記憶のかけらー足元から/地図

地図は机上の紙に描かれたものだけではない。地図のもとになるものの上でも地図に出会う。それは手元の地図や地図帳では味わえない世界へと誘ってくれる。

 

11C後半、流れ星に導かれ羊飼いが聖母マリア像を発見した。その地に「星」を意味する町Estellaが建設された。歴史的建築が多いことから「北のトレド」とも呼ばれる。

夕食後、街を歩いていると足下のホタテ貝のサインの間に別の形のサインを見つけた。よく見るとそれは四分割されたイベリア半島であった。左端はポルトガルで残りの三つはスペインである。このサインは誰に何を伝えようとしているのか。単なる”スペインにようこそ”なのか。今だに記憶の片隅に潜んでいる。スペインの街には遊びの要素が散らばっている。

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2012年9月4日 イベリア半島ですが スペイン/Estella 「フランス人の道」

 

以前、歴史として紹介したリスボンの”発見のモニュメント”前の世界地図。その全貌を記憶に留めたいと、エレベーターで高さ52mのモニュメントの屋上に上がった。この世界地図のスケール感は現代の宇宙旅行のスケール感に近いものであったのでは、と勝手に妄想を膨らませながら時間を過ごした。

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2013年6月11日 大航海時代を体感 ポルトガル/Lisboa after「ポルトガルの道」

 

観光客にとって大聖堂と言えばステンドグラスとくるが、私は身廊の床に強い関心を抱く。その床いっぱいに描かれた様々な図像に出会える。私が最も感銘を受けたのはシャルトルのノートルダム大聖堂の床である。そこにはラビリンスが石で描かれていた。これは迷路ではなく巡礼者が聖地エルサレムを目指して歩みを進める選択肢の無い一本道だそうだ。椅子がなければこの場での巡礼を経験したかった。床に描かれているのはある種の地図であると思った。

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2018年6月13日 エルサレムへと導く地 フランス/Chartres after「ル・ピュイの道」

 

地図と言えば伊能忠敬が思い浮かぶ。彼の作った日本地図は出版物などで見掛けた人はいるだろう。しかし、私は二度直接?出会ったことがある。場所は練馬区の江古田の武蔵大学、そして世田谷区の国士舘大学の体育館であった。レプリカではあるがその上を歩き何度も日本縦断を果たした。国土レベルの歩き旅を何度か経験したが、縮尺の地図とは言え壮大な気分に浸ることができた。

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2017年11月9日 江戸時代の日本を縦断 東京都/世田谷区/国士舘大学 街歩き

旅には発見がある。日常から足を離れ心も自由に、感覚も新鮮になっている。日常を連れていかないことが大事だ。

東京の友だちや家族など、身近なものからできるだけ離れて、ひとりになろう。必ず発見がある。

   「孤独の飼い方」 下重暁子/青春新書