記憶のかけら–日の入り

フランス、スペイン、ポルトガル南欧と言われながら意外と緯度が高く、日の入りは5月で9時台、9月で8時台。一方、宿では巡礼者の疲れや翌朝の早朝出発を考え、9時消灯が暗黙の了解事項となっている。従って、屋外でじっくりと夕暮れショーを楽しむ機会は稀有である。運良く出会っても、同宿舎達と感動を共有できない。欧米人は日の出、日の入りに対して日本人のように特段の感慨を抱かない様である。

 

780kmの「フランス人の道」の過半を歩きマイペースで行動できる様になった。El Burgo Raneroという小さな集落の宿にベッドを確保し、明日はLeonに入り待望のガウディの「カサ・デ・ロス・ボディーネス」に出会う。その期待を胸に宿のホスピタレーロお勧めの「落日ショー」鑑賞をと6時前に出かける。小高い丘の上に一脚のベンチと子猫を連れた男性。前方に広がる湿地帯の向こうに数本の樹木。その上方には雲に覆われているものの青空が垣間見える。舞台は出来上がっている。男性がいなくなり自分一人となる。ベンチに座り途中のスーペルメルカードで調達した夕食を採りながら開幕を待つ。やがて、地平線の上部が赤く染まり開幕となった。景観が刻々と変化し、その様子が前面の水面に映し出される。そして、太陽は地平線に沈みショーは閉幕となった。時間は9時前であった。3時間があっという間に過ぎ去っていた。9時を過ぎた宿に帰りつき、キャップライトの光を頼りにそろりそろりと2段ベッドに潜り込んだ。

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2012年9月16日20時20分  落日ショー スペイン/El Burgo Ranero「フランス人の道」

 

スペインとの国境の村Monsantoを訪れた。山の斜面にゴロゴロと転がっている大きな岩の間に住宅を造り込み居住している。”最もポルトガルらしい村”と言われている。山上にはたどってきた歴史を感じさせる城塞が残っている。日暮れ前に宿の屋上に上がった。前方の山に日が落ちてゆく。そして空が真っ赤に染まった。Ciel en feu火の空の出現であった。あっという間であった。

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2013年6月4日20時49分 ミラクル後 ポルトガル/Monsanto  after「ポルトガルの道」
しかし、なんと日没後も周りの空気の明るさは衰えず、どっしりと腰を据えた巨岩と赤い屋根の家並みの同居を楽しむことができた。

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2013年6月4日21時13分   更にミラクル  ポルトガル/Monsanto   after「ポルトガルの道」

フランスでは日の出には出会ったが、正直日の入りに出会ったことがなかった。一つの理由としては「ル・ピュイの道」の前半はmassif Central中央山塊を横断する為、宿が谷間の集落にあることかと思う。しかし後半は比較的平坦な大農地の間を縫って歩く。宿は防衛上見晴らしの良い小高い山上の城塞都市にある。さらに考えると、どうも夕食時のワインのせいに行き着く。何しろ本場のワインが飲み放題なのである。アルバムを探ってみるとそれらしき一枚に出会った。因みに、黒い雲は夜の通り雨の前兆で、翌日の粘土質のぬかるみ歩きが待ち構えている。

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2018年5月23日21時21分 Cele渓谷の夕焼け フランス/Pasturat 「ル・ピュイの道」

 

日本での日の入りについては何もコメントすることはない。横浜の三溪園を訪れた。11月末であったので全く期待していなかったが、思いもかけぬ三溪園の日の入りを拝むことができた。

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2016年11月29日16時23分 初冬の日の入り 横浜市/三溪園