出会った橋ーポルトガルの道-3
スペインに入り北へと進み5月24日Pontevedraの街に入る。紀元前にローマ帝国の定住地となり、地名は古い橋を意味するラテン語から来ている。分かりやすい。
翌朝、レリス川に架かる橋を渡って先へと進む。
この橋の名が地名の由来となったからにはローマ軍が架橋したものだろう思いながら渡った。しかし、後で写真を見るとどうも新しさが感じられるし、橋脚のアーチが浅すぎてローマ時代の技術ではと疑問が湧いた。地図を確認すると上流に橋がありそれかと思ったが、巡礼路からは外れており観光案内にも取り上げられていない。個人的に「地名の元となったローマ橋と思われる橋は現存していない」との結論に達した。次々と出会うローマ時代の遺構に出会いの感度が低下し、早朝で眠気が取れていなかったことも手伝って安易な反応をしてしまったと反省しきりである。
しかし、その後出会った葡萄畑の石の支柱群に石の文化を強く感じた。
5月27日にサンチャゴ・デ・コンポステラの大聖堂で二度目のミサに臨む。ここからはご褒美の電車・バスによるポルトガル漫遊の旅である。多分、再訪は無いものとの思いから津々浦々を巡る旅を考えた。そして再度電車でポルトガルに引き返す。
5月28日,初代ポルトガル王の生誕地で「ここにポルトガル誕生す」と謳う初代ポルトガル王の生誕地であるギマランイスを訪ねる。華やかさは無く日本人で訪ねる人は少ないと思うが、個人的にはポルトガルで最もお薦めの地である。
翌日、辺境の地を訪れたいとBragancaに向った。隣国スペインと対峙する城塞都市である。城壁に囲まれた旧市街には中世の面影が色濃く残っており、若干の緊張感を覚えながら巡り歩く。12Cに建てられたポルトガル最古の市庁舎が小さいながらも厳然と佇んでいる。宿への帰路、橋で水路を縫う谷筋の小道を下った。特段のものでは無いが、歴史の重みを感じる時間を過ごした後の心地よい散策であった。
30日,ポートワインの産地であるドウロ渓谷を横断する。左右の斜面には葡萄の段々畑が展開し、谷に架かる橋は広大な風景にアクセントを与えている。伝統的なワインの製造方法も含めて世界遺産に指定されている。
31日,大西洋岸の"水の都"Aveiroに出る。埋立地の地味を肥やすため海藻を集めていた船モリセイロは今では観光遊覧船となっている。
独特のフォルムに加え競って描いたと思われる舳先のペインティングに関心が引きつけられる。橋にもたもとに彫像が立っているが影を潜めている。
しかし、少し外れに行くと面白い橋に出会った。斜張橋であろうか。地味なポルトガルには珍しく遊びを感じさせる。
続く
旅それぞれに寿命が異なっていて、予想もつかないように思えるのだ。旅人が帰宅する前に寿命が尽きて終わってしまう旅があることは、きっと誰も知っているのではないか?逆もまた真なりだ。足を止め、時が過ぎた後になっても長く続く旅がたくさんある。
私はサリーナスにいた男のことを覚えている。彼は中年時代にホノルルに旅行に行ってきたのだが、その旅は彼の生涯にわたって続いたのだ。玄関先のポーチで揺り椅子に座っている彼をよく見かけたが、目を細めて半ば閉じたまヽ、永遠にホノルルを旅しているようだった。
「チャーリーとの旅」 ジョン・スタインベック/ポプラ社