出会った橋ー銀の道-6

Santiago de Conposteraは四度目であり、その日の夜行バスでMadridに向かう。6月28日早朝、アベニーダ・デ・アメリカBTに到着後、地下鉄で南BTに移動する。スペインやポルトガルでは方面別にBTが異なるので乗り継ぎは大変である。目的地はZaragozaだが大都市のバスターミナルは広大な為、目指す乗り場を見つけるのも一苦労である。手当たり次第周りの人に聞きながらたどり着く。

サラゴサは紀元40年に街中を流れるエブロ川の岸辺に聖母マリアが現れた事から、スペインにおける聖母信仰の中心地となっている。この街もローマ帝国西ゴート族イスラム教徒の支配の痕跡が多く残っている。エブロ川に架かるピエドラ橋はこれまで出会ったローマ橋と一味違い重厚な佇まいである。

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翌日、バスで待望のBarcelonaに向かう。今回は二度目の訪問であるが、4泊5日の自分への大盤振る舞いである。ガウディは当然ながら、ライバルのモンタネール、カダファルクの作品を知る限り訪れるプランをたてた。

前回ピカソとミロの美術館には出かけたが、今回はダリの美術館をとBarselona到着後電車でFigueresに向った。スペインでは巡礼以外でも自転車旅が盛んで、電車への自転車持ち込みにしばしば出会う。

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ダリ劇場美術館の名にある様に巧みな演出の中でダリワールドに酔いしれる。まさしく酔いしれる。しかし、アラビア兵士を描いた小さな絵が何故か印象に残った。

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ガウディがインスピレーションを得たと言うMontserratに出かけた。観光客は黒いマリア像に触れるべく教会堂Basilicaまで出かける。私の目的地はさらにケーブルカー、そして山道をサンダル履きで登った山頂である。私以外には物好きな人は見当たらない。残念ながら私自身にはインスピレーションは訪れなかった。しかし、眼下に広がるカタルーニアは壮大な眺めであった。

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帰路、ガウディが携わったコロニア・グエルに立ち寄った。サグラダ・ファミリアの原型と言われるコロニア・グエル教会は地下礼拝堂の建設に止まっている。本体の教会堂は見当たらなかったが、私にとってのガウディのベストであった。

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 再度のバルセロナは無いものと、思い残しの無いように欲張ったプランを立てたがほぼクリアできた。

 

7月3日、満足感に浸りながらTarragona行きのバスに乗りこんだ。タラゴナは紀元前3世紀にローマ軍によって築かれ100万人を有するイベリア半島最大の都市として栄えた。その証としての数多くの遺構が遺されている。しかし、次々と現れる『ローマ』に感動のボルテージは上がりにくくなっている。一方で、遺跡の片隅の崩れかけた壁面を前にして、モンドリアンの絵画を重ね合わせて暫く佇む。

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街角の建物の外壁には、もしかして遺跡から持ち出したのではと思わせる石材が見られ、色々と想像を巡らす。

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Valenciaと言えばオレンジやパエリアが思い浮かぶが、どんな街かについては具体的なイメージは持っていなかった。ここに立ち寄るのは街外れで開発された文化施設群『芸術・科学都市」である。地元の建築家サンティアゴ・カラトラバがデザインした施設建物はまたもや”これぞスペイン”のオンパレードである。なかでも、広大な敷地を横断する陸橋は町中に音を鳴り響かせる巨大なハープを思わせる斜張橋である。機能としての橋を何かを呼び掛けるパブリックアートが凌駕している。

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Malagaまでは半日に及ぶバス旅となる。夜行のバスを選んだ。マラガはフェニキア人が開き、ローマ、イスラムの支配を経てきた。その歴史の証としての遺跡は各所に見られる。11世紀にモーロ人の築いた要塞アルカサバの城門には馬蹄形のアーチがそれを物語っている。

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マラガと言えばピカソである。生家前の広場のベンチにご本人が座っている。失礼して隣に腰を下ろすと、横目で見ながら”日本人か?よう来たの”と行っているようであった。

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 つづく

 

ヨーロッパでは、都市や建築が積み上げられているように、その文化も積み上げられているようだ。

それに対して日本文化は、その建築が木造の組み立て式であるように、組み立て組み替えを繰り返しているのではないか。

過去には中国から来たものを日本流に組み立て組み替え、近年には欧米から来たものを日本流に組み立て組み替えてきた。西洋の思想が長期的、論理的、構築的であるのに対して、日本の思想は短期的、情緒的、雑居的である。ヨーロッパの文化は「積み上げる文化」であり、日本の文化は「組み立てる文化」である。

   「寡黙なる饒舌」  若山滋/現代書房