でやって来ており、朝 おじさんは皆の荷物を積んで出かけ、昼食を摂る街や村に車を置き歩いて巡礼路を引き返す。そう言えばいつも2時間前後歩いた所で出会う。一方、女性陣はハイキングスタイルで歩き始める。年齢は確認していないが見かけたところ60歳前後。身軽なせいか時には私とほぼ同じペースで進む。そして、途中でおじさんと出会うとおじさんはターンし、そこからは仲良く一緒に歩く。バルに着くと共に昼食を摂り、食後におじさんは1人車で宿に向かう。到着後再度歩いて巡礼路を引き返し、女性陣に出会うと合流して宿に向かって一緒に歩く。そうした数日を過ごした後車で家へと帰って行く。そして、又いつの日か出かけてくる。
私の様に遠くからやって来た人はがむしゃらにそして巡礼路を一気に歩き通すが、地元のフランスの人は自分の身の丈に合わせて巡礼を楽しんでいる。でも、誰で も身軽に楽しめるサービスがある。指定の宿に荷物を届けてくれる有料の運送サービスがある。そして、巡礼路を結ぶバス便もあり、体調やスケジュールと相談しながら気軽に巡礼を楽しむ事もできる。
カテドラル そして
これ、何かわかりますか
ところで、フランスの巡礼では多くの"教会"に出会ったが、キリスト教の信者でない私にも所謂"教会"には大聖堂から礼拝堂まである事が実感できた。そこで、改めてカテドラル/大聖堂とは何者かを確認した。
カトリックでは行政的区分を教区と言い、そこに属する教区聖堂のうちの一つに司教座が置かれ、司教座聖堂=カテドラル/大聖堂と呼ぶ。ギリシャ語で「椅子」を意味するKatehedraに由来する。元々は皇帝や王、裁判官等の座る高座、更にはそこに座る人の権威を示す様になった。( 「フランス ゴシックを仰ぐ旅」とんぼの本 参照 )
日本における「社長の椅子」的なもの。そう言えば、今世間を騒がせている"会長の椅子"が思い浮かぶ。
前振りはここまでにして答えは「椅子」である。先日久しぶりに美術館に出かけた。東京都庭園美術館の「ブラジルの先住民の椅子 野生動物と想像力」。ユニークな企画展であるが、その趣旨、内容についてはリーフレットの抜粋で紹介。
ラテンアメリカでは4000年前に椅子の使用の痕跡が認められ、共同体の高位の構成員である長老やシャーマンが社会的な区分を指し示すシンボルとして占有した。現代では共同体の存続と伝統的な知識体系の継承手段であり、動物彫刻の椅子は、独自の文化的アイデンティティを主張する重要な対外的メディアとなっている。
難しい事は置くとして、個人的にヨーロッパのロマネスクに通じる何かを感じた。そして、箱であるアール・デコ様式の建物の内装にしっくりと収まっていた。建物が椅子を呼び寄せたのであろうか、椅子が建物を選んだのであろうか。多くの中から幾つか
写真撮影はOKだったが、近づき過ぎて何度も注意された。因みに、上からハチドリ、カエル等、ジャガー、アリクイ、コウモリ、エイ。
猫はmiauミューと鳴く
ヴァラントレ橋の悪魔
予期せぬ出来事-5
テレビは連日暑い暑いの連呼。
巡礼路では木陰の無い炎天下を歩く為気温(体感温度)や降雨が気になる。その為今回を含め気温が余り高くなく、降雨量の比較的少ないバカンスに入る前の5〜6月を選んで歩いてきた。それでもスペインでは北部以外では降雨は稀有であったが、体感温度が40度を超える事は珍しい事ではなかった。今回のフランスでも熱さは覚悟の上で臨んだが、暑さのダメージは殆ど感じる事なく、再三再四小休止の場所を求めて2〜3時間休む事なく歩き続けた。西に進むにつれ地平線に雲が湧き遠雷が轟き出す。
暫くするとパラパラと小粒の雨が降り始めるが通り雨で降ったり止んだり。慣れてくると雨具は付けず様子見しながら歩く。宿に着く頃には雨は上がっている。このような天候が連日続く。この雨自身は気にならないが思いの外の困難が待ち受けていた。
整備された道から細い地道に入ると一変して前日の雨で泥濘の連続。迂回路はなく足で粘土を捏ねるごとく歩を進める。困った事にきめ細かい粘土質の土壌の為滑る滑る。その上連日の雨の為路面が荒れておりスリップの方向の予測がつかない。まるで初心者のアイススケート状態である。
転倒すると
暫く歩くと靴の底に堆積し視線が高くなった感覚に陥る。へばり付いた泥は道端の石に擦りつけてもちょとやそっとではとれない。竹へらが必需品。おまけに水溜りにもそのまま踏み込む為、何年ぶりかで足にマメができた。
ロンドンブーツ状態
水路が川に
宿到着後靴を洗うがこびり付いた泥はなかなか取れないし、ズボンや靴下の洗濯のすすぎ水はいつまで経っても濁りが取れない。
フランス人はこうした事態を知り尽くしているのか、か弱い女性から高齢者に至るまで革製のごつい登山靴とスパッツの装備。因みに私は華奢なウオーキングシューズ。
予期せぬ困難に出会ったが、熊野古道の経験を生かし転倒だけは回避できた。