記憶のかけらー木漏れ日

ウィキペディアによると”木漏れ日”は木立から太陽の日差しが漏れる光景とある。日本独特の情緒的表現で、外国語では説明的に表現する必要がある。地面に投影された木漏れ日は、日差しが通過する木の葉の隙間の形状には影響されず太陽と同じ丸い形をしている。ピンホールカメラと同じ原理だそうだ。でも、それが集まって出来上がった図柄は、一人歩きの単調さを忘れさせてくれる。

 

スペインの日差しは初夏でも指すように強い。でも空気自身はそれほど暑くない。従って木陰に入れば暑さを凌げる。地上の木漏れ日に目をやるとその際立った濃さや輪郭がその効果を向上させる。そして、微風が通り抜けると更に向上させる。

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2014年6月22日 木陰を微風が抜けてゆく スペイン/Arzua 「北の道」

 

私のポルトガルででの写真には木漏れ日らしきものが見当たらない。5月と言うこともある。夏に木陰を提供してくれるであろう樹木もほとんど見当たらない。

ポルトガルに別れを告げスペインへ入る前日、期待を胸に歩いていると頭上に日除けを兼ねたと思われる葡萄棚が現れた。しかし収穫時期が秋の為木漏れ日を味わう状態に至っていない。夏にはどんな木漏れ日を提供してくれるのだろうか。そして、喉を潤すグレープジュースも提供してくれるに違いない。

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2013年5月21日 木漏れ日って ポルトガル/Rubiaes 「ポルトガルの道」

 

パリの西外れ16区のブローニューの森を歩く。パリ市民の身近な憩いの場であるが、平日という事もあり全く人の気配を感じない。自然の森であるため樹木も自由気ままに茂っている。でも散策路にはチラホラと木漏れ日が顔を出している。スペインほど日差しが強くない為あまり自己主張していない。巡礼後の体と気持ちを休めるにはもってこいの森歩きであった。

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2018年6月14日 優しい木漏れ日 フランス/パリ   after 「ル・ピュイの道」

 

熊野古道伊勢路を歩き熊野三山の熊野速玉大社、熊野那智大社をお参りした。その後、最後の熊野本宮大社に向う。雲を掴むような熊野路随一の難所から、大雲取越と言われる尾根道を進む。小口自然の家で一泊し小雲取越へと歩を進める。ガイドブックによると亡者の霊魂が辿ったと言う幽妖な?雰囲気が漂っていると言う。朝日が横からさし路上に樹木の幹の影が続く。これも木漏れ日と言って良いのか。

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2016年5月21日 これも木漏れ日 和歌山県/小雲取越 熊野古道 中辺路

 

カメラは絵筆やパレットにはかなわない。

それが天国や地獄で使われない限りは。

 

The camera cannot complete with the brush and palette–

as long as it cannot be used in heaven or hell.

     「愛のぬけがら」エドヴァルド・ムンク著・原田マハ翻訳/幻冬社

 

記憶のかけらー写り込み

写り込みとは”写真で、滑らかな器物の表面などに反射した他の像や光源が、画像として撮影されること。”とある。私は写り込んだ事物をムンクの言う見えるものでなく見たものとして撮影する事がある。

 

巡礼後、コロンブスも滞在したというSalamancaサラマンカでサン・エスティバン修道院を訪れた。スペイン独自のバロック様式であるチュリゲラ様式発祥の地として知られている。内部に入ると天井のリブ構造の見事さに見惚れてしまう。しかし、天井が高いためしばらく見つめていると首が痛くなる。ふと足元に目をやると大きな鏡が床の上に設置されている。そこには今まで我慢しながら見つめていた天井の姿が写り込んでいた。ありがたき配慮であった。

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2014年6月25日 ありがたき配慮 スペイン/Salamanca  after「北の道」

 

対岸のポートワインのワイナリーを訪れるべく、ドウロ川にかかるドン・ルイス一世橋を渡った。道路脇のレストランでは観光客がワインを嗜みながら食事中である。全面ガラス張りのため、今まで歩き回っていた対岸がそこに写り込んでいる。オレンジ色の屋根で覆われたポルトの街並みは、ポルトのむ一つの姿を写り出していた。

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2013年5月17日 もう一つのポルト ポルトガル/「ポルトガルの道」

 

パリ西部のマルモッタン・モネ美術館で「印象、日の出」「ルーアン大聖堂」と出会い、その後背後のブローニュの森を散策した。そこにはコンテンポラリーアートを軸にしたアートスポット”フォンダシオン・ルイ・ヴィトン”が待ち構えていた。設計は一昨年訪れたスペインBilbaoビルバオの”グッゲンハイム美術館”のフランク・ゲーリーである。3600枚のガラスパネルで覆われた外観にはブローニュの森が写り込んでいる。周辺の景観を生かした姿は圧巻である。開館まで時間があったため残念ながら入館はパスした。

