出会った橋ール・ピュイの道-8

5月24日巡礼16日目、"Le Puyの道"750kmの中間地点を通過した。時として、延々と続く単調な風景の中をただ一人歩いた。そして、約10kgの荷物も苦にならなくなり、膝や腰の痛みも忘れて黙々と歩いてきた。

ロット川の対岸に”黒いワイン”で知られるCahorsの街並みが現れてきた。木立の傍に毅然と佇む建物は世界遺産サンテティエンヌ大聖堂だろう。

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予約していた宿で受付の頭上にぶら下がった混雑時の予備らしいベッドが提供された。ちゃんとしたベッドを提供しろと、お互い拙い英語でやりあうが埒があかない。予約メールのコピーをふと思い出し取り出すと、ヘラヘラ笑いながら客室のベッドの案内した。全く油断ならない。でも、これも我が旅の日常でもある。

シャワー、洗濯を済まし街歩きにでかける。ケルト、ローマに端を発し中世の都として現在の姿を完成した街である。痛みは見かけられるも中世の面影を色濃く残している。

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こちらでは、このような古い佇まいが当たり前のように残っており、至る所でその歴史的な空気の中に浸ることができる。一方、日本では街中の歴史的な佇まいが次々と消えていく。壊れにくく燃えにくい石造と、壊れやすく燃えやすい木造の違いだとよく言われる。しかし、生活に少しばかり踏み込んだ旅をしているとどうもそれだけではないと気付かされる。壊れないのではなく、壊さないのだと。先日も建て替えで問題となった東京海上日動ビル、帝国ホテルの再建て替えの新聞記事を目にした。  

12C建設のサンテティエンヌ大聖堂の前に来た。ロマネスクとゴシック両様式の過渡期のためか正面は特段の見所がない。北扉口に「キリスト昇天」のタンパンがあるとのことで北側に回り込む。テーマは、”キリストが昇天を目撃した使徒達の不安を鎮めるために天使が降りてくる”である。大きく仰反る使徒の姿が面白い。

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 内部に入ると天井面に二つの大きなドームが目に入る。高さ32m、直径18mはフランス最大とのことで圧巻である。一方には何も描かれていないが、もう一方にはフレスコがが残っている。

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 外部壁面丈夫には軒先を支えるモディヨンがずらりと並んでいる。構造的にはあまり有効とは思えないが、さまざまな表情の像がずらりと並んでいるところを見ると装飾的なものとも見える。表情から見ると魔除けとも思えない。そういえば日本でも伊藤忠太の建物に似たような像が見られる。

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再び街歩きを続ける。あちこちの建物の壁面には作者知らずのアートが並び、街中ギャラリーを愉しむことができる。

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翌朝、世界遺産のヴァラントレ橋を渡り街を離れる。14世紀に要塞橋として架橋されたゴシック様式の橋である。

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真ん中の塔の上部をよく見ると悪魔がしがみついている。19世紀に修復された時、この地に伝わる”悪魔の橋”伝説にちなんで取り付けられたそうだ。

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そう言えば、スペインはサラマンカの旧カテドラルの入り口では宇宙飛行士に出会った。世界遺産登録前だからできた遊びだろうか。この伝説についてお知りになりたい方は、本ブログの2018年8月3日「ヴァラントレ橋の悪魔」を覗いてください。

続く

 

この魔橋伝説は古代ローマ橋があるところ、ほとんど全てに見られる。そこから推測されるのは、古代ローマの架橋技術の途方もない優秀さ、ひいては後代の衰退ぶり。ローマ帝国が滅びると共に、あれだけ優れた土木建築技術までも失われてしまったのだ。なぜなら宗教に重苦しく覆われた中世社会では、かつて「大技術者」として尊敬されていた建築家は職人の座に追い落とされ、人材も枯渇した。つまりテクノロジーが教会に阻まれたせいで、人々は絶景の地に架かる古橋を見ると、「悪魔でなければ建てられたはずはない」と驚き言ったというのだ。

   「橋をめぐる物語」中野京子/河出書房新社