出会った橋ー銀の道-5

北に向かっていた巡礼路は、6月14日からポルトガとの国境に沿って西行きに変わる。

日本の温泉で働いていたスペイン人が帰国後Ourenseで日本式の温泉を開業している。6月22日、宿に到着後取るものも取り敢えず出向く。同宿の仲間を誘うが全く興味を示さない。町はずれに探し当てる事ができたが、なんと工事中で明日再開とある。せっかく日本から遥々尋ねてきたのだから写真だけはと言ったがけんもほろろ

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止む無く帰りかけると、脇を流れる川の河原に露天風呂があり地元の住民らしき人が入浴中である。早速、許可を得て湯に浸かる。片隅でかがみこんで何かしている人がいる。後ろから覗き込むと温度計で温度を測り湯の温度を調節している。何かにつけアバウトな国にしてはと妙に感心する。湯加減宜しく仲間入りして暫しの時間を過ごす。写真を撮っても良いかと言うと、離れて撮ればOKと言う事でパチリ。

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温泉は期待通りに行かなかったが、友人S氏からこの地に面白い橋があると聞いていたので帰路川端を歩きながら探した。今度は期待通り見つける事ができた。名はPonte do Mirenioである。2000年に架橋されたのだろうか?

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普通の斜張橋にジエットコースター擬きが絡みついている。その部分は歩行路になっているがその役割は果たしていない。展望台ならぬ展望路と思い周回する事とした。

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ここでも”Esto es espana"(これぞスペイン)である。Sevillaで出会った木造の展望台メトロポル・パラソルを思い出す。もしかして同じデザイナーの作品かと思わせる。

更に進むとローマ橋が現れ2000年の時を遡った。この街もローマ軍の築いた街である。しかし、これまでに出合ったローマ橋とは異なり、技術の進歩があったのかアーチは尖塔型で大きく抉れている。

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翌朝、まだ明けやらぬ川面を飛翔するミレニアム橋に見送られながら先へと進んだ。

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巡礼路には小さなローマ橋が点在し、嘗てローマ軍が進んだ事を物語る。

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北に来ると雨が多いのか路傍の石は苔むし日本の山道の趣がある。

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この巡礼路は整備が不十分な事もあり歩く人が少なく、2000年前の世界に浸りながら歩く事ができる。この辺りまで来ると辺境の地と言う事もあり、ローマ橋もシンプルでありその感が強まる。

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どんな地方に行っても自動車専用道が整備されている。いつもの事だが華奢な橋脚には見ているだけでハラハラさせられる。下に川でも流れているのだろうか中央部にはアーチが架かっている。あれこれ考えながら歩き単調な歩きに耐える。

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6月27日、巡礼最終日である。鉄道の跨線橋を渡っていると花を初め色々なものが防護柵に括り付けられている。一緒に歩いていたフランス人に聞くと、2013年にこの先で鉄道事故があり、その時の79人の犠牲者の慰霊だそうだ。そう言えば私は2012年から巡礼の旅を始めており他人事と感じられず、この事故は強く記憶に残っていた。黙祷をささげ聖地Santiago de Composutelaに向った。日本と違い花は造花であった。

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37日間の巡礼行はこの日をもって無事終えることが出来た。後は、ご褒美のバス旅行である。

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つづく

 

旅は日常性の脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティの要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と旅の後では、その人は同じ人ではありえない。

  「思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた」 立花隆/ちくま文庫