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2018年6月14日 その姿もアート! フランス/ブローニュの森   after「ル・ピュイの道」

 

ギンザ・グラフィック・ギャラリーを訪れた。その後、周辺をぶらついていると見慣れない建物に出会った。コロナ禍のためもあり銀座をぶらつく事が少なくなっていた。銀座周辺の街並みの変貌に追いつけなくなっている。金属製の青色のファサードにはサイケデリックな景観が映り込んでいる。移動するにつれ様々なアートにと変化する。ルイ・ヴィトンの店舗であった。

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2021年9月10日 サイケの再来 東京都/銀座七丁目並木通り 街歩き

 

写生するのではない。

自然がいっぱいに守られた大皿に自由に手を伸ばすのだ。

 

見えるものを描くのではない

見たものを描くのだ。

   創作ノート 1928

 

I doo not print

from nature-

I heip myself from

its bountiful

platter

 

I do not print

what I see

-but what I saw

            Note      1928

      「愛の抜けがら  LIKE A GHOST  I  LEAVE YOU」

       エドヴァルド・ムンク著・原田マハ翻訳/幻冬社

 

 

 

 

記憶のかけらー日差しが描く  

歩き旅の楽しみに日射しが描くアートがある。キャンバスには色がついているが、黒一色で描き出しているところは水墨画に通じるものを感じる。

 

スペインの日差しの強さは強烈である。従って、描かれたものも強烈で変にリアリティを感じさせる。日差しというより”陽射しと書いた方がわかりやすいかもしれない。

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2014年6月28日 陽射しの強さ スペイン/マドリード after 「北の道」

ロッコは赤道に近い為、ほぼ真上から日が差す。外を歩いていても日差しの描くアートに出会わない。しかし、メディナの路地を歩いていて、ふと足元を見るとアートがあった。上方に目をやるとそのアートを描いた日除けが続いていた。

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2015年7月7日 真上からの陽射し モロッコ/Tangerタンジェ after 「銀の道」

 

何度か書いてきた大西洋に面したNazareナザレの砂浜は絶好のキャンバスでもあった。西から差す朝日が広大な砂浜に力一杯背後の街並みを描いていた。

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2013年6月3日 砂浜がキャンバス ポルトガル/Nazare after 「ポルトガルの道」

セーヌ河畔のアラブ世界研究所の壁面のガラスパネルは太陽の光に応じて開閉する。さらに、それに応じて床面に描かれたアートも変化してゆく。

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2018年5月6日 アラブ世界からの陽射し フランス/パリ before「 ル・ピュイの道」

 

公園内に移築された民家は開口部に様々な建具がはまっている。その建具が畳の上に描いたものは和を感じさせる。

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2018年10月2日 和の日射し 東京都/練馬区石神井公園 街歩き


私は写真家でもないのに、写真との距離が近すぎる。近すぎることによって、いつも写真を撮らねばとか、撮っておけば後で仕事で使えるなどと思って、とりあえず撮っておこうという気持ちが働いてしまう。そうなると安易に写真ばかり撮って、印象も撮れたと勘違いしてしまう。

  「途上の旅」 若菜晃子/KTC中央出版

 

記憶のかけらー他所者には?

他所の土地を歩いていると、公共空間でありながら歩行者に何を訴えかけているのだろうかと思うものに出くわす事がある。直接的にではなくちょっと考えさせることによりその効果が高まる場合がある。

 

セビージャの街の歩道を歩いていて、人の顔らしきものが打ち出された金属製の標識が点々と続くのを見掛けた。何かと思い近寄ってみると自転車に乗った人の絵柄であった。周りを見ても自転車は見当たらないし人もいない。自転車通行可のサイン?それとも自転車に注意?いまだに気になる。

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2012年10月2日 自転車通行可? スペイン/Sevilla after 「フランス人の道」

 

リスボンをスタートし3日目にGolegaゴレガンという人口6000人足らずの小さな町に入った。この地域は国際的に有名な牛と馬の市場で、ゴレガンは馬の首都とみなされている。11月には二つの見本市”全国馬フェア”と”国際ルシターノ馬フェア”で賑わうそうだ。でも、全く人影がない。歩いていると日本では見掛けない道路標識に出会った。日常も馬中心で交通手段の主役は馬らしい。

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2013年5月7日 馬が主役 ポルトガル/Golega 「ポルトガルの道」

