逆歩おじさん

5月28日、Moissacに向けて歩いていると前方から怪しげなおじさんが歩いてくる。ここ数日毎日の様に出会い声を掛け合う関係になっている。しかし、ある時は1人で逆方向から現れ、ある時は女性と共に私の前後を同じ方向に歩いている。

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不思議に思い、ある時その疑問を解くべく話しかけてみた。

フランス南部から女性3人とやって来たとの事。年齢と女性同伴を配慮してか独自の巡礼スタイルで楽しんでいる。車でやって来ており、朝 おじさんは皆の荷物を積んで出かけ、昼食を摂る街や村に車を置き歩いて巡礼路を引き返す。そう言えばいつも2時間前後歩いた所で出会う。一方、女性陣はハイキングスタイルで歩き始める。年齢は確認していないが見かけたところ60歳前後。身軽なせいか時には私とほぼ同じペースで進む。そして、途中でおじさんと出会うとおじさんはターンし、そこからは仲良く一緒に歩く。バルに着くと共に昼食を摂り、食後におじさんは1人車で宿に向かう。到着後再度歩いて巡礼路を引き返し、女性陣に出会うと合流して宿に向かって一緒に歩く。そうした数日を過ごした後車で家へと帰って行く。そして、又いつの日か出かけてくる。

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私の様に遠くからやって来た人はがむしゃらにそして巡礼路を一気に歩き通すが、地元のフランスの人は自分の身の丈に合わせて巡礼を楽しんでいる。でも、誰で も身軽に楽しめるサービスがある。指定の宿に荷物を届けてくれる有料の運送サービスがある。そして、巡礼路を結ぶバス便もあり、体調やスケジュールと相談しながら気軽に巡礼を楽しむ事もできる。

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カテドラル そして

これ、何かわかりますか

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ところで、フランスの巡礼では多くの"教会"に出会ったが、キリスト教の信者でない私にも所謂"教会"には大聖堂から礼拝堂まである事が実感できた。そこで、改めてカテドラル/大聖堂とは何者かを確認した。

カトリックでは行政的区分を教区と言い、そこに属する教区聖堂のうちの一つに司教座が置かれ、司教座聖堂=カテドラル/大聖堂と呼ぶ。ギリシャ語で「椅子」を意味するKatehedraに由来する。元々は皇帝や王、裁判官等の座る高座、更にはそこに座る人の権威を示す様になった。( 「フランス ゴシックを仰ぐ旅」とんぼの本 参照 )

日本における「社長の椅子」的なもの。そう言えば、今世間を騒がせている"会長の椅子"が思い浮かぶ。

前振りはここまでにして答えは「椅子」である。先日久しぶりに美術館に出かけた。東京都庭園美術館の「ブラジルの先住民の椅子 野生動物と想像力」。ユニークな企画展であるが、その趣旨、内容についてはリーフレットの抜粋で紹介。

ラテンアメリカでは4000年前に椅子の使用の痕跡が認められ、共同体の高位の構成員である長老やシャーマンが社会的な区分を指し示すシンボルとして占有した。現代では共同体の存続と伝統的な知識体系の継承手段であり、動物彫刻の椅子は、独自の文化的アイデンティティを主張する重要な対外的メディアとなっている。

難しい事は置くとして、個人的にヨーロッパのロマネスクに通じる何かを感じた。そして、箱であるアール・デコ様式の建物の内装にしっくりと収まっていた。建物が椅子を呼び寄せたのであろうか、椅子が建物を選んだのであろうか。多くの中から幾つか

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写真撮影はOKだったが、近づき過ぎて何度も注意された。因みに、上からハチドリ、カエル等、ジャガー、アリクイ、コウモリ、エイ。

 

 

 

 

 

 

 

猫はmiauミューと鳴く

日本には猫に因んだ観光資源?が数多く見受けられる。ネコの島(石巻田代島),ネコのまち(尾道/谷中),ネコ神社(浅草今戸神社)そしてネコカフェ。フランス巡礼路にもネコにまつわる村があった。
5月30日、23番目の宿はLa Romieuラ・ロミュー。1062年にローマ巡礼を終えた修道士が開き、巡礼者を意味する「ラ・ロミュー」と名付けた。ここにはゴシック様式のコロジアル サン・ピエール聖堂があり、世界遺産に指定されている。塔に上ると足下に街道の家並みが伸び、聖堂の屋根裏に踏み入ることさえができる。
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今では"ネコの村"として知られている。その由来を書いた一枚のコピーを観光案内所で手に入れた。
 
