出会った橋ー北の道-3
フランス国境の町Irunをスタートし32日830kmの「北の道」を歩き終え、6月23日にサンチャゴ大聖堂前のオブラドイロ広場に立った。後は例によってバスによるスペイン放浪の旅である。今回はMadridを中心に周辺の街を巡る。
6月24日ーアラゴン王国と共にスペイン統一を成し遂げたカスティーリア王国の首都Valladlid。
6月25日ースペイン最古の大学のSalamanca。
6月26日ーイスラム教徒との戦いの最前線であった中世の城壁に囲まれた城塞都市Avilla。
6月27日ースペイン帝国の黄金時代を象徴する王室の霊廟を兼ねる修道院のEl Escorial。
6月28日ー「アランフェス協奏曲」そして王家の保養地Aranjues。マヨール広場が仮設の闘牛場に変身するアニス酒とニンニクの里Chinchon。
6月29日ー美術館巡りのMadrid。
6月30日ー西ゴート王国の首都、イスラム教徒の支配、スペイン首都。「16世紀で歩みを止めた街」
Toledo。
7月1日ーラ・マンチャの風車の村Consuegra。
7月2日ーローマ人が築いた巨大な水道橋のSegovia。
まるで観光旅行ですが、時間に囚われず歴史を背景にマイペースで歩き回った。
Salamancaは古代ローマ帝国がイベリア半島に進出した際の移動の途上に築かれたが、その痕跡は街の南側のトルメス川に架かるロマノ橋以外には見当たらない。背後に12世紀に建造されたロマネスク様式の旧カテドラルを控えた姿に2000年の時の流れを感じた。
たもとの黄色い矢印は巡礼路のサイン。調べるとアンダルシアのSevillaから北上する巡礼路「銀の道」である。知らず知らずスイッチが入った。
Toledoには以前勤め先の特別休暇を利用して訪れた。時間と行動に制約のある旅であった。今回は1日たっぷり街中をさまよい歩ける。写真で見た三方をタホ川に囲まれた城塞都市の全貌を、直接視覚に収めたいと川沿いにサン・マルティン橋まで歩く。かなりの距離であったが、それに充分に見合う歩きであった。
橋を渡って街に入るが手前のゲートをくぐると中世の街への誘いが感じられ、あの独特の作風のエル・グレコのの絵画が目に浮かぶ。
Segoviaのバスターミナルから歩いて行くと前方にローマ水道橋が立ちはだかる。紀元1世紀頃ローマ人が建造したもので最も高いところで高さは約28m。
アソゲボ広場に入り左右に目をやるとそのボリュームに圧倒される。これまで幾つかの水道橋に出会ったが、水道橋と言えばSegoviaと言われるだけのことはある。
近寄って見ると積み上げられた石はあまり綺麗に加工されていないし、隙間には接合材を使われていないとの事。地震の心配がないと、我々日本人が不可能と思うことを可能にさせるとつくづく感じ入ってしまう。
そして、日差しの強いラテンの地においては、虚の存在感が強く訴えかけてくる。
白雪姫の城のモデルとなったアルカサルは高台の突端に屹立している。しかしながら、私はその塔の上から見下ろした時、荒野の中にポツンと佇む多角形の建物に心を惹かれた。
13世紀にテンプル騎士団により建てられたラ・ベラ・クルス教会との事。特段の見所は無いらしく周辺には人の姿は見えない。気になり高台を下りそこに向かう。八角形のシンプルな礼拝堂の中には数人の観光客がいるだけ。
ベンチに腰掛け目をつむっていると、長旅の疲れのせいもあるのか何となく気持ちが安らいできた。しばしの瞑想の後、穏やかな気持ちに包まれながら教会を後にした。
45日間の長くて短い旅であった。
都市が空間的な存在なのは、それが同時に時間的な存在だからであり、私たちは都市を、空間的であると同時に時間的な場所の連なりとして経験しています。もっと平たく言うならば、私たちが経験する都市には、さまざまな異なる時間が空間化されて積層しています。 街歩きをするということは、その異なる時間の間を移動していくことであり、私たちが充分に敏感であるならば、同じ一つの地域の街歩きにおいても、そこに重層するいくつもの時間とその切れ目を発見していくことができるのです。
「東京 裏返し 社会学的街歩きガイド」 吉見俊哉/集英社新書
テレビでは " 各地で熊の被害" "ホテイアオイ繁茂で緑一色の川面"
ロングトレイルでしばしば出会った "熊の被害に注意" 幸か不幸か対面はしなかった。
南フランスのぶどう畑も麦畑も緑一色であった。
今夏 我が家のガス給湯器の上にハクビシンが住み着いていた。警察が保護したが搬送中に死亡!
そして、今朝のウオーキングコースにセイタカアワダチソウ。元気一杯!
四国の遍路道に咲く菜の花やスペインのひまわり畑の記憶が蘇る。