馬に関係した土産物屋。そして、馬場では馬を調教する姿が見られる。 

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宿舎は消防署。2階の大部屋のマットの上でシュラーフに潜り込み眠りについた。

 

フランスのオクシタニー地域圏の町Condomを通りかかった。日本語ではコンドム又はコンドームと表記される。避妊具のコンドームはこの町に起源を持つとの説もある。世界遺産の大聖堂の前に四人の騎士が立っている。そうです、かのアレクサンドロ・デユマの三銃士である。ダルタニアンと言う人の出生地であるが、物語の隊長ダルタニアンとは別者らしい。一種のパクリか。足元に目をやると排水溝の脇に魚のパネルが張り付いていて何か言って”PROTEGEZ MA PLAMETE"「私の家族を守る」。河川の魚を守る為に排水溝に害になるものを流さないでとでも言っているのだろうか。三銃士はどこかに行ってしまった。

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2018年5月31日 何を守るって フランス/Condom 「ル・ピュイの道」

 

写真の企画展にと千代田区一番町の日本カメラ博物館を訪れた。その帰路東郷通を通りかかった。ロシアバルチック艦隊を破り名をあげた東郷平八郎の邸宅跡の東郷公園脇の通りである。でも、私は関心はその通りの両脇に描かれた絵柄に奪われた。平面で描かれた図がなんと立ち上がって見える。そうです。ドライバーのスピードダウンを促す道路標識であった。ものを置いたり文字で書いたりしないで、無意識のうちにドライバーの運転マナーについて語りかけている。何故他の場所でもこの手法が普及しないなだろうか。

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2019年9月29日 スピード落とせ 東京都/市ヶ谷東郷坂 街歩き

記憶のかけら–足元から/マンホール

2012年、”ロングトレール”の取っ掛かりとして四国の遍路道を歩いた。その時、マンホールの蓋にその土地に因んだイラストが刻み込まれ、町村界を越えるごとにその絵柄が変化するという楽しい経験をした。今では、全国でいわゆる”ご当地マンホール”として大流行りである。そして、こうしたマンホールを撮影収集する人も多いと言う。私にも少なからずのマンホールコレクションがある。私の関心を引いた出会いを大切にするので、収集したものでなく私に呼びかけてきたマンホールである。

 

スペインのマンホールは既製品以外見荷重のは見当たらなかった。でも、地中海に面したバレンシア市で、ダルマ型のマンホールに出会った。消火栓のマンホールであるが、機能面でこの形になったのだろう。日本では蓋が落下すると言われるのではないか?

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2015年7月4日 変形マンホール スペイン/Valencia    after「銀の道」

 

ポルトガルでは、私の関心を惹くマンホールには出会わなかった、と言うよりほぼマンホールを見かけなかった。アルバムをめくってみてナザレで撮った写真に偶然マンホールが映り込んでいた。貴重な一枚である。

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2013年6月2日 客引きの足元の興味惹き ポルトガル/Nazare   after「ポルトガルの道」 

 

フランスでも興味を惹くマンホールには出会わなかった。でも、ホタテ貝のサインのあるマンホールに出会った時ホッとさせられた。上水マンホールらしい。

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2018年5月5日 サンチャゴ巡礼マンホール フランス/Saint-Chely d'Aubrac

 

根津で見掛けた東京都下水道局の合流マンホールである。なぜ二重丸なのか確認未了である。メインテナンスの際、汚水と雨水で開ける蓋が違うのだろうか。チャンスがあれば関係者に確認したい。つまらないことでも単調な歩きを紛らわせてくれる。

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2013年10月21日 マンホールを知る 東京都/台東区根津

今回は地味な話ですみませんでした。

記憶のかけらー足下から/フットプリント

一般的にフットプリントと言えば足跡や占有領域を意味するが、最近ではIT用語としても使われている。私も旅先では私なりのフットプリントに出会った。

 

大聖堂で知られる巡礼路の大都会スペインのブルゴスへの手前でBeloradoと言う街で一夜を過ごした。頭上にはコウノトリの巣が点在しているが、巡礼者にとっては単に宿泊のためにある町である。だがメインロードでありながら路地裏のような狭い通りを歩いていて、フットプリント+ハンドプリント?が目に入った。後で調べようと写真に収めた。スペインのバスケットボールオリンピック選手フェルナンド  ロメイのものらしい。残念ながらそれ以上は読み取れないがこの町の出身であろう。私にとってはこんなものでも記憶のかけらとして残っている。

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2012年9月9日 我らのヒーロー  スペイン/Belorado   「フランス人の道」

 