 「昔、木樵夫婦が一人娘を残し他界した。その娘アンジェリンヌは近所に引き取られた。彼女は大変猫を可愛がり、畑仕事を手伝う彼女の周りにはいつも猫たちがいた。1342年から三年間悪天候が続き、飢饉に陥り沢山いた猫たちが処分された。アンジェリンヌとその家族は雌雄の猫を密かに飼い続けた。その後収穫を得る事ができたが、猫がいなくなったせいではびこった鼠に農作物 が食い荒らされた。そこで、アンジェリンヌは生んだ子猫を村人に分け与え、鼠の被害を免れることができた。
後年、アンジェリンヌはだんだんとその風貌が猫に似てきたとのこと。」
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案内所の人の話によるとこの由来に因んで家の壁面に作り物のネコを設置しているとのこと。散策がてら集落をぶらつきながらネコを探す。仰ぎ見ると汚れてはいるが様々な姿のネコが見つかる。全部ではないと思うが15匹のネコを見つけた。
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生き物の猫も一匹。
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そして村はずれに所在なさそうなイヌ。
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お土産屋で見つけたのは"三猫"。
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日本の "三猿"のパクリと思われるが、世界各地に似た表現が有るらしい。英語では
"See no evil  hear no evil  speak no evil"
因みに日本には8C頃シルクロードを経由して中国から伝わったとのこと。
日本ならもっと積極的に"まち興し"に活用するだろうなと、控えめなネコたちに出会いながら思った。
 
何故か、フランスでは猫はmiauミューと鳴きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ヴァラントレ橋の悪魔

5月25日,巡礼路17番目の宿泊地は赤ワイン「vin noir」で知られたCahorsカオール。フランス最大のドームを持つ世界遺産サン・テティエンヌ大聖堂がある。
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しかし、へそ曲がりの私の興味を引いたのは外壁軒先?の人面群であった。恰も百羅漢像のごとく様々な表情が楽しめる。
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標高は既にほぼ200mまで下がっており、ロット川の蛇行が市街地を取り巻いている。
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翌朝、街の出口に当たるヴァラントレ橋に向かう。(左側の赤い旗)
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三つの塔を持つ要塞化された橋で、フランスで最も美しい橋とされ世界遺産に指定されている。真ん中の塔には悪魔が住んでいると聞き及んでいたので上を見ながら橋を渡る。噂通り、塔にしがみつく悪魔の姿が目に入った。こちらでは悪魔は必ずしも悪者ではなく、そのせいか愛嬌のある表情である。
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こうしたものには謂れが付き物である。帰国後インターネットで調べてみた。
 
 「14C初頭、工事を請け負った石工の棟梁が納期に間に合わせる事ができず、自分の魂と引き換えに納期通り完成できるよう悪魔と取引をした。しかし、棟梁は完成間近に命が惜しくなり、悪魔を工事に必要な水を取りに上流に行かせた。悪魔は途中で騙された事に気付き引き返し、その仕返しとして中央の塔の石をひとつ外し呪いをかけた。代わりの石を嵌めてもその石がすぐにずれ落ちるように。
1879年、橋の修復の際工事請負人が石がひとつ欠けているのに気付き、そこに悪魔の彫刻を取り付けた。壁にへばりつき石を外そうとするが外す事が出来ない悪魔の彫刻を。」
 
豊富な水量を誇るロット川に橋を架ける困難から生み出されたものらしい。こうした話には結構とってつけたようなものが多いが、これにはなんとなく納得がゆく。
 
逆光の朝日に輝く姿を振り返りながらCahorsを後にした。
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予期せぬ出来事-5

 テレビは連日暑い暑いの連呼。

巡礼路では木陰の無い炎天下を歩く為気温(体感温度)や降雨が気になる。その為今回を含め気温が余り高くなく、降雨量の比較的少ないバカンスに入る前の5〜6月を選んで歩いてきた。それでもスペインでは北部以外では降雨は稀有であったが、体感温度が40度を超える事は珍しい事ではなかった。今回のフランスでも熱さは覚悟の上で臨んだが、暑さのダメージは殆ど感じる事なく、再三再四小休止の場所を求めて2〜3時間休む事なく歩き続けた。西に進むにつれ地平線に雲が湧き遠雷が轟き出す。

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暫くするとパラパラと小粒の雨が降り始めるが通り雨で降ったり止んだり。慣れてくると雨具は付けず様子見しながら歩く。宿に着く頃には雨は上がっている。このような天候が連日続く。この雨自身は気にならないが思いの外の困難が待ち受けていた。

整備された道から細い地道に入ると一変して前日の雨で泥濘の連続。迂回路はなく足で粘土を捏ねるごとく歩を進める。困った事にきめ細かい粘土質の土壌の為滑る滑る。その上連日の雨の為路面が荒れておりスリップの方向の予測がつかない。まるで初心者のアイススケート状態である。

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転倒すると

暫く歩くと靴の底に堆積し視線が高くなった感覚に陥る。へばり付いた泥は道端の石に擦りつけてもちょとやそっとではとれない。竹へらが必需品。おまけに水溜りにもそのまま踏み込む為、何年ぶりかで足にマメができた。

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ロンドンブーツ状態

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水路が川に

宿到着後靴を洗うがこびり付いた泥はなかなか取れないし、ズボンや靴下の洗濯のすすぎ水はいつまで経っても濁りが取れない。

フランス人はこうした事態を知り尽くしているのか、か弱い女性から高齢者に至るまで革製のごつい登山靴とスパッツの装備。因みに私は華奢なウオーキングシューズ。

予期せぬ困難に出会ったが、熊野古道の経験を生かし転倒だけは回避できた。

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

予期せぬ出来事-4

 5月14日一面白一色の荒野を只一人黙々と歩を進めていた。
前々日、フランス人女性2人と共に宿泊地Aumont-Aubracに向け歩いていた時、1人が突然「明日は雪だ」と言った。 空はどんよりとしているものの既に5月に入っておりその時は冗談だと聞き流した。フランスに到着後テレビも新聞も見ていないし、おまけにインターネットが接続不良の為天気予報は全くno checkであった。翌朝、窓から外を見ると何と屋根に雪が積もっていた。
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驚きはしたものの1,000mを超す高地だからちょっとした異常気象かなとの思いで宿を後にした。寒さ対策としては今までの経験と荷物の軽量化から防寒具兼用のレインウエアくらいで手袋は持参していない。気温は余り低くないようで寒さは感じないが手がかじかんで動作は鈍くなる。比較的整備された道が続くが地道に入ると途端に歩行困難となる。
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この日は8時間の歩行であったが特段の支障は感じなかった。
宿で聞くと強い低気圧が押し寄せ季節外れの雪になったと地元の人も驚いていた。低気圧は停滞しており明日も雪との事。明日は標高が1,300mを超え巡礼路で最も高いところで、かつては「Aubracの荒野越え」と言われる難所であったらしいが、今では歩行路やサインは整備され、この季節には新緑や草花を愛でながら歩くとっておきのハイキングコース。世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の指定区間となっている。
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「365 meditations sur les chemins de Compostelle」PRESSE DE LA RENISSANCE
しかし私にとっては状況は異なったようである。
 
暫くは雪のちらつく中を歩を進める。ゲートをくぐり牛の放牧地に入り進む。先を行く人があるらしく踏み跡が一つあるが、試行錯誤で歩いているようで余り頼りにならない。風が出て来て気温がグングン低下してくる。
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雪は降り続く。手がかじかんでカメラの操作も一仕事。周りを見渡しても人っ子一人見当たらない。取り敢えず木柵と石垣そしてGR65(ル・ピュイの道)の赤白の小さなサインを頼りに西へ西へと進む。雪に隠れた足元は水路やガレで不安定。捻挫に注意!大袈裟ながら万一の不安が頭をよぎる。
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彼方に避難小屋が確認でき一安心。小屋の中で小休止の後再び歩を進める。そして2時間にわたる悪戦苦闘の末、濡れ鼠のような姿であったが無事Aubracの集落に辿り着いた。熱い珈琲を体内に流し込んだ時初めて安堵の胸をなでおろした。
地球規模の異常気象の怖さと不測の事態の準備不足を身を以て実感した1日であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

予期せぬ出来事-3

長旅をしているとついつい曜日感覚が無くなる。キリスト教圏のフランスでは生活に密着しているBoulangerieパン屋やPharmacia薬局を除いて店舗や飲食店はお休みである。しかし理解に苦しむのはOffice de tourisme観光案内所まで閉まっており慌てることがある。住民にとっては支障が無いということか。我々巡礼者は街に入るとまずTourismeに行き地図や情報を入手し、宿の予約をしたり所在を確認したりする大事な場所である。

日本では美術館等は月曜休館が多いがフランスでは火曜日である。理由を聞くと美術館等での生徒の校外学習が月曜日に行われるとの事。

 

アミアン大聖堂は休館は1/1のみ。見所は幾つも有るが堂内の敷石のラビリンスも注目に値する。

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それも塔に登って上空からの眺めは圧巻と言う。塔への階段横の案内所に行き入場券を求めるとなんと火曜日は上がれないとの事。気がつくと当日は火曜日。係員相手に鬱憤を晴らして退去。残念!

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「フランス ゴシックを仰ぐ旅」新潮社 とんぼの本

 

アミアンからの帰途、北駅から地図を片手にブラブラとギュスターヴ・モロー美術館に向かう。 モローの作品に特段の関心があるわけでは無いが、壁一面に並ぶ作品群の中に身を置いてみたいという勿体無い動機での訪問である。迷いながらも到着し入口扉の前に立つと「扉を押して下さい」とある。

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ところが扉を押すが開かない。周りにに目をやると貼り紙に11〜14日はイベントの為休館とある。14日にはパリを離れるので万事休す。ついでに当日は火曜日の休館日であった。エア・フランスのストでスケジュールをいじっている間にチェック漏れ。それにしても残念!

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シャルトルの床にもラビリンス。エルサレム巡礼の大変さを表しているとの事。

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アミアン同様塔に登って上空から鳥瞰出来る。案内所で聞くと11時にツアーがあると言う。11時前に階段の前に戻ったが参加者は見当たらない。恐る恐る近くの係員に聞くと中止だと言う。理由を尋ねても答えない。お粗末な会話力ではさらなる追求は不可能。ここでも止む無く撤退。残念!

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「フランス ゴシックを仰ぐ旅」新潮社 とんぼの本