フランス映画「過去をもつ愛情」でポルトガルのアマリア・ロドリゲスが「くらいはしけ」を歌ったのは港町Nazare。宿の前には大西洋に面して長い長い砂浜が広がっている。朝早く人気の無いその砂浜を散歩する。砂の上一面に夜中に吹いた海風のフットプリントが残されてる。その上を名も知らぬ海鳥達が飛び交っている。

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2013年6月3日 風の足跡 ポルトガル/Nazare after「ポルトガルの道」

そして、その上には鳥達のフットプリントも残されている。静かに佇んでいるとアマリア・ロドリゲスの”ファド”の歌声が聞こえてきそうだ。

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フランスで季節外れにあったことは再三書いてきた。巡礼路を歩いていてフットプリントは一つの道標となる。大雪ではなかったが全く人影のない雪原を目の前にして心細さが過ぎる。その時、人と動物の足跡が見つかった。でも、詳細な地図を持ち合わせていない私にとってそれが進べき方向を指し示しているのか不安であった。でもそのフットプリントを頼りに進む以外にない。運よく無事次の街に辿り着くことができた。

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2018年6月13日 フットプリントに導かれて フランス/Aubrac 「ル・ピュイの道」

 

新潟の糸魚川から長野の松本までの千国街道、いわゆる「塩の道」を歩いた。ゴール手前で重要文化財旧開智学校校舎」を訪れた。松本藩校の流れを継ぎ、明治9年に完成した現存の校舎は、90年にわたって使われた国内でもっとも古い小学校校舎の一つである。昭和39年に現在地に移築され教育博物館となっている。校舎、教育資料ともに非常に興味深いものであった。しかし薄暗い階段室に立った時、波打つ踏み板はまさに歴史を刻むフットプリントであった。ピンボケは疲労蓄積のため・・・

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2017年5月24日 子供たちのフットプリント 長野県/松本市 「塩の道」

記憶のかけらー足元から/地図

地図は机上の紙に描かれたものだけではない。地図のもとになるものの上でも地図に出会う。それは手元の地図や地図帳では味わえない世界へと誘ってくれる。

 

11C後半、流れ星に導かれ羊飼いが聖母マリア像を発見した。その地に「星」を意味する町Estellaが建設された。歴史的建築が多いことから「北のトレド」とも呼ばれる。

夕食後、街を歩いていると足下のホタテ貝のサインの間に別の形のサインを見つけた。よく見るとそれは四分割されたイベリア半島であった。左端はポルトガルで残りの三つはスペインである。このサインは誰に何を伝えようとしているのか。単なる”スペインにようこそ”なのか。今だに記憶の片隅に潜んでいる。スペインの街には遊びの要素が散らばっている。

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2012年9月4日 イベリア半島ですが スペイン/Estella 「フランス人の道」

 

以前、歴史として紹介したリスボンの”発見のモニュメント”前の世界地図。その全貌を記憶に留めたいと、エレベーターで高さ52mのモニュメントの屋上に上がった。この世界地図のスケール感は現代の宇宙旅行のスケール感に近いものであったのでは、と勝手に妄想を膨らませながら時間を過ごした。

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2013年6月11日 大航海時代を体感 ポルトガル/Lisboa after「ポルトガルの道」

 

観光客にとって大聖堂と言えばステンドグラスとくるが、私は身廊の床に強い関心を抱く。その床いっぱいに描かれた様々な図像に出会える。私が最も感銘を受けたのはシャルトルのノートルダム大聖堂の床である。そこにはラビリンスが石で描かれていた。これは迷路ではなく巡礼者が聖地エルサレムを目指して歩みを進める選択肢の無い一本道だそうだ。椅子がなければこの場での巡礼を経験したかった。床に描かれているのはある種の地図であると思った。

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2018年6月13日 エルサレムへと導く地 フランス/Chartres after「ル・ピュイの道」

 

地図と言えば伊能忠敬が思い浮かぶ。彼の作った日本地図は出版物などで見掛けた人はいるだろう。しかし、私は二度直接?出会ったことがある。場所は練馬区の江古田の武蔵大学、そして世田谷区の国士舘大学の体育館であった。レプリカではあるがその上を歩き何度も日本縦断を果たした。国土レベルの歩き旅を何度か経験したが、縮尺の地図とは言え壮大な気分に浸ることができた。

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2017年11月9日 江戸時代の日本を縦断 東京都/世田谷区/国士舘大学 街歩き

旅には発見がある。日常から足を離れ心も自由に、感覚も新鮮になっている。日常を連れていかないことが大事だ。

東京の友だちや家族など、身近なものからできるだけ離れて、ひとりになろう。必ず発見がある。

   「孤独の飼い方」 下重暁子/青